109話 初めての眠り
目が覚めたサラは自分がどこにいるのか思い出すのに少し時間がかった。
頭痛を覚えながら昨夜の事を思い出す。
(……やってしまった。ナナル様に酒は飲むなと注意されていたのに)
自分の大失態に別の意味でも頭が痛くなってくる。
その時になってようやく自分に抱きついている者がいる事に気付いた。
リオであった。
正確にはサラがリオを抱きしめていたのであるが。
サラは鼓動が激しくなるのを抑えながら、どうしてこうなったか思い出そうとする。
リオに連れられて部屋に入り、説教を始めたところまでは覚えている。
だが、それも途中までだ。その後の記憶はプッツリと途切れ、目覚めたらベッドでリオと抱き合っていた。
そっとリオから手を離し、自分の体に“異常”がないか確かめる。
(服は着てるし、最悪の状況ではないようね。全く何もされなかったかはわからないけど……)
ふと視線を感じた。
ヴィヴィだった。
サラは動揺していてヴィヴィも同室である事をすっかり忘れていた。
ヴィヴィは何も言わずサラを見ていた。
今のヴィヴィは仮面をつけておらず、露わになった美しい顔に冷めた笑みを浮かべていた。
(昨日の事、当然知ってるのよね。何があったか知りたいけどヴィヴィに聞くなんて嫌よ)
沈黙を保っていたヴィヴィが口を開いた。
「無様だな」
「な、」
「男日照りだからと言って、酔ったふりして男をベッドに引きずり込むとは」
「な、な……」
「うむ、なるほどな。教団はそうやって信者を増やしていくと言うわけか」
「ち、違うわよ!」
「ほう?どう違うのだ?」
「そ、それは……、だ、大体私はリオをベッドに引き込んだりしていません!」
「ほう。ではなぜ今そのような状態になっているのだ?」
「そ、それは……」
「覚えていない、か」
「く……」
「これが大陸最大の勢力を誇るジュアス教団の神官様とは笑えるな。ははははは」
ヴィヴィの笑いはワザとらしい、人の神経を逆なでする笑いだった。
「ヴィヴィ!私の事ならともかく教団までバカにする事は許しません!……あっ」
サラは起き上がる際に勢い余りリオがベッドから転がり落ちた。
ごん、と鈍い音がして「痛い」とリオが呟いた。
目をこすりながらゆっくりと立ち上がるリオ。
リオは状況がつかめていないようでキョロキョロと辺りを見回す。
ヴィヴィはサラには目もくれずリオに声をかける。
「うむ?どうした?」
「あ、ヴィヴィ、もしかして朝?」
「うむ」
「そうなんだ」
どこか不思議そうな表情をするリオ。
「どうかしましたか?」
サラもヴィヴィの事は後回しにしてリオに尋ねる。
「うん?あ、おはよう、サラ」
「おはようございます。それで何か気になる事でも?」
「うん?いや、そうじゃないけど」
「うむ、もしや下半身に疲労が溜まってるのか?」
「ん?下半身?」
「ヴィヴィ!リオ、ヴィヴィの言う事は無視していいです!」
サラは例え何かあったとしても“最後まで”は行っていない、それだけは自信があった。
「うむ。証拠隠滅を図る気だな」
「どこがよっ!」
「ところでリオ、昨日のことなのですが……恥ずかしながら部屋に戻った後の記憶がないのです」
「嘘つけ」と背後から聞こえたがサラは聞き流す。
「昨日のことを教えてもらえませんか?」
「うむ、私が教えてやっただろう。性交目的でリオをベッドに引きずり込んだはいいが、酒の分量を間違えて最後まで出来なかった、というわけだ」
「あなたには聞いていません!」
サラがヴィヴィを睨みつける。
魔装士の武装を解除している今ならヴィヴィを排除するのは容易いわね、と一瞬頭に浮かんだ考えをサラは頭を振って打ち消す。
「サラ、どうしたの?」
「煩悩を必死に打ち消そうとしているのだろう」
(あなたへの殺意をよ!)
