聖女と結婚するからと、なぜか婚約破棄されましたが……
「お前との婚約は破棄する」
——聖女召喚の儀式当日。
この国の第一王子であるアレックは神聖な儀式を行う場で突然とんでもないことを言い出した。
相手は公爵令嬢であるマリアーナだった。アレックはマリアーナの顔も見ずに淡々と婚約破棄を一方的に告げたのだ。
「殿下、今なんと……?」
マリアーナは聞き返す。聞こえなかったのではなく、内容を確認するために。
「だから、お前との婚約を破棄すると言ったのだ」
「それは——。殿下が私と結婚することはないということでしょうか?」
「そういうことだ。お前は人の話をちゃんと聞けないのか?」
そこで初めてアレックはマリアーナの方を見た。アレックはマリアーナが婚約を破棄されたことにより、ショックを受けているだろうと思っていた。
けれど、マリアーナの表情はいつもと変わらず。むしろ、声色はいつもより明るさを感じさせるものだった。
「ありがとうございます、殿下」
「は……?」
「私も殿下と結婚などしたくありませんでしたもの。殿下の方から結婚はしないと宣言してくださって嬉しいですわ。本当にありがとうございます」
嬉しい、などという予想外の言葉にポカンと間抜けな表情をしているアレックとは違い、マリアーナは今まで一度も見せたことがないようなとびきりの笑顔をしていた。
「ふん、あとから婚約破棄はなかったことにしてくれなどと後悔して言っても——」
「あ、ご安心くださいませ。そのようなこと絶対にありませんので」
「なっ……まぁいい。ここにいる皆が証人となるだろう」
そう、ここにはアレックとマリアーナ以外にも大勢の人たちがいた。
アレックの両親である国王陛下と王妃陛下。そして神官から、この国を支える主要な貴族たちがいた。
マリアーナが両陛下へと視線を向けると、国王は目頭を抑えながら顔色を悪くしている。王妃にいたっては今にも倒れそうだった。
「あ、殿下。理由は聞いても? このような日、このような場で私と結婚はしないと、そう宣言した理由です」
アレックを鬱陶しく思っていたマリアーナにとっては願ってもないことだったが、理由ぐらいは聞いておきたいところだ。周りの貴族たちも興味津々で聞き耳を立てている。
「あぁ、理由か。それはだな、私はお前のように顔は良くても可愛げのない女は嫌なんだ。これから召喚される聖女はかなりの美女だと聞いた。お前が次期聖女候補だからと仕方なく婚約したが、本物の聖女が来るのだろう? ならば当然、この国の第一王子である私と結婚するべきだろう」
アレックは胸に手を当てて、なぜか誇らしげに語る。
「……聖女様があなたと結婚される、と?」
「あぁ、そうだ。今から会うのが楽しみで仕方がない。今までに召喚された聖女は全員、若くて美人なんだろう? おい、神官よ! まだ聖女召喚の準備は終わらないのか!?」
「いえ、殿下。今日の召喚は——」
アレックは一方的に自分の言いたいことだけを言ったかと思えば、準備に追われている神官の元へと行ってしまった。
「人の話を聞かないのは昔から変わらないのね。後悔するのはあなたなのに、ね」
マリアーナは小さくため息をついた。
両陛下が、何かを諦めたように首を横に振っているのをアレックは気が付いていなかった。
◆◆◆
そうして聖女召喚の儀式が始まった。
聖女が召喚されるのを今か今かと目を輝かせて待っているアレック。マリアーナはその姿を見て幼かった頃を思い出し、少しだけ胸の奥が痛んだ。
"おい、マリアーナ! お前この花好きだろ? だからやるよ!"
"でも、勝手に取ってしまっては……"
"大丈夫、だってお前にあげるために母さまと一緒に育てたんだから!"
