Interlude-Mikotsu 嫌な空気
わたし――実湖都たちが異世界に召喚されてから早四ヶ月が経過した。つまり、一シーズン以上もこちらの世界で生活したことになる。
正直、わたしは恐怖を思い出し始めていた。これまでは今の環境に慣れるのに必死だったけど、四ヶ月も経つと余裕が生まれてくる。余裕が生まれると、余計なことを考えてしまう。わたしたちは元の世界に帰れるのかどうか、という不安が頭を過るんだ。
帝国がわたしたちを手放すつもりがないのは、彼らの対応で察していた。あからさまに懐柔作戦を実行しているんだもん。何人か、この国で恋人を作ったクラスメイトもいた。
だから、わたしと親友の友里恵ちゃんの二人で情報を集めていたんだけど、状況は芳しくない。
いや、分かっているんだよ。伝手を作るところから始めるなら、四ヶ月程度では目的の情報なんて収集できるはずがないなんて。それでも、不安は湧いてきてしまうんだ。向こうに残してきた家族を想うと尚更。
たぶん、ホームシックってやつだ。幼い頃、初めての海外旅行を経験した時に、同じような感覚になったことがある。昔と違って、今は望んでも帰れないけど。
……今までの話題とは大きく変わるけど、”不安なこと”繋がりでもう一つ。
最近のクラスメイトたちの空気は、とても嫌な感じである。
仲違いしているとかではない。むしろ、逆かな。つい一ヶ月前までは派閥ごとにバラバラだったけど、今は一丸になって行動している。
じゃあ、何が『嫌な感じ』なのかって?
その一丸になる流れが嫌なんだ。何て言うのが的確だろう……強い同調圧力があるって言えば良いのかな?
キッカケは、間違いなく喜文字蔵助くんの死。彼がカタシット聖王国という隣の国で殺されたと知らされてから、わたしたちの空気は一変した。
一大派閥のリーダーである師子王くんが、喜文字くんを殺害した相手を法律の下で裁こうと、今まで以上に気合を入れ始めたんだ。すでに基礎訓練は卒業しており、帝都内および周辺地域限定だけど、外での活動も認められている。
さらに厄介なのは、他派閥のメンバーにも力を貸すよう声を掛けてきていること。彼らの派閥は冒険者を始めたらしく、依頼に合わせて追加人員の招集しているんだ。しかも、『クラスメイトを弔うためなんだ!』と、圧力をかけて。
皇帝からの覚えがめでたい上、第一皇子や第五皇女とも懇意。加えて、表向きは最大戦力となっている師子王くんたちの派閥に逆らえるわけがない。わたしも、『高度なテレパスの使い手が必要だから』と、何度か冒険者の仕事を手伝わされていた。
他のみんなにとっては外に出る希少なチャンスなんだろうけど、わたしの場合は抜け道を知っているからなぁ。ほとんど骨折り損なんだよね。
その点、友里恵ちゃんは上手く立ち回っている。だって、わたしや協力者さん以外には実力を隠しているんだもん。お呼びがかかるわけがなかった。わたしも、テレパスが使えるなんて公表しなければ良かったよ、とほほ。
ちなみに、喜文字くんが殺された経緯は不明である。他国での事件ゆえに、帝国も詳細は把握していないんだとか。
それも、わたしのやる気を削いでいる一因だ。絶対に怪しいもん。どこまで知っているかは分からないけど、”殺された”って部分だけ把握しているのは不自然すぎる。帝国は、意図的にわたしたちに与える情報を絞っているんだろう。
帝国は何を考えているのか分からず、クラスメイトの最大勢力は己の正義に酔っている。本当に嫌な空気だ。
「わたしも、頑張って外出権利をもらおうかなぁ」
自主練の終わり。夕暮れの訓練場の隅に座り込み、できもしない妄想を口にする。
基礎訓練の最終テストを合格すれば、城の外に出る許可をもらえる。抜け道から外出できるとしても、堂々と振舞えた方が面倒は少ない。少なくとも、師子王くんたちの要請は回避できるし。
でも、わたしには難しかった。超電能力があろうと、運動音痴には厳しい合格ラインなんだ。嗚呼、才能が恨めしい。
「どうかいたしましたか、スナオさま」
「へ?」
帝城内の訓練場にて、ボーッと赤く染まった空を眺めていたところ、不意に声が掛けられた。
突然のことに驚きつつも目を向けると、隣にメイドさんが立っていた。紫系の髪と瞳をしたキレイなヒトだ。頭頂部には猫耳が生えているので、彼女が獣人だと分かる。
この世界に来た当初はオタクとして興奮したけど、今は落ち着いて対応できる。さすがに慣れた。
「……いつ、隣に来ました? 全然気づかなかったんですけど」
「つい先程。普通に歩いてきましたよ」
わたしが目を丸くして尋ねると、メイドさんはサラリと返してくる。
絶対に嘘だ。ボーッとしてたからといって、遮蔽物の少ない訓練場を歩くヒトに気が付かないなんてあり得ない。
「繰り返し申しわけございませんが、こちらで何をなさっていたのでしょう。お具合でも悪いのでしょうか、スナオさま?」
こちらが警戒していると悟ったよう。メイドさんは苦笑いを浮かべながらも、話を進めた。
足踏みしても埒が明かないのは確か。わたしにメイドさんの正体を暴く能力はないし、ここは流れに乗っかろう。
わたしも苦笑を溢す。
「何もしてませんよ。最近の空気の悪さに、げんなりしてただけです」
バカ正直に全部語ったりはしないけど、全部嘘では塗り固めない。本当のことを混ぜた方が信憑性が高まるらしいからね。
まぁ、そもそもの話、わたしに高度な駆け引きなんてできない。だから、こうして情報を絞るくらいが限界なんだけどさ。頭脳の差ってやつだ。
メイドさんは首を傾げる。
「空気、ですか?」
「嗚呼、比喩ですよ。気が休まらないなぁって」
「なるほど。そういうことでしたか」
ピンときていないようなので説明し直すと、彼女はポンと手を合わせた。
彼女は続ける。
「確かに、最近の勇者さま方は余裕がありませんよね。特に、シシオウさまのグループは鬼気迫る勢いです」
「息が詰まって仕方ないんですよ。自己研鑽の邪魔はしないから、こっちは放っておいてほしいんです」
「そういえば、スナオさまを含めた別グループの方々にも声を掛けていらっしゃいましたね」
「そうなんですよ。こっちに選択を任せてるように見えて、実際は強制ですから」
「あー……。シシオウさま方は、実質、皇帝陛下の派閥ですからね。断るわけにもいきませんか」
「その通りです。もうちょっと、こっちの事情も理解してほしいのに、まったく気にしてないんですよねぇ」
思ったよりも会話が弾む。
たぶん、メイドさんの相の手が上手いお陰かな。初対面にもかかわらず、一切の滞りなく会話が進んだ。
これがプロか、と、わたしは感心した。帝城勤務を考慮すると、かなり優秀なヒトなんだろうなぁ。
しばらくメイドさんと会話を楽しんでいると、にわかに場内が騒がしくなった。
「どうしたんでしょう?」
「……第五皇女殿下に、何かあったようですね」
わたしが首を傾いでいると、メイドさんが目を細めながら答えてくれた。
「よく分かりましたね」
「微かにですが、そういった会話をしているのが聞こえましたので」
耳が良すぎない? わたしには、ザワザワとした雑音にしか聞こえないんだけど。
改めてメイドさんの高性能さに驚いていると、騒ぎの元凶が訓練場に姿を現した。
爽やかな笑顔と自信満々な表情の似合うイケメン――師子王光輝くんが、ぞろぞろと取り巻きを引きつれていた。その隣には、メイドさんの言った通り、ユレン第五皇女がいる。
彼は、訓練場に座り込んでいるわたしを見かけると、満面の笑みを浮かべて近づいてきた。
嗚呼、とてつもなく嫌な予感がする。
逃げたいと思っても、こうしてロックオンされた状態で逃亡したら、後で何と言われるか分かったものじゃない。後のことを考えなかったとしても、わたしの運動神経で逃げ切れるわけがない。
そうして、とうとう師子王くんが目前まで辿り着いてしまう。
「聖王国との国境沿いに領地を持つ貴族から、勇者の僕たちに向けて応援要請が出されたんだ。調査依頼のようだから、テレパスが得意な実湖都の力を貸してほしい。どうかな?」
わたしの直感は大当たりだった。
このタイミングで遠征。しかも、喜文字くんが殺されたという聖王国の近く。めちゃくちゃ怪しい臭いがするよ……。
とはいえ、断る選択肢はない。だって、取り巻きのみんなが『断るなよ?』って、視線で圧力をかけてきているんだもん。特に女子。師子王くんは気づいていないみたいだけども。
わたしは溜息をグッと堪え、控えめに頷いた。
「分かった。協力するよ」
「ありがとう!」
何て気持ちの良い笑顔をするんだろう、彼は。こちらの内心も知らないで。
こういう時に限って、友里恵ちゃんは外出中。本当に運がない。
盛り上がる師子王くんと取り巻きたちを眺めながら、わたしは苦々しい気持ちを抱くのだった。
次回の投稿は明日の12:00頃の予定です。




