Interlude-Primula 心の憩い
アタシ――プリムラが女王として立った初めての戦争は、よく分からないうちに終わった。勝利には間違いないし、国民たちが喜んでいるのに水を差すつもりもない。でも、個人的には釈然としない気持ちがあったわ。
だって、アタシ個人は、誰にも勝っていないから。何も仕事をしていないから。天翼族の青年には結局逃げられてしまったし、敵軍を退かせたのもゼクスの功績だ。やはり、素直には喜べない。
色々割り切ったとはいえ、アタシのそういった部分はまるで変っていなかった。嫉妬深く、功績や評価にこだわる強欲で醜い自分は、何一つ変化していない。
そりゃそうだ。見つめ直したら直るようなものでもない。ネガティブなところも、アタシを構成する要素なんだし。そんな闇とどう向き合うかが、『殻の洞窟』の試練で問われた内容だったんだ。
正直、アタシはカロラインみたいに、『嫉妬することの何が悪い!』なんて開き直れないわ。嫉妬は悪いことだと思うし、醜くも感じてしまう。
それでも試練を乗り越えられたのは、『醜いアタシでも女王には変わりない』、『アタシのような女王がいても構わない』と割り切ったからよ。これからも、無様に這いつくばりながら女王を続ける。そういった覚悟を、あの試練で決めたつもり。
これが正しい選択だったのかは分からない。でも、後悔しない選択なのは間違いないわ。
「ふぅ」
ふと、息を吐くアタシ。走らせていた筆を止め、それを持つ手をグネグネと解した。
アタシは今、私室にて書類仕事を行っていた。国家存亡の危機でも、女王に書類仕事は回ってくるのよ。暫定政府と大差ない状態だから、サインを記入するだけの簡単な作業だけどね。
今後、本格的な仕事が舞い込んでくるかと思うと、少し気が滅入る。王女時代、この手の作業はまったく触れていなかったから、余計に疲れるのよ。
しかし、弱音は吐いていられないわ。配下たちはアタシ以上の仕事量をさばきつつ、フォラナーダの課す訓練もこなしているんだもの。
「とはいえ、そろそろ休むか」
時計の短針は、あと少しで頂点を超える。明日も地獄の修行が待っている以上、無理はできなかった。
アタシが手元のハンドベルを鳴らすと、三秒と置かずノックが響き、一人のメイドが入ってきた。
「失礼いたします、陛下」
慇懃に一礼するのは、アタシの幼馴染みであり、傍仕えのヴェロニカだった。
頭を上げた彼女は尋ねてくる。
「どのようなご用向きでしょうか?」
「今日はもう休もうと思ってね。こっちはサイン済みの書類だから、片づけてちょうだい」
「承知いたしました。お休みということでしたら、安眠効果のあるハーブティーをご用意いたしましょうか?」
「そんなもの、残ってたの?」
「ゼクスさまが譲ってくださりました」
「なるほどね。せっかくだし、いただくわ」
「はい。少々お待ちください」
アタシの肯定を受けたヴェロニカは、テキパキと作業を始める。指定した書類の片づけとお茶の準備を、手際良く並行して行っていった。
相変わらず、そつのない子だ。国がこんな状態でなければ、結婚相手も引く手あまただったろうに。
我が国の貴族は基本的に十五で婚約し、十八で結婚する者が多い。十五歳のヴェロニカは、見事に適齢期だった。
結婚のみが幸せとは言わないけど、幸せの一片を削ってしまったことは申しわけなく思う。アタシがもっと強ければ、なんて不遜な考えが脳裏に浮かぶ。
……いけない、いけない。すぐにネガティブな思考に走るのは、アタシの悪い癖だ。気を付けないと。今は、ヴェロニカが用意してくれるハーブティーを楽しもう。
次第に、室内には心地良い香りが漂い始めた。決して強い香りではないものの、スゥと体に染みるような、落ち着く匂いである。
「お待たせいたしました」
