194話 異端審問官のカシウス
ジュアス教団の異端審問機関より派遣された部隊、異端審問官のカシウスを隊長とするカシウス隊六十六名がマルコの東に出現した魔の領域に到着した。
そこで周囲の街の教会から回復役として集められた神官達と第三神殿所属の神殿騎士団が合流した。
神殿騎士団と神官達は万が一に備えてのためで魔の領域へはカシウス隊のみが突入した。
カシウス隊の主力である異端審問官達は神聖魔法の使い手であるのに加え近接戦闘も得意とする。
冒険者達が苦戦を強いられた強力になったウォルーは言うまでもなく、ガドターク・ロードすら苦戦する事なく倒して奥へ進む。
「止まれ」
隊長であるカシウスの号令に部隊が停止する。
「情報によればこの魔の領域のボスはブレスを放つ。この地面の抉れた跡を見る限りそれは事実だろう。そいつが今も同じ場所に留まっているならここから先が射程圏内と言うことになる」
カシウス達が止まった少し先から中心に向かって地面が焼けて大地が剥き出しになっていた。
「実際に攻撃を受けた者の情報によればドラゴンの可能性があるとの事だ」
バカにするような笑い声が聞こえた。
カシウスがその者達に目を向ける。
彼らは執行者と呼ばれる者達であった。
執行者とは異端審問機関が各地から集めた孤児などを教団のために生きるように訓練・洗脳した者達である。
彼らは禁忌とされる薬物の投与や過酷な訓練により強靭な肉体を持ち、圧倒的な戦闘力を持つ。
ただし、執行者となるまでに多くの者が命を落とすことになる。
それだけでなく、生き延び執行者となった者も薬の副作用による精神破壊の危険を伴っていた。
何の前触れもなく、突然、精神に異常をきたし、見境なく殺しまくるのだ。
執行者の中でもそのように精神に異常をきたした者達は“心壊者”と呼ばれ、いつでも処分できるように即効性の猛毒が仕込まれた首輪をはめられ管理される事になる。
なお、この執行者の”作成方法“は非人道的な事から機密扱いとされており、教団内でも異端審問機関の重要なポストにつく者にしか知られていない。
カシウスの冷たい視線を受けても彼ら、心壊者達が怯む事はなかった。
彼らは首輪により、辛うじてカシウスの命令に従っているだけなのだ。
「その情報提供者ってのはナナルの弟子なんだろ」
一人がバカにした口調で言う。
それに呼応するように心壊者達が口を開く。
「ナナルの弟子って言っても泣いて逃げ帰って来たんだろ」
「ナナルも大した奴じゃないんじゃないか」
「ちげえねえ!」
「ははははっ!!」
「黙れ!」
カシウスの声に彼らは口を閉じる。
その前に舌打ちをして。
「ここから先はお前達に先行してもらう」
「俺達は肉盾かよ」
「そうだ」
カシウスは言葉を飾る事をしなかった。
「貴様らは罪のない者達を殺し、我ら異端審問機関の名を汚した。その罰を受けなければならない」
「いやいや。あいつらは異端だったぜ」
「そうそう。今はそうでも放っておいたら絶対教団に敵対したはずだ。間違いない!」
彼らは罪のない女子供を殺したにも拘らず全く反省することはなかった。
カシウスは彼らの反論を聞き流した。
彼らに同意したわけではない。
彼ら、心壊者には何を言っても無駄である事がわかっていたからである。
「今回の任務は貴様達の汚名返上のチャンスだ。この任務が成功した暁にはその首輪を外してやろう」
カシウスの言葉に今回の作戦に参加した心壊者の六人全員が奇声を上げる。
「ここの魔の領域のボスはドラゴンである可能性が高いとの事だが、お前達の任務はボスの確認だ。ボスを発見したら戦いをせず、一度ここへ戻って来い」
「おいおい、えらい弱気だな。俺達がナナルごときの弟子以下だって思ってのか?」
「そんなガキと一緒にすんじゃねえ」
「第二神殿のナナル神官長に連絡をとり確認したが、情報を提供したサラ二級神官の腕は確かとのことだ」
「かっー!二級神官だってよ!やっぱ雑魚だろ雑魚雑魚ザコざー……ザコ?」
(……マズイな。理性を完全に失うまでそう時間はないな)
「おい、カシウス隊長どの。別に俺達で倒してまってもいいんだろ?」
「そうだぜ!偵察なんてまどろっこしいことやってられっか!」
「ボスはドラゴンかもしれないんだろ。そんなの殺れるチャンスは滅多にないんだぜ!」
「ヤル、ヤ……ヤル……」
「……好きしろ。ただし、ボスの情報は絶対に連絡しろ。ーー以上だ。行け!」
ひゃっはー!