「いえ、昨日お酒を飲み過ぎて少し頭痛がするんです。でも大した事はありませんので気にしないでください」
「うむ、“自業自得”と言う言葉を贈ろう」
サラはヴィヴィを無視する。
「それで、昨日は何があったのですか?」
「サラをベッドに寝かした後、僕はまた食事をしに行ったんだ。それで部屋に入ったらサラが起きてて僕に文句を言い始めたんだ」
「説教でしょう」
(全然覚えていないけど)
「それで、うんうん、適当に返事しながら……」
リオの頭が不意に下を向いた。
サラに殴られたのだと気づく。
「僕、なんで殴られたのかな?」
「説教を真面目に聞いていなかったからです」
「そうなんだ」
「『そうなんだ』じゃありません。真面目に聞きなさい」
「でも前に酔っ払いの言う事は聞くなってべルフィに言われたんだ」
「うむ。正論だな」
「く……」
実際、サラは説教した記憶がないので真面目に説教できたか自信がない。
「すみません、今度からは酔ってない時に説教します」
「別にいらないよ」
リオの頭が不意に下を向いた。
サラに殴られたのだと気づく。
「僕なん……」
「話はキチンと聞きなさい。そして守りなさい」
「そうなんだ」
「『そうなんだ』じゃありません」
「わかった」
「それでいいんです。なんでこんなに話が逸れるんでしょう」
「僕が悪いのかな?」
「うむ、気にするな。その女は人のせいにしないと気が済まないのだ」
「あなたは黙っててください。話が進みません」
「うむ、偉そうだな。自分が悪い癖に」
「く……」
「サラ?」
「いえ、続けてください」
「うん。で、僕がサラをベッドに寝かせようとしたら、『まだ話は終わっていません』だったかな?そんな事言って僕にベアハッグをかけてきたんだ」
「……それで?」
「多分すごく痛かったと思う」
「そんな感想はいいです。それで?」
「うん、それでそのまま文句……説教をしてたんだけど」
サラが睨んできたのでリオは言い直した。
「だけど?」
「僕もそこから記憶がないんだ。僕も“眠って”しまったようなんだ」
サラはリオが“眠る”という言葉を使ったときにどこか違和感を覚えたが、ヴィヴィから他のメンバーがすでに下で朝食をとっていると聞き、確認するのは後回しにすることにした。
リオとサラは素早く身支度を済ませて部屋を出た。
ヴィヴィは朝食をいつもの携帯食で済ませたとの事で一人部屋に残った。
「昨日は申し訳ありませんでした」
サラは開口一番ウィンドの面々に謝罪した。
「ほんとだよっ!誰彼構わず噛みついて、とても神官様とは思えない醜態だよっ!」
「……」
ローズの言葉に「それ、お前が言うか」と皆がぽかんとする中でサラで再び頭を下げた。
「申し訳ありません」
サラはローズに言われるのは心外だが、言っていることは間違っていない。
ベルフィは笑いながら言った。
「次からは気をつけてくれ」
「はい……」
ナックがニヤけた表情でサラを見る。
「ねえ、サラちゃん」
「……なんでしょうか?」
「昨日はお楽しみでしたね!」
「何もしてません」
ムッとした表情で間を置かず言い返すサラ。
「リオ、サラちゃんはあんな事言ってるけど実際はどうなんだ?」
ナックはまだサラをからかい足りないようで今度はリオに問いかける。
サラはカリスが食い入るように見つめているのに気づいていたが無視。
「しつこいですね!私達は何もして…」
「初めてだった」
「は?」
「何だとっ?!」
大声を上げ立ち上がったのはカリスだった。
ハッとしてすぐ腰を下ろすが、リオを睨みつけ射殺す勢いだった。
「ちょっ、ちょっと何を言い出すんです!?」
「目を開けたら朝だったんだ」
「……は?」
みんなが「何言ってんだ、こいつ」という表情をする。
どうやら”お楽しみ“の事ではなさそうだとわかりほっとしたカリスの殺意が小さくなる。
サラがリオが言った意味について尋ねる。
「あなたは一体何を言っているのですか?」
「僕、眠ったことがなかったんだ」
「……意味がよくわからないのですが、まさか今まで眠ったことがなかった、というのですか?」
「うん。少なくとも冒険に出てからは一度もないよ」
肯定するリオに今度はナックが珍しく真剣な表情で確認する。
「いやいや!ちょっと待てよ。お前、本気で言ってんのか?」
「うん」
「サラちゃんやヴィヴィに冗談の言い方を教わったんじゃないのか?」
「違うよ」
「でもよ、やっぱおかしいだろ。俺、お前に何度か『よく眠れたか?』って聞いたことあったよな?そんときお前、『うん』って答えてたじゃねえか?」
「目をつぶって体を休める事が“眠る”って意味だと思ってたんだ。だからみんなが“よく眠れた“とか“眠って頭がスッキリした”とか言う事あったけど僕には全く意味がわからなかった」
「「「「「……」」」」」
「じゃあ、お前、本当に今までずっと起きてたっていうのか?」
「うん。だけど、昨日は違ったんだ。朝になるのを待つ必要がなかった。気がついたら朝だったんだ。頭がスッキリしているような気がするんだ。これが眠るって事だったんだね。僕、やっとみんなの言ってる事がわかったよ」
リオのなんとも信じがたい話を聞いて酒場のべルフィ達のいる一角だけがしん、と静まり返る。
リオの話は到底信じられるものではなかったが、思い当たる節がないわけではなかった。
夜襲を知らせるとき、リオはすぐに起きてきた。
冒険者になる前のリオは戦闘には全く役に立たないが、寝起きの悪い仲間を起こすのには重宝していた。
眠りが浅いか、目覚めがいいのだと思っていたが実は最初から起きていたのだ。なら対応が早いのは当然だった。
静寂を破ったのはローズだった。
「そんなバカな話があるかいっ!眠ったことがないっ?はっ!ありえないねっ!こいつはバカだから眠ってるのに気づいてないだけさっ!きっとそういう夢を見てたのさっ!」
「そうなんだ」
リオは相変わらず感情のこもっていない声で応えた。