そう言って、ヴェロニカがティーカップをアタシの前に置く。ゆらゆらと湯気が立ち、先程よりも濃い香りが鼻腔をくすぐった。
早速、一口いただこうと手を伸ばしかけたんだけど、アタシは一つの問題に気づいた。
「あなたの分は?」
「わたしはメイドですので」
メイドは主人と飲食をともにしない。暗にそう語っているのが分かった。
アタシは溜息を吐く。
「アタシとあなたの仲だし、気にしないわ。自分の分も用意しなさい」
「しかし――」
「しかしもカカシもないわ。それに、さっきから気になってたけど、言葉遣いも変なのよ。ここにアタシたち以外の耳目はないんだから、いつも通り話してちょうだい。……反論は受け付けないわよ?」
「………………はぁ」
長い沈黙の後、今度はヴェロニカが溜息を吐いた。
彼女は取り出したもう一つのカップへ、ポットのお茶を注ぐ。それから、アタシの対面に椅子を用意して腰かけた。
「女王になっても、その頑固なところは変わらないのね」
「簡単にヒトが変わるなら、誰も苦労や悩みはしないわよ」
「それもそうね」
若干呆れ交じりの同意を得たところで、ようやくカップに口をつける。
すると、アタシたちは同時に言葉を漏らした。
「「おいしい」」
疲れた体に染み渡るような、そんな優しい味だった。確かに、これなら安眠を手助けしてくれそうである。
ただ、それ以上に気になったのが、ヴェロニカもお茶の味に驚いていた点だった。
「まさか、味見してなかったの?」
こっちの指摘に、彼女はバツが悪そうにソッポを向く。加えて、出来損ないの口笛も吹く始末だった。
アタシは半眼をヴェロニカに向ける。
「仮にも女王へ提供するお茶なのに、それはどうなのよ」
「が、害の有無は、ちゃんと確認したから」
「それは最低限の義務よ。どうせ、貰った茶葉を早く使ってみたかったとか、そんな考えだったんでしょう?」
「うっ」
言葉に詰まる彼女を見て、図星だと把握するアタシ。
ヴェロニカは、趣味に関しては猪突猛進になる悪癖があった。お茶や掃除などで、その顔をよく見せるのよ。
まぁ、欠点らしい欠点を持っていた方が、ヒトとして好感を抱けるけども。
少し笑みを溢しつつ、アタシは彼女に問うた。
「あなたから見て、このお茶はどう?」
「素晴らしいわ。もっとたくさん貰いたいくらい!」
即答である。それほど、彼女のお眼鏡にかなったらしい。
アタシはさらに笑みを深める。
「じゃあ、折を見て、ゼクスに頼んでみるわ」
「えっ、いいの?」
「構わないわ。これくらいで機嫌を損ねるほど、彼も狭量じゃないでしょう」
ゼクスとは短い付き合いだけど、その程度は分かる。色々とインパクトが強すぎるのよ。
それに、普段世話になっている幼馴染みへの小さな恩返しと思えば、このくらいの手間はワケないわ。
「ありがとう!」
うん。口約束だけでも、満面の笑顔を見せてくれるんだ。ちゃんと約束は履行しよう。
その後も、アタシたちは雑談を交わす。
お茶の効果もあってか、久方振りにリラックスして楽しめた気がした。
ただ、雑談の中で笑えなかったことが一点。
フォラナーダから訓練を受けている配下たちが、二つの派閥に割れているらしい。
すわっ、内乱勃発か!? と肝を冷やしたが、何てことはない。オルカとニナ、どちらの教官が素晴らしいかという、実に下らない内容だった。
いや、当人たちは本気なんだろうけど、そんなことで言い争える体力があるなんて、ずいぶん余裕なのね。
その話を聞いたアタシは、頬を引きつらせるしかなかったわ。
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余談:オルカ派は男性が多く、ニナ派は女性が多い。
次回の投稿は明日の12:00頃の予定です。




