第8話 消えた火
その日の夜、俺は窪みの中でぐっすりと眠った。
黒色の毛皮の腰巻は洗わなかった。
火起こしのために少しでも水に触れさせたくなかった。
窪みの中に獣臭が漂う。
それが気にならないくらいに、俺は達成感と心地良い疲労感に包まれていたのだった。
明けて翌日。
いよいよ計画実行だ!
まず、なるべく長い枝を用意する。
この枝は長ければ長いほど良い。
とはいえ、今となっては紐もある。
二つの枝を継ぎ合わせられるので、この課題はすぐにクリアできた。
次に、例の『黒色の毛皮の腰巻』を枝の先端に巻き付ける。
ここから先は楽なものだ。
なにせ枝を地面に突き刺し、炎天下の元、放置するだけでいい。
ヴェルムの森に来てからどれだけ経ったか?
そんなことはもはやどうでも良かった。
いよいよ火が手に入る。それだけで満足だった。
窪みに戻り、リゴの実をぱくっと頬張る。
慣れ親しみすぎたこの甘酸っぱい味ともしばらくお別れ。何故なら俺は手に入れたのだから。欲しいモノを自らの力で。
しばらくすると。
外から、バチバチと音が聞こえてきた。
直接目にしなくてもそれが炎だと分る。
「ははっ、酷ぇ臭いだな」
俺は涙ぐみながらも外に出た。
地面に突き立てた長枝の先端部分。
炎はそこで揺れていた。
獣臭い匂いを煙に乗せながら、力強く、バチバチと火の粉を飛ばしていた。
俺は一度窪みに戻った。
そこには、事前に準備しておいた木の枝や葉っぱなどがある。
それら全てを抱えて外に出た。
そして――。
ゴォォオオオオ――ッ!!
激しい炎の揺らめきが俺を照り付ける。
こうして火を手に入れた俺の課題は、どうやってこの火を維持し続けるかという点にシフトするわけなのだが。
そんな問題は一瞬にして消し飛んでしまう。
「ああ、暖かい。幸せだ」
自分で何かを得る。
それがここまで気持ち良いものとは思わなかった。
炎に手を翳しながらそんな感慨にふけっていた時、ふと違和感を覚えた。一瞬。ほんの一瞬だが、炎の勢いが弱まったように感じた。
「……?」
それでも俺は気にしなかった。
適当な枝にリゴの実を突き刺し、火で炙って食べる。
う、う、うんまぁ~~~っ!!
ほっぺたが落ちる。
そんな表現がある。
あれは美味しいものを食べた時に使う言葉なのだが、俺の人生でその言葉を使うとするなら、それは間違いなく今だ。
「キノコに葉っぱ。近いうちこの二つも食べられそうだ。というか火が起こせたということは……」
お湯を浴びれる、ということではっ!?
なんということだ。
追放されたあの日には考えもしなかった。
でも、俺は再びお湯を浴びられるのだ。
「それにしても本当に暖かいな」
我が子を優しく撫でるみたいに。
俺はそんなふうに火に手を当てて暖を取った。
そしてその時。
一瞬だった。
あまりにも一瞬の出来事で俺は混乱した。
なぜなら、その一瞬で炎が消えてしまったから。
「………………えっ?」
それからは何もやる気が起きなかった。
俺はずっと窪みの中で眠っていた。
窪みの中。
低い岩の天井を見上げながら、溜息を漏らす。
「何が起こった。どうして火が消えた」
考え続けても答えなど出ない。
まるで俺を嘲笑うかのように。
俺の努力をコケにするかのように。
たったの一瞬で火は消え去ってしまった。
あり得ない。
常識では考えられないことが起こった。
「どうして。俺が、何をしたって言うんだよ」
泣くかと思った。
だけど不思議なことに涙は出ない。
出てきたのは笑い。
乾いた、なんとも虚無な笑いだけ。
「虚しいな……」
虚しい。
本当に虚しい。
俺はもう虚ろの存在だ。
もう何もかも全てがどうでもいい。
右の手の平を天井に向ける。
あるのは何もない虚空、虚無だけ。
俺は手を握り、何かを掴む動作をした。
当然そこには何もない。
あるのは空気、つまりは無。
「もう、いいかな」
ヴェルムの森に来てからそこそこの時間が流れた。
俺は頑張った。
生きるために。
死なないために。
頑張って生きて、生き続けて、ついにここまで来た。やっとのことで火を手に入れた。それなのにその火は消えてしまった。
まるで最初からそこになかったみたいに。
「……そうだ。消えた。消えたんだ」
俺はあの時の光景を脳内で再現する。
あの時、俺の気分は最高潮にまで高揚していた。
当然だ。ずーっと欲しかったモノ、それが手に入ったのだから。
しかし、そのずーっと欲しかったモノ。
火は一瞬で消えてしまった。
鎮火したのではない。
文字通り消滅したのだ。
「まさか――」
ある疑惑が脳裏をよぎる。
同時に、あの虐待の日々も思い起こされた。
父――ダルヴェンディ・ダクヴェルム。
この森のヌシを鎮めることが可能な数少ない実力者。
その闇魔法は強力で、様々なもの出し入れできる。
現に俺はその魔法に苦しめられた。
父が抽出した【痛み】を直接的に与えられ、苦痛の日々を送った。
だが、成長するにつれその痛みは鈍っていった。
長年の虐待。その末に痛みに慣れてしまった。
俺はずっとそう思っていたが、実はそうじゃなかったとしたら?
そもそも、属性【無し】なんてことが本当にあり得るのか?
確かめなくてはならない。
そして知らなくてはならない。
属性【無し】とはなんなのかを――。
ここまで読んで頂きありがとうございます!!