177話 ザラの森の討伐隊
アリスはジュアス教団、第三神殿所属の二級神官である。
近年、魔法を授かる神官が減少している中で四つの魔法を授かっているアリスは優秀といっていい。
冒険者ランクはDであるが、神官が冒険者になる時の特典を利用したもので、依頼を受けた事は一度もない。
教団の務めに従って神殿騎士団に同行したことはあるが、直接戦闘することはなく、戦いの後、騎士達を魔法で治療したくらいだ。
ゆえに実戦経験はないといってよかった。
アリスは第三神殿からマルコの街へ乗合馬車で来た。
一級神官のフラースに信頼出来るCランク冒険者のパーティを紹介してもらい彼らと一緒に来たのだ。
道中、野盗や魔物に襲われる事なく、ここまでは平穏な旅だった。
アリスはマルコギルドで彼らのパーティに入るはずであったが、ゴンダスの強制依頼のせいでその予定はあっさりと崩れた。
アリスはザラの森へ向かう討伐隊の一員にされ、彼らは東の草原、魔の領域攻略隊へ回されたのだ。
その彼らだが、マルコに帰って来てもアリスをパーティに入れてくれるか怪しくなっていた。
彼らも例に漏れず、同じ東の森へ配属された“鉄拳制裁のサラ”をパーティに入れたいと思っていたからだ。
アリスは何故こんな日にマルコの街に来てしまったのかと自分の不幸を呪った。
今、アリスの視線はひとりの冒険者に向けられていた。
その冒険者の名はリオ。
アリスにはリオが駆け出しの冒険者に見えた。
(噂では一緒に冒険者をしている神官、鉄拳制裁のサラさんは彼を勇者だと思っているということだけど……)
リオはポツンと一人でいた。
アリスのようにリオに興味を向ける者はいたが話しかける者はいなかった。
視線に気づいたのだろう、リオがアリスへ視線を向けた。
そして首を傾げる。
誰だっけ?
と思ったようだ。
アリスはリオに思い切って声をかけることにした。
あの鉄拳制裁のサラが勇者と思っているはずのリオに少なからず興味があったのだ。
「ジロジロ見てごめんなさいっ。あなたに少し興味があって……」
「……興味?僕に?」
リオが更に首を傾げる。
「先程、自己紹介しましたがっ、わたしはジュアス教団の神官アリスですっ。あなたはリオさん、ですよねっ?」
「そうだよ。もしかしてどこかで会ったかな?」
「いえっ、初対面ですっ。あなたの事は以前から噂で知っていましたっ」
「噂?僕の?」
「あなた、というよりはあなたと一緒に冒険しているサラさんですっ」
「そうなんだ」
リオは納得したというように頷いたが、その表情はほとんど変化はない。
「一時的にとはいえ、強制的にパーティを解散させられて災難でしたねっ」
「そうだね」
リオの口調、態度からは本当に災難だと思っているのかわからなかった。
アリスは本来、人見知りで、自分から話しかけるタイプではない。
だが、初めての実戦といっていい魔物討伐を前に不安を忘れるために口数が多くなっていた。
ザラの森へ討伐に向かうメンバーは、神殿騎士団に同行した時と比べて人数が少なく、練度も低そうに見えた。
リオとは初対面であったが、とっつきにくい感じはしないし、そばにいると何故か安心できた。
「サラさんと別行動は初めてですかっ?」
「そうでもないよ」
「そうなんですねっ。そのっ、サラさんがいなくて不安はありませんかっ?」
「不安?」
リオはまたも首を傾げる。
(最初見た時も思ったけどっ、リオさんは少し頭が弱いのではっ?)
「そういえば……えーと……ま、いっか。君のパーティは?」
「アリスですっ」
リオの呟きから自分の名前を覚えていないとわかり、やや強めの口調で再び名乗るアリス。
「私は一人なんです。実は……」
「追放されたんだね」
「え?」
「よくあるらしいね」
「ち、違いますっ!わたしはまだ……」
「追放された後で自分の真の能力に気づく事があるらしいよ」
「ですから追放なんてされていませんっ!」
(そもそもパーティすら組んだことないのにっ!)
「その後、見返してやるらしいんだけど具体的に何をするの?」
「……リオさんっ、わたしの話聞いていますっ?」
「ああ、“アリエッタ”が追放した側なんだね」
「どっちも違いますっ!」
「ん?どっちも?」
「わたしの名前はアリエッタではなくアリスですっ」
「うん、知ってた」
(絶対嘘よっ!)
アリスはそう絶叫したくなるのをどうにか抑えこむ。
こんなところで大声を出して注目を集めたくはない。
ふうふう、息を整える。
「緊張してるんだね」
(違いますっ!あなたとの会話に疲れたんですっ……わたしっ、からかわれてるっ?それとも思った以上にリオさんはバ……頭が弱い!?)
