22話 ガドターク襲来
翌朝、雨は止んでいた。ただ、雨雲は去っておらずいつ降り出してもおかしくない天気であった。
(急いで旅立って雨に濡れるより、ここでもう少し様子を見た方がいいかしら)
朝食を終え、荷造りをしているリオにサラが声をかけた。
「リオ」
「なに?」
「天気がよくありません。少し様子を見ませんか?途中で降り出す可能性が高いです」
「わかった」
リオはあっさり承諾し、荷造りするのをやめた。
サラはちょっと拍子抜けした。てっきりべルフィ達と早く合流したいと言い出すと思っていたからだ。もし、そう言われた場合は従うつもりだった。
リオはドアを開け、外に出た。空を見る。
「ほんとだ。雨降りそうだね」
「少し稽古しませんか?」
リオが小屋に戻るとサラが提案してきた。
「え?」
「時間もあることですし、今のうちにあなたの力をきちんと知っておきたいのです」
「わかった」
二人は外で数メートルほど離れて向かい合う。
サラがショートソードと盾を構える。
リオは一旦は剣と盾を構えたが、すぐに盾を背に戻し、剣を両手で構える。
「盾は使わないのですか?」
「うん」
「そうですか。ーーでは始めましょう」
サラが先に動いた。剣を振るったのはリオが先だ。
リオの剣をサラは盾で受け流しながらショートソードを振い、切っ先がリオの首元に触れる。
「あれ?」
「もう一度です」
「うん」
(最初より動きがよくなったわ。やはり盾を持つよりこっちの戦い方の方がリオには向いているようね)
開始から三十分程で雨が降り始めたが二人は構わず稽古を続けた。
結局、一時間程稽古を続けた。
「すっかり濡れてしまいましたね」
「そうだね」
サラは汚れを落とす魔法リフレッシュを持っている。これを使えば雨で濡れた服を乾かすことも出来たが、乾いた後も濡れた服を着ている、という感覚、もちろん錯覚なのだが、が好きではなかった。
だから着替える事にした。着替えながらリオとの稽古を思い出す。
(動きは思った程は悪くないわね。ーーまあ、そうじゃなければギルドに入会できるわけないけど。でもまだまだ実力不足は否めないわ)
サラの剣の腕は平均より少し上程度だ。
これは戦闘スタイルが徒手格闘術に変わり、剣技を磨くことがなくなったからである。
実のところ、リオが実技試験を合格できたのはギルド職員がリオの体格に合った剣と盾を選んでくれたからだ。
もし、自分の武器を使っていたら落ちていた可能性もあった。
公平を期すための処置が逆にリオに有利に働いたのだった。
サラはリュックから着替えを取り出そうと振り返ってリオの姿が目に入った。
リオはじっとサラを見ていた。
サラは考えごとに夢中でリオがいることをすっかり忘れていた。
もしリオに下心が少しでもあればいやらしい視線を感じ取りすぐに気付いたはずであるが、リオからは邪なものを全く感じなかった。
「リオ、女性の着替えをジロジロ見るものではありません」
「そうなんだ」
そこでサラは自分の手に持ったものに目がとまった。
それは下着であった。
(あれ?と言うことは……)
サラは自分の今の姿を確認する。全裸だった。
(やってしまった!カナリアに注意されていたのにっ!)