"殿下がお育てに……? ふふ、ありがとうございます"
アレックの人の話を聞かない我が儘な性格は今も昔も変わらないが、あの頃はまだ可愛げがあったというのに。どうしてこうも、お馬鹿に成長してしまったのだろうか。
マリアーナは徐々に強まる光に包まれた場所を
を見つめていた。
(もうすぐ会えるのね、あの方に……)
眩しい光が収まり、そこに現れた一人の女性。
「おぉ、終わったのか!? 私の聖女はどこだ!?」
アレックは神官が止めるのも聞かず、聖女へと近寄った。けれど、アレックはすぐにその動きを止めた。
(でしょうね)
「な、な、なんだ!? どういうことだ!?」
アレックはおろおろと慌てている。そんなアレックの姿を見て両陛下も神官も、呆れた様子だ。
「なんだあれは! 聖女召喚は失敗したのか!?」
アレックに詰め寄られた神官は「何を仰いますか! 聖女様をあれなどと……!」
マリアーナはアレックのことなど無視をしてまっすぐに聖女の元へと駆け寄った。そこにはマリアーナよりも背の小さな一人の女性が立っていた。
「初めまして、聖女様。とても……とても会いたかったですわ」
マリアーナは目に涙を浮かべていた。聖女を支えるように手をそっと握った。
「まぁ、本当に娘にそっくりだわ。初めまして、あなたがマリアーナね?」
「えぇ、そうですわ。お元気でしたか? 母も父も、そしてお祖父様もこの日をどんなに待ちわびていたか……」
マリアーナが振り返り、その視線の先、少し離れたところでマリアーナの両親、そして祖父がこちらを気にして待っているのが目に入った。
その姿が見えたのか、聖女も嬉しそうに微笑んだ。
「さぁ——」
マリアーナは早く家族に会わせたいと、聖女を支えながらゆっくり歩き出そうとしたその時だった。
「おい、マリアーナ! これはどういうことだ!」
アレックだった。その表情は怒りに満ちていた。その怒りの理由がなんなのかは見当がつくが、そこまでお馬鹿だったとはマリアーナも信じたくはなかった。
「どういうこと、とは?」
「だから、それはなんだ!? 聖女はどうした!?」
「殿下、こちらの方は間違いなく聖女様です」
「嘘をつくな! その女が聖女だと!? ふざけるのもいい加減にしろ!」
アレックは聖女に向かって指を差した。先ほどから大きな声を出し、口から出ているすべてのことがどれほど周りを失望させているのか気付いていないのだろうか。
「そのように年老いた女が聖女だとでも言うのか!」
「いい加減にしてください! 私のお祖母様に向かってなんて失礼なことを!」
聖女として召喚された女性。
そう、聖女はマリアーナの祖母だったのだ。
「な、なん、だと……? は……?」
「聖女様は私のお祖母様です。さぁ、お祖母様、みんなが待っていますよ。こちらへどうぞ」
「待てマリアーナ、説明をしろ!」
アレックがマリアーナの腕を掴もうと手を伸ばすが、その手がマリアーナを捕らえることはなかった。他の人の手によって、伸ばされていたアレックの腕は止められた。
「な、なんだ!?」
アレックは驚いてその腕を掴んだ人を睨みつけた。けれど、すぐにその目は驚きの表情へと変わった。
「どうしてお前がここに……! この手を離せ、ウィルフレッド!」
アレックの腕を掴んだのはこの国の第二王子、ウィルフレッドだった。
「兄上こそ、何をしようとしていたんです?」
ウィルフレッドは掴んでいたアレックの腕を強く払った。その勢いによろめき、アレックはそのまま尻餅をついて倒れ込んだ。
「ウ、ウィル……?」
「ごめんね、リーナ。遅れてしまった」
「なぜ……あなたがここに……?」
突然現れたウィルフレッドに、マリアーナは驚いた。彼は今、ここにいないはずなのに。
「リーナ、まずは聖女様を」
「え、えぇ……お祖母様、行きましょう」
マリアーナは家族の元へと祖母を連れて行った。アレックのせいで感動の再会に水を差されてしまった家族はひどく憤慨していた。
マリアーナがウィルフレッドの元へと戻ると、アレックも痛めたお尻を庇いながら立ち上がり、ウィルフレッドへ罵声を浴びせていた。
「国外追放されたはずのお前がなぜここにいるんだ!?」
「兄上、私は国外追放なんてされていませんよ」
「嘘をつくな! 一年前、出征させられたのを忘れたのか!?」
「出征って……どう話を聞いたらそうなるんです?」
ウィルフレッドは本気で頭を抱えた。兄であるアレックは、どうやら自分のことを国外追放されたと思っていたらしい。
実際は、一年前、隣の大陸にある帝国との和平交渉を任されこの国を出ていただけなのだ。