などと奇声を上げて走り出す心壊者達。
心壊者達の姿が小さくなった頃、カシウスは隊に号令をかけた。
「ここからは六人一組だ。三人でエリアシールドを張り、交代しながら進むぞ」
神官が使う防御魔法には二種類存在する。
一つは魔術士も使う個人にかける魔法と、もう一つは人ではなく一定エリアにかける魔法である。
前回、サラがブレスから身を守るために使用したのは一定範囲にかけるエリアシールドだ。
エリアシールドは個人にかけるシールドより強力であるがエリアシールド内から攻撃はできない。
またエリアシールドを張ったまま移動も可能であるが、コントロールが難しくその歩みは自然と遅くなる。
カシウスの言葉に隊の一人が控えめに質問をする。
「隊長、それは流石に慎重過ぎではありませんか?サラという二級神官は一人でブレスに耐えたのでしょう?」
「念のためだ。まだ敵の正体がわからないのだ。前回の攻撃が全力だったのかも不明だしな」
「了解です。余計なことを申しました」
「構わん。貴様と同じ事を思っていた者もいただろうからな」
カシウスが何故ブレス対策を心壊者達に告げなかったのか。
それは、彼らはもう人の言うことをまともに聞かないからというのが理由の一つだ。
今回は猛毒が仕込まれている首輪(カシウスが毒を流すスイッチを持っている)があるから最低限の命令をきいているのだ。
しばらく進むと心壊者の一人が戻ってくるのが見えたのでカシウスは隊を停止させるが、エリアシールドはそのまま維持させる。
「ボスは見つかったか?」
「ああ!ドラゴンだ!ブラックドラゴン!それもかなりでけえ!」
「起きているのか?」
「いや、眠ってるみたいだ」
「大きさだが、かなりとは具体的にどれくらいだ?」
「ははっ!すぐに見せてやるぜ!死体だけどな!大人しくそこにジッとしてな!」
そう言うと心壊者は来た道を戻って行った。
カシウスは内心舌打ちをしながら隊に命令を下そうとした。
「全員、ここで待機する。シールドはしっかり維持し……」
言葉の途中で強烈な炎が襲いかかってきた。
ブレスだった。
「各自被害報告!!」
三枚のシールドを張っていたお陰で死者は出なかったが、完全には防げなかった者もいた。
だが、それでも軽い火傷で済んでいた。
カシウスは即座に命令を下す。
「全員、後退する!エリアシールド三枚を厳守!怪我した組は交代要員も一人参加!四枚にしろ!」
カシウスは想定内だというように表情を崩さなかったが、内心では驚きを隠せなかった。
(……危なかった。ナナルの話を信じていなかったら今の一撃で全滅していたところだった)
カシウスはナナルの弟子というサラの腕がどの程度なのかナナルに確認を取っていた。
その返事の手紙を読み、笑ってしまった。
「サラがエリアシールドを張って厳しかった、というのであれば二枚、出来れば三枚重ねて進む事を提案する」と書かれていたのだ。
カシウスは最初、それは大袈裟だと笑ったのだが、来る途中に考えを変えた。
ナナルの言う通りやってみて、「あなたの言う通りやったら恥をかきました」とナナルを馬鹿にしてやろうと思い直したのだ。
カシウスはナナルと面識はなかったが、英雄呼ばわりされているナナルの事を面白く思っていなかったのだ。
だが、実際は三枚でも危なかったというわけだ。
(ーーこれは感謝せねばならないな。流石、六英雄と呼ばれるだけのことはある。いや、違うな。その英雄が育てたサラが凄いのだな)
カシウスは左腕に付けた腕輪を見た。
さっきまで装飾の宝石が六つとも赤く光っていたが、今は全て光を失っていた。
この腕輪は心壊者の首輪とリンクしており、猛毒注入スイッチ兼生存確認用の魔道具であった。
光を失ったと言う事は、その者が死んだ事を意味する。
カシウスが心壊者達にブレス対策を話さなかった真の理由、それは最初から心壊者達を生かして帰す気はなかったからだ。
心壊者になった者が元に戻る事はないので当然の処置と言える。
これはカシウス個人の考えではなく、異端審問機関の上司からの命令であった。
魔の領域を消滅させるのに無傷で任務を完了するより犠牲者を多少なり出した方が教団が奮戦していることを各国にアピールできるだろう。
ならばその役目を彼らに与えよう、
というのであった。
(うまく邪魔者が処理できたな。ボスがドラゴンも想定通りだが、強さは想定外だ)
カシウスは今のブレスで早々に短期決戦を諦めた。
魔の領域の魔物を減らせばボスが弱くなるはずなのでボス以外の魔物討伐を優先することにしたのだった。