「サラは本当に女だったんだね」
リオの言葉にも表情にも、ついでに下半身にも変化はないようだ。
ただ事実を述べただけだったが、その言葉が自分をまだ女装した男である可能性を捨てていなかったのだと察し、羞恥心より怒りが上回った。
ゴンっ
サラは体を隠す事なくリオに近づくとパンツを握ったままの手でリオの頭を殴りつけた。
「私がいいと言うまで後ろを向いていなさい!」
着替えが終わり、サラは濡れた服にリフレッシュを発動する。ついでにリオのものにも。
(……はあ。やっぱりリフレッシュで済ませておけばよかったわ)
とはいえ、冒険を始めてからずっとリフレッシュで済ましており、同じ服を着つづけているのに抵抗があったのは事実だ。
これはサラの贅沢であった。普通の冒険者はそこまで気にしないのだから。
サラは八つ当たり気味にリオを殴った事を口には出さなかったが反省していた。
着替える前にきちんと言っておくべきだったのだ。
リオの所属するパーティには女性がいる。彼女は男の前でも気にせず着替えをしていたのかもしれない。
冒険者は裸を見られるのを気にしない者も少なくないと聞く。そんなところまで気にしていては依頼失敗に繋がる事もあるからだ。
だとすればリオはいつも通りの行動をしただけとなる。
サラの常識が冒険者に通じると考えるのは危険だと気付かされた。
(少なくともリオにははっきり言わないと伝わらない。それだけは確かね)
昼食を済ませた後も雨はいまだ止まず、今日も小屋に泊まる事が濃厚になってくる。
魔除け板の効果はとっくに切れているはずだが、魔物が近づく気配はない。
気まずい雰囲気のまま狭い小屋で一日過ごすことになるのかと思ったがそれはサラの杞憂に終わった。
リオは全く気にしていないようだった。
それはそれでどうかと思うが、蒸し返してもいいことはないのでこの件はこれで終わりにする。
ただし、言うべき事は言う事にした。
「リオ、さっきの事は忘れて下さい」
「さっきって、稽古で注意された事?」
「そんなわけないでしょう!」
「え?じゃあ何?」
このズレはいったいどこから来るのか。もしかして自分をからかっているのかとも思ったが、即座に否定する。リオの表情から判断するのは難しいが、本気でそう思っている気がした。
つまり、サラの裸を見た事に関して何も思うところがないということである。
「そうではなく、……私の裸を見た事です」
「わかった」
躊躇なく頷いたリオにサラは自信をちょっとなくすのだった。
することがなくなった二人は装備の手入れをしていた。
点検を終えたリオは小屋の隅に移動して素振りを始める。
点検を終えたサラはその様子を眺めていた。
雨音とリオの素振りと吐く息がだけが聞こえる。
しばらくしてリオは剣を両手持ちから右腕一本に変えて振り始めた。
やはり力負けしている。筋力が急に上がる事はないから剣を変えるべきだろう。
しばらくしてまた剣を持ち替えた。右手から左手へと。
そして素振りを再開する。
驚くべき事に左手に持ち替えてもその動作は右手で振っていた時とまったく変わらない、まるで鏡に写したかのようだった。
「リオ、あなたは両利きなのですか?」
サラは思わず声をかけていた。
「ん?両利き?」
リオは素振りをやめてサラを見た。
「私は右利きだと思っていました」
「多分両利きだよ。どちらの手が使いやすいとか使いにくいっていうのがないから」
「多分て、自分の事でしょう?」
「僕、記憶がなくなってるところがあってよくわからないんだよ。フェンデなら知ってるかもしれない」
(フェンデって、確かリオの住んでいた村の村長の娘さんだったかしら)
「……そうですか。すみません、止めてしまって。続けてください」
「うん」
素振りが終わり、腰を下ろしたところでサラはパーティと合流出来なかった時のことを確認しておく事にした。
「リオ、これは例えばの話ですが、」
「うん?」
「もし、あなたのパーティが待っていなかったらどうしますか?」
「え?……うーん、探すかな」
「行き先は見当がつくのですか?」
「……ない、かな」
「ではもし、行き先がわからなくなったらベルダに行きませんか?」
「ベルダ?」
「ええ、ベルダ山です。その山には六英雄の一人であるユーフィ様が住んでいるのです」
「ユーフィ……?」
「はい。ユーフィ様は偉大な魔術士であるとともに敬虔なジュアス教徒でもあります。彼女のところには色々な情報が入ってくるとも聞きます。彼女に会えば金色のガルザヘッサの情報を手に入れることができるかもしれません。ウィンドが金色のガルザヘッサを追っているのならいずれ合流できるでしょう」
「そうなんだ」
「どうですか?」
「わかった」
サラはリオの反応が予想通りであり、ほっとした。
「でもサラはいいの?」