陛下から大役を任された弟のことを、自分の立場が脅かされると心配するどころか、邪魔者がいなくなったとでも思って気を抜いていたのだろう。
「私は陛下から任された和平交渉を無事に済ませてこうして戻ってきただけです。ついでに友好国との貿易もまとめてきましたよ。簡単に言いましたが理解できましたか?」
「は?」
どうやらアレックは理解ができないようだ。
「兄上は本当に昔から人の話を聞かない人ですね。都合のいい事しか頭に入っていかないんですか? 聞いても抜けてしまうんでしょうか?」
ウィルフレッドはわざとらしく首をこてん、と傾ける。さらりと流れる前髪の隙間から見える視線に気が付いたアレックは顔を真っ赤にし、手が震えている。
「な、な、なんっ」
「ついでに言いますと、今日の儀式が始まる直前にリーナに婚約破棄を宣言なさったそうですね?」
「あ、あぁ、そうだ! 私に相応しいのは本物の聖女だからな。聖女になれるかどうかもわからない、ただの候補……いや、偽物なんて私には必要ないからな!」
その言葉にマリアーナは大きくため息をついた。どこから突っ込めばいいのか、最早わからなくなってしまう。
あ、と何かに気が付いたアレックはマリアーナへと視線を向けた。
「いや、待て。聖女はマリアーナの祖母、ということは私と聖女は結婚できない。人妻だからな。こればかりはどうしようもないな、私のせいではないし。仕方がないからマリアーナ、私とけっこ——」
「兄上、そもそもな話なんですけどね? リーナと兄上は婚約なんてしていませんでしたよ?」
アレックの話を途中で遮ったウィルフレッドの言葉に、アレックは言葉通り口を開けてポカンとした。
「なんだって?」
「はぁ、アレック殿下。私とあなたはそもそも婚約などしていませんわ」
「そ、そんな訳がないだろう。子どもの頃、婚約したではないか。父と母も承認なさっているんだぞ!? それが——」
「陛下が一度でも私のことをあなたの婚約者だと言いましたか? 公式の場で紹介したことは? 私が婚約という言葉を使ったことは? ありませんよね」
「いや、しかし、今まで公然に……」
「それも勘違いですわ」
アレックとマリアーナがパーティーなどでパートナーとして参加をしたことは何度かあるが、それはただ第一王子の相手として公爵家の令嬢なら相応しいと、立場的な問題から選ばれていただけだった。
ついでに言ってしまえばお目付役だ。
「婚約破棄をした時みな驚いていたではないか! あれは、私たちが婚約していたからでは……」
「いえ、私たちが婚約していると勘違いしているあなたに驚いていたのです」
「それならっ、父上たちも顔を真っ青にしていただろう? 王家と公爵家の婚約破棄だから……」
「あなたがそこまでお馬鹿だったことを嘆かれてしまったのですよ。……殿下、陛下たちの顔色を知っておられたのなら心配ぐらいされたらどうですか」
「いや、それは……」
口籠るアレックは先ほどまでの勢いはなくなってしまったようだ。
「兄上、もういいですよね? この後はまだ大切なことが残っているのですから」
「大切な、こと……?」
「殿下、本当に何も聞いていないのですね」
「それはっ! 誰も私に教えてくれないからだろう!」
「何を言うかと思えば……。私が言った、何も聞いていないというのは人から教えられていない、という意味ではないのですよ。殿下が人の話を聞かないということです」
「だからそれは聞いていないとっ」
「それに、書物でもなんでも知る機会はどこにでもあるのですよ。ここにいるみなさまはちゃんと……」
「そんなものがあることだって誰も——」
「あ、もう結構ですわ」
これ以上は話をしたところでいつまでも伝わらないだろうと判断したマリアーナは、アレックと話をすることを諦めた。
「アレック! いい加減にしないか。これ以上、恥の上塗りをするでない!」
陛下に怒られたアレックは気まずそうに視線を逸らした。
陛下に促され、マリアーナとウィルフレッドは聖女であるマリアーナの祖母の元へと向かう。
「もうお話はいいのかい?」
「えぇ、お祖母様。お待たせしてしまいすみません」
「いいんだよ、では、始めようかね」
「はい、お祖母様。お願いします」
マリアーナは祖母と手を取り合った。すると、二人の周りには温かな光がぽつ、ぽつと浮かび上がった。
「なんだ? 何をしているんだ!?」
一人だけ状況を把握できていないアレックが二人の元へと行こうとするが、ウィルフレッドによって止められた。
「大人しくしていろ、二人の邪魔をするな」
「なっ、お前……!」
先ほどまでの雰囲気とは変わり、ウィルフレッドは鋭い視線で睨みつけた。マリアーナの前で見せていた優しげな雰囲気はどこへやら。