リオがどういう人物なのか会ったばかりのアリスにはわからない。
ただ、先程まで感じていた緊張がすっかり消えていた。
リオとの会話は案外、自分をリラックスさせるのに役に立った事を知る。
とはいえ、心にモヤモヤした感じが残りはしたが。
ザラの森へ魔物討伐に向かった冒険者は十二名。
目撃されている魔物はウォルーの群れで推定三十頭ほど。
ウォルーはEランクに分類される狼のような姿をした魔物で、単体ならそれほど脅威ではないが、数が増えると一気に危険度がアップする。
ベテラン冒険者ですら、数の暴力の前には無力だ。Bランクパーティが全滅する事さえある。
決して油断できる相手ではない。
ザラの森の魔物討伐隊のリーダーとして選ばれたのは討伐隊唯一のCランク冒険者であるネイルだった。
クラスは戦士として登録されているが多少魔法も使える、いわゆる魔法戦士であった。
ネイルは現在のパーティに不満を抱えていた。
特に神官だ。
半ば脅すような形でパーティに入れたその神官の力はネイルを満足させるものではなかった。
パーティに入れてから半年以上経つのに新しい魔法を一つも授からないからだ。
本人がパーティから離れたがっているのは知っていたが、神聖魔法が使える神官は貴重で、能力に不満はあっても手放す事は出来なかった。
そんな折にこの強制依頼だ。
ネイルはこの機会を逃すまいと考えていた。
狙いは言うまでもなくサラだ。
パーティからのメンバー引き抜きは反感を買うが知ったことではない。
自分達、いや、自分の生存率を高める以上に大事な事などない。
サラはランクに関係なく魔の領域攻略隊に選ばれると考えており、その読みは当たった。
問題はネイル自身だった。
ネイルも魔の領域攻略隊に選ばれるものと思っていたのだ。
しかし、結果は見ての通り、ネイルはザラの森の魔物討伐隊のリーダーに選ばれてしまったのだった。
実績を請われてと頼まれれば嫌と言えないし、そもそも断ればギルドの印象を悪くする。
特に今のギルマスのゴンダスは何をするかわからない。
こうしてサラの目の前で活躍して自分を売り込む、というネイルの作戦は実行前に消滅した。
(……だが、完全に運に見放されたわけじゃねえ)
ネイルが値踏みするような視線をリオに向ける。
(はっ、あれがナナルの弟子が勇者候補と見てる奴だってか?笑っちまうぜ)
ネイルの顔に残虐な笑みが浮かぶ。
(もし、勇者候補とみていた奴が“うっかり魔物に殺されたら“どうなるんだ?当然、新しい勇者候補を探すよなぁ)
ネイルは大多数の冒険者と同じく勇者なりたいと思っており、なれる自信があった。
思案に耽るネイルに話しかける者がいた。
「ネイル、何悪巧みしてんだ?」
「ジェイソンか。失礼な奴だな。俺のような紳士に向かってよ」
ジェイソンはネイルのパーティメンバーでクラスは戦士だ。
「何?紳士?どこにいんだよ?」
わざとらしく視線をさ迷わせる振りをするジェイソン。
「おいおい、探す必要はねえだろ」
「はははっ。ま、お前が考えてる事はわかるけどよ」
「ほう、言ってみろよ」
「戦場じゃ何が起こるかわからねえよなぁ」
「……ああ、そうだ」
(やっぱ、付き合いが長えからわかってんじゃねえか)
実はネイルは討伐隊のリーダーを引き受けるにあたり、ギルマスのゴンダスに条件を出していた。
それはリオをこちら側、ザラの森の魔物討伐隊に参加させる事である。
ゴンダスはサラに嫌がらせが出来ると二つ返事で快諾したのだった。
「あ、あの……」
「なんだぁ?」
ネイルが同じパーティの神官、カールを睨む。
カールはその視線に怯えてオドオドしながら言った。
「あ、いえ、その、この依頼が終わったら……」
「わかってる。その話はこの依頼が無事達成した後だ」
「はい、それじゃあ、あとで……」
(コイツ、ホントイライラさせるよな……あのガキと一緒に殺っちまうか……)
「なあ、ネイル、あの女も悪くねえんじゃないか?」
「あの女?」
「あのガキと話してる女神官だ」
「……ああ」
ネイルがリオの隣にいる女神官に目を向ける。
(確か名前はアリス、だったか。Dランクなのは神官様特権の飛び級だろうな。実戦経験はほとんどないって言ってからな。実際に戦いになってみないとわからねえが、恐らく今回の討伐では使えねえ。まだカールの方が役に立つだろう。だが、確かに容姿は悪くねぇ……)
「“夜の癒し役”としては合格じゃねえか」
「ああ」
ジェイソンが頷くのを見てネイルは言葉に出していたことに気づく。
(ちっ、俺様とした事が迂闊だぜ。他の奴らには聞こえてねえだろうな……大丈夫だな)
ネイルの言動を問題視する者は少なくないが、腕がいい事は確かだ。
ゆえにリーダーに選ばれもする。
「……にしても、あのガキ、邪魔だな」
「ああ」
ネイルはアリスもサラと同じくリオに勇者としての資質を見出したのでは勘繰る。
その考えに笑ってしまったが、一旦そう思うとその考えは消えず、ネイルの心をイラつかせる。
「……あのガキが魔物に“ウッカリ殺されない“ように気をつけてやらないとな」
「ふふふ。お前は相変わらず優しい奴だなぁ」
「照れるぜ」
「……」
「なんだカール、言いたことがあるならはっきり言え」
「あ、あの……いえ、なんでもないです」
カールの後ろ姿に見ながら、“こいつも魔物に殺されないように注意してやらないとな”と“決心する”ネイルだった。