「え?l
「だってサラは教団の任務があるんでしょ?」
(それは覚えてるのね)
「大丈夫です。私もユーフィ様にお話することがあるのです」
「そうなんだ」
次の日、
雨雲は去り、快晴であった。
二人は朝食をとってから出発した。
小屋から街道へ出る道、あるいは目印がないか調べてみたがそれらしきものを見つけることはできなかった。
「どうしてないんだろう?」
「相当長い間使われていなかったようですし、もしかしたらこの小屋は秘密にされていたのかもしれませんね」
「秘密?」
「理由はわかりませんが」
仕方なく、またもサラの直感を頼りに森を進み始めた。
しかし、サラの直感は外れまたもや森の奥深くへと進んでいた。
そして凶悪な魔物、ガドタークと遭遇したのである。
最初、ウォルーの襲撃を受けた。
このときリオに慢心があったことは否定できない。
雨により地面が緩んでいることに注意を払わず、リオは泥濘に足を取られて転倒した。
そこへウォルーが飛びかかる。
リオは転がりながらウォルーの攻撃を回避し体勢を整えた。
サラはリオとは違い優勢に進めていたが、すぐに加勢できる状況ではなかった。
もちろん本気を出せば別であるが、その迷いで対応が遅れた。
リオは突然背後に何かよくわからない気配を感じ、無意識に横へ飛んだ。
直前まで頭があった辺りを何かの腕が通り過ぎた。
「ガドターク?」
リオはその魔物の名を無意識に口に出していた。
ガドタークの姿はゴリラに近く全長は2メートルを軽く越す。
特徴的なのは足より長く太い腕だ。
もし横へ飛んでいなければその腕で殴り飛ばされ絶命していたかもしれない。
ガドタークはウォルーには目もくれずリオに向かってくる。
攻撃は力任せなものばかりだが、一発でも受ければ致命傷になりかねない。
サラに助けを求めたいところであったが、そんな余裕はなさそうであった。
リオを襲っていたウォルーが標的をサラに変更したからだ。
ガドタークの攻撃を避ける度にリオはサラからどんどん離れされていく。
そしてまたもや泥濘に足を取られ転倒した。
攻撃を避け転がるとその先は崖で、下へ転がり落ちてしまった。
「リオ!」
落下するリオの背にサラの声が聞こえた。
ガドタークも数メートル下のリオめがけて飛び降りた。
リオは素早く立ち上がり、飛び降りてきたガドタークが振り下ろした腕を避けた。
常人であれば落下の衝撃でこれ程早く立ち上がるのは不可能だったに違いない。
痛みに鈍いリオだったからできたといえよう。
リオの予想外の動きにガドタークに隙ができた。その機を逃さずリオはその胸に剣を突き立てた。
ガドタークは絶叫し暴れ回る。
その振り回す腕を避けるため剣を手放した。
リオは先程落ちたときに落とした盾を拾って構えながら内側に固定していた短剣を抜いて構えた。
だが、ガドタークは胸の傷が致命傷だったらしく、倒れ込むと動かなくなった。
「やった……⁉︎」
だが、安心するのはまだ早かった。
新たにガドタークが二体姿を現したのだ。
あのガドタークはリオを意図的にここへ誘い込んだのだ。
死体から剣を引き抜く余裕はない。
今持つ短剣だけで二体を相手にしなければならない。
例え剣を持っていたとしてもガドタークを一度に二体も相手にすることは、今のリオの実力では無理だろう。
一体倒せたのは相手に油断があったからで、自分の力が上だったからだとは考えていない。
(サラが助けに駆けつけてくれるまで何とか持ち堪えるしないかな)
当然のことながらガドタークにそんなことをさせる気は毛頭ない。
仲間を殺され更に凶暴になったガドタークが襲いかかる。
リオはガドタークの豪腕を盾で受け流そうとして失敗し体勢が崩れた。
そこにもう一体のカドダークの鉄拳がリオを襲う。
それを短剣でなんとか受け流したが、勢いで短剣を飛ばされてしまった。
背後で短剣が木にぶつかる音が聞こえた。
ガドタークの拳がリオに迫る。
リオには盾を構える暇もない。
(やられる)
そう思った時、何かがリオとガドタークの間に割って入った。
がぁん、と鈍い音を立てガドタークの鉄拳を弾いた。
それは棺桶、いや盾であった。
リオの身長を越える大きな盾が浮いていた。
それが何処からか飛んできてリオを守ったのだ。
リオはその機を逃さずガドタークとの距離をとり盾を構える。
狩りの邪魔をされたガドタークはその浮遊した盾に更なる鉄拳を食らわそうとしたが、それより早く盾が退いたため、バランスを崩した。
その直後、そのガドタークの右目に短剣が突き刺さるのをリオは見た。
ガドタークが悲鳴を上げる間もなく、その短剣が閃光を放ち爆発した。
ガドタークの頭が吹き飛び、その場に倒れた。
続いて閃光、そして爆発。
もう一体も崩れ落ちた。
あっという間の出来事であった。