その間に集まった小さな光は大きな光となり、マリアーナの体の中へと収まった。
「終わったよ、マリアーナ。さすがは私の孫だねぇ」
「ありがとうございます、お祖母様」
その瞬間、周りからは歓声が上がった。神官の中には泣いて喜んでいる者までいる。
「おい、本当になんなんだ? あの光は? なぜマリアーナの中に消えていったんだ? なぁ、誰か教えてくれ!」
アレックは誰に聞いているのかもわからずただただ疑問を吐き出している。
「はぁ、兄上。マリアーナがたった今、聖女になったんですよ」
「なんだって?」
「マリアーナは聖女の力をお祖母様から引き継いだんです」
ウィルフレッドは話している相手を見ずに、マリアーナだけを見つめていた。その眼差しはとても優しく、長い間恋焦がれている人を見るかのようだ。
「力を引き継ぐって……それよりお前、なんだその目は! そんな目でマリアーナを見るな!」
「今さらなんですか。兄上はもうマリアーナとは関係ないのでしょう? あぁ、いや。初めから何の関係もなかったんでしたっけ」
そう言ってウィルフレッドは可笑しそうに小さく笑った。
「あの、ウィル?」
マリアーナは雰囲気がどこか穏やかではない二人にそっと近付いた。
「リーナ、おめでとう」
「ありがとう、ウィル。ウィルも……こんなに早く戻ってくるなんて思わなかったわ」
「一年で戻ると、そう約束しただろう?」
「まさか本当に一年で終わらせるなんて……。でもこうしてまたあなたに会えて嬉しいわ、ウィル」
「待たせてしまったね」
見つめ合うマリアーナとウィルフレッド。
その二人を交互に見て焦るアレック。
「待て待て待て! なんだその甘い雰囲気は!? おい、マリアーナ! 私というものがありながらまさかこいつともデキてたんじゃないよな!?」
アレックがマリアーナに手を伸ばすが、またしてもその手がマリアーナに触れることはなかった。
「いたたたっ! 離せっ! ……なぁ、お前たちはどうして愛称で呼び合っているんだ!? いつからなんだ!? いつから私を裏切っていたんだ!」
責め立てるアレックから庇うように、ウィルフレッドは優しくマリアーナを引き寄せた。
「兄上……いや、アレック。二度は言わないからよく聞け。マリアーナに今後近付くことは私が許さない」
「お前、なにをっ」
「ごめんね、リーナ。まだ一つやり忘れていたことがあったよ」
そう言ってウィルフレッドはマリアーナの手を引きながら両陛下の前まで連れて行った。
「陛下。約束通り、私は一年で戻りました」
ウィルフレッドが父親である国王陛下へそう告げると、陛下は小さく口元を緩めた。
「しかも、友好国からの書状もたくさん持ってきおったな。ウィルフレッドよ」
「えぇ、ご満足いただけましたか?」
「これ以上欲張ると今度は私の首が危ないからな。第二王子、ウィルフレッドよ。お前を王太子に立てよう」
「ありがとうございます、父上」
「まったく……。すまないな、マリアーナ嬢。君にはこれからも息子が迷惑をかけてしまうだろう」
「え? いえ、陛下。迷惑だなんて……」
(これからも、というのはどういうことかしら?)
「君のお祖母様も元気そうで安心したよ。何かあってはあの者が黙ってはいないからな……やれやれ、大変だ」
「それは……私のお祖父様のことでしょうか?」
「あぁ、そうだよ。聖女としてこの国を守ってくれた妻を、今度は別の世界を守るためだと送り出さねばならなくなった時の公爵は……はぁ、この国が滅ぶかと……思い出したくもないな」
「あの穏やかで優しいお祖父様が……?」
「おだ、やか? いや、なんでもない。忘れておくれ」
こほん、と陛下は気まずそうに咳払いをした。
「それでは陛下、私の婚約も好きにさせてもらっても?」
「あぁ、好きにしなさい。だが、無理強いはしないこと」
「もちろんです。私はアレックとは違いますからね」
アレックの名前が出たところで、本人もハッと気が付いたのか、こちらへと大きな足音を立ててやってきた。
「父上! 第一王子である私を差し置いてこいつを王太子になさるのですか!?」
「アレックよ、今日のことでもうわかっただろう。お前にこの国を任せられないということを」
「そんなことはありません! 少し、至らないところもあるかもしれませんが、でもマリアーナがいれば大丈夫です! 聖女なのですから!」
まだそんなことを言っているのかと、ここにいる全員が思ったことだろう。
「マリアーナ嬢はお前と結婚などせん。私と王妃がそんなこと認めるわけがないだろう」
「そんな……! は、母上は? 母上は私のこと——」
「すべて私の責任です、アレック。あなたをこのように育ててしまったことを後悔しています」
母親である王妃にまで見放されてしまったアレックはその場にだらしなく座り込んでしまった。その情けない姿に、陛下もため息をつく。
アレックは我儘で人の話を聞かないところはあるが、極悪人というわけではない。今後どう変わっていくかは本人次第だろう。
「リーナ、一緒に来て欲しいところがあるんだけど、いいかな……?」
「えぇ、もちろんですわ」
「ありがとう」
ウィルフレッドがそっと手を出せば、マリアーナはその手を静かにとった。
頬を赤らめながら、言葉を交わす二人の間には誰も割り込むことなどできないだろう。
「公爵、家族水入らずのところを申し訳ないのですが、マリアーナ嬢を少しお借りしても……?」
マリアーナの祖父である公爵は手を繋いでいる二人の姿が当然、気に入らないが、孫であるマリアーナが頬を染めながらその手をとったのだ。
それにマリアーナの両親も、どこか嬉しそうに二人を見つめているのだ。ダメだなんて言えるわけがない。
「もう、おじいさんったら。ウィルフレッド殿下、マリアーナを、私の孫娘をよろしくお願いいたしますね」
「もちろんです、ありがとうございます。さぁ、行こうか、リーナ」
◆◆◆
ウィルフレッドがマリアーナを連れてきたところは、まだ二人が幼い頃によく遊んでいた王宮の庭園だった。
「わぁ、懐かしい。あの時のままだわ」
「そうだね」
「見て、ウィル! ブランコもまだあるのね」
ブランコを見つけたマリアーナはそっと座った。キィ、と小さな音が鳴る。
「ねぇ、リーナ。子どもの頃にここでした約束、覚えてる?」
「……約束?」
「そう、私たち大きくなったら結婚しようって言ったじゃないか」
「……そうね」
そんなこともあったわね、とマリアーナは小さく呟いた。
「一年前にした約束も、覚えてる?」
「……えぇ、もちろん」
「私が戻ってきたら、話したいことがあるって」
一年前、この国を出る前にウィルフレッドはマリアーナへと約束をしていた。一年で必ず戻ると。戻ってきたら、話したいことがあると。
それを聞いた時、マリアーナは不安になった。
どうして今そんなことを言うのかと。もしかして、もう二度と戻って来ないのでは? と。
もちろんマリアーナはウィルフレッドのことを信頼していたが、離れて過ごす時間というのは目に見えない怖さがある。
「マリアーナ、私と結婚してほしい」
ウィルフレッドは小さな箱を二つ、中を開いて見せた。そこには指輪が入っていた。
指輪についている宝石は、一つはウィルフレッドの瞳の色と同じ水色をしていた。もう一つはマリアーナと同じ瞳の色である薄紫色だ。
「ウィル……」
「聖女である君をずっとそばで支えていきたいんだ。君の隣に他の男がいるなんて、私には到底耐えられない」
マリアーナは指輪を見つめる。
「リーナ、愛している。出会った時からずっと」
「……はい、あなたと結婚します。私もあなたを支えていきたい。これからは隣で、聖女として、妻として、あなたとこの国のために」
マリアーナは恥ずかしそうに頬を染めながらゆっくりと、小さく言葉を紡いだ。
「ウィル、私もあなたを愛しています」
ウィルフレッドはゆっくりと、水色の宝石がついた指輪をマリアーナの薬指へとはめた。
そして、マリアーナももう一つの指輪をウィルフレッドの指へとそっとはめた。マリアーナの手が震えて上手くはめられなかったが、ウィルフレッドはその愛おしい姿を微笑みながら見つめていた。
聖女になるマリアーナの隣にいるためには、自分も力をつけないといけないということを考えていたウィルフレッドは、父親である陛下ととある約束をしていた。
帝国との外交問題を解決することができたら王太子にしてほしいと。マリアーナとの結婚を認めてほしいと。
この話を、ウィルフレッドはマリアーナに言うつもりはない。きっとマリアーナは自分のために危険なことを、などと考えてしまうだろうから。
けれど、きっとそのうち気付かれてはしまうんだろう。その時にふわふわの髪を揺らしながら怒るマリアーナの姿もきっと可愛いのだろうと想像して口元が緩む。
「ウィル? どうして笑っているの?」
「なんでもないよ、リーナ。さぁ、家族のところに戻ろうか。遅くなってしまうと公爵にどやされてしまうからね」
「ふふ、お祖父様はそんなことしないわ」
二人の薬指に、小さな指輪がはめられていることに家族はすぐに気が付いた。
祝福の言葉をもらったマリアーナは、きっと幸せな日々を過ごしていくのだろう。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました★