Chapter17-ep 癒し
とある森。一見すると普通の森だが、“眼”を持つ者はすぐに分かる。ここは呪われていると。
どす黒い魔力が蔓延する森林の中、一人の男が駆けていた。青磁色の髪と瞳を持つ、身長百八十くらいのエルフだ。
おそらく、彼を目撃した者のことごとくは、森国王の名前を出すだろう。それほどまでに、森を走るエルフはアデルポスに似ていた。
この言い回しから察しがつくと思うが、彼はアデルポスではない。彼の双子の弟、フラーテル・ラ・フェクスが、男の正体だった。
フラーテルは焦燥を表情に浮かべながら、何やら呟く。
「クソッ。計画の最終段階前にあの魔女が捕まるとは、何の冗談だ? あの女、どうして大人しくしていなかった。明らかな罠に引っかかりおって!」
本人以外の耳には届かないはずの独り言。
立場上、そんな隙になる行動は起こさない風に見えたが、実際は違ったらしい。いや、予定外のできごとに、彼も混乱しているのか。
そろそろ、フラーテルが森を出る。この先は海なので、海路を使って逃げる算段なんだろう。
そうなっても確保はできるけど、些か面倒くさい。だから、もう様子見は終わりかな。
オレは隠密を終了し、ふらりとフラーテルの進路に立ちふさがった。
「ゼクス・レヴィト・ガン・フォラナーダッ!」
こちらの姿を認めた彼は、苦々しい顔で吠えた。
思ったよりも驚いていない。もしかしたら、この展開も予想していたのかもしれないね。つくづく優秀な男だ。
「はじめまして、フラーテル・ラ・フェクス王弟殿下」
「チッ。やはり僕の素性も割れたか」
わざとらしく丁寧に挨拶したところ、フラーテルは盛大に舌を鳴らした。心底不機嫌だと、全面に出している。
オレを前にしても太々しい態度を崩さないのは、素直に感心するよ。しかも、隙を見て出し抜く気でもいるみたいだし。
「さすがは諜報部隊の統率者。ピンチをチャンスに変えようとする心構えは立派だね」
「……」
フラーテルは何も答えない。こちらを睨みつけてくるだけで、表情に変化はない。
ところが、内側の反応は顕著だった。大いに戸惑った感情が窺える。
彼はこう考えているんだと思う。『いくら何でも、情報が漏れるのが早すぎる』と。
無理もない。現在、アムネジアたちの襲撃を終息させてから、十分しか経過していないんだ。そんな僅かな時間で尋問が終わるなんて、普通は考えられない。アムネジアや諜報員たちはプロゆえに口が堅く、『赤の従者』はほとんど何も知らないんだから。
しかし、その常識を覆すのがオレだ。【刻外】がある以上、たいていの物事は短縮できる。
ひとまず、フラーテルが何をしていたのかを整理しよう。
この男、自分の存在を国内から抹消していたんだ。より正確に表現するなら、自分を兄アデルポスだと誤認するよう、関係者全員の記憶を上書きしていた。
本来なら規模が大きすぎて実行に移せないところだが、双子という点を活用した模様。容姿が瓜二つのため、改変における負担が少なかったらしい。
おそらく、フォラナーダに関する認識操作も、似たような方法を取ったんだろう。『畏怖』を利用したんだと思われる。畏れられる感情を起点に、立場を反転させた感じかな?
上手い逃げ道を考えたものだ。これほど自ら術と向き合う者は、そうそういない。魔女アムネジアは、興味を向ける対象さえ違ったら大成していたかもしれないな。
閑話休題。
森国の諜報部隊の長はフラーテルで、留学の一件を早めたのも、密かにシオンを勧誘しようと画策したのも目前のエルフだった。
つまり、記憶を上書きしているのを良いことに、兄にすべての責任を押し付けていたのである。
これが真相だ。
どうりで、アデルポスの甘さと森国の不穏な動きが一致しないわけだ。森国王を名乗る者が二人いたんだから、方針が一致しないのも当然。
「敵ながら称賛するよ。今まで相対した者の中で、もっとも姿を隠したのはキミだ。最後の最後まで、その存在に気づけなかった」
「……あの口軽女めッ!」
もはや言い逃れはできないと、フラーテルは察したよう。奥歯が砕けるのではないかと思うほど歯ぎしりし、怒鳴り声を上げた。
「あと少しで聖王国を呑み込み、エルフを至上とする大国家が樹立できたというのにッ。これだから、人間は信用できないのだ! クソ、クソクソ、クソ!」
気が狂ったように声を荒げ、地団太を踏むフラーテル。
彼の目的は、今語った通りだった。
エルフ至上主義の極み……いや、果てか。他の人種をすべて排除して大陸を統一し、エルフのみの国を作る。それがフラーテルの抱いた妄執だった。
目的のためなら何でも利用する。実の兄をおとしめることは厭わないし、劣等種と蔑む人間に協力を乞うことも許容する。
過程と結果が矛盾することを一切気にせず、ひたすら夢を追い求めた。そんな憐れなエルフが、このフラーテルだった。
ふと、『こんな末路を辿る可能性がオレにもあったのかな』なんて考えが頭を過る。
カロンの命を救うために、他の何もかも――カロンの意思さえも蔑ろにした自分。そういった仮定が浮かんだ。
――くだらない妄想だな。オレはカロンの命も心も守ると決め、今の道を選んだんだ。それ以外の可能性なんて、考えるだけ無意味だろう。
「【おやすみ】」
頭を振ったオレは、【言霊】を行使する。これ以上、フラーテルに構っているのは時間の無駄だった。
彼を確保したことで、ようやく手札はそろった。あとは詰将棋。大した苦労もなく事件は終結となる。
フォラナーダ領城の書斎へと【位相連結】で帰ってきたオレは、身を投げ出すように自分の椅子に腰を下ろした。
ギシリと鈍い音が鳴ったけど、この程度で壊れるほど柔な代物ではない。疲労感たっぷりの今は、あえて無視することにした。
「ゼクスさま。お茶の用意ができました」
椅子の上で脱力すること数分。そう言ってお茶を差し出してきたのはシオンだった。彼女も、先程の【位相連結】で一緒に移動して来ていたんだ。
背もたれに預けていた体を起こし、彼女の入れてくれたお茶を口にする。爽やかな香りと、ほんのりした甘さが美味しいハーブティーだ。
ようやく人心地ついたオレは、小さな溜息とともに呟く。
「実に面倒な会議だった」
「相手方は大荒れでしたからね」
先程までの光景を思い浮かべたのか、シオンも苦笑を溢す。
何があったのかというと、王城で森国と交渉を行っていたんだ。無論、王弟フラーテルや『赤の従者』が起こした騒動の落とし前について、である。
記憶をいじられていたため、森国王含めたあちら側も被害者ではあるんだが、その主張を受け入れるわけにはいかない。
王弟を御し切れなかった監督責任は当然、『テロ組織に、良いように利用された』という不甲斐なさを露呈させた。
国家としては致命的だ。真相は、現時点では聖王国上層部やフォラナーダしか把握していないが、公になったら森国は大混乱だろう。最悪、国が分裂するかもしれない。
ゆえに、聖王国は交渉した。黙っていてほしければ、国交の条件をこちら優位にせよ、と。
脅すのかって?
まだまだ争いの絶えないこの世界において、交渉で済ませるのは優しい方だ。都市国家群で似たようなことが起こったら、『情報を大衆に流して紛争を勃発させ、それを平定するという建前の下、領土を奪い取る』なんて展開になると思う。
そも、森国の領土をもらう利点はあまりない。
良くも悪くも、今の社会は聖王国、帝国、森国の三大国家によって安定している。そのバランスを崩した先に起こるのは戦争だろう。ケンカっ早い帝国なら、確実に仕掛けてくる。
せっかく領土を広げても、それ以上に疲弊してしまっては無意味。だから、あからさまな利益を得るのは避けた。
条件の内容は外務大臣と財務大臣、アリアノートが協力して考えたらしく、ジワジワと絞り取っていくんだとか。とても恐ろしいね。
今回は聖王国側の主張を伝えるだけだったんだが、それでも大荒れだった。
無理もない。呪いが解け、王弟フラーテルの存在を思い出して大混乱だったところ、国家を揺るがす大問題まで舞い込んできたんだ。どれほど優秀な者でも冷静ではいられない。
もっと時間を置いてから交渉を始めた方が良かったのでは、と本気で考えたよ。
でも、こういうのは早く指摘した方が効果は大きいんだよね。『こちらは知っているんだぞ』と牽制でき、相手へのプレッシャーになるんだから。
とはいえ、
「似たような場面には、二度と居合わせたくないな」
もう一度、溜息を吐く。
オレは元帥なんだ。交渉ごとに顔を出す必要性は皆無に等しい。次の提案が来た際は、丁重に断りたいところだ。
しかし、対面にたたずむシオンは、無情な反論をする。
「それは難しいのでは? その手の重大案件の場合、ゼクスさまが関わっている可能性は高いです」
「……」
ぐぅの音も出なかった。今回も、フラーテルやアムネジアを捕縛し、尋問した張本人だから呼び出されたわけだし。
同様のできごとが起こった際、オレが関与していない可能性は、客観的に見てとても低いだろう。
オレはお茶を一口すする。
「……他の国が不祥事を起こしていないことを祈ろう」
「ですね」
こちらが絞り出した精いっぱいのセリフに、シオンは苦笑いを浮かべながら答えた。
それから程なくして、ゴーンゴーンと日付が変わったことを知らせる時計の音が鳴る。
あまり気にしていなかったが、先程の会議は相当長く続いていたらしい。
どうりで疲れるわけだと内心で呆れていると、シオンがおずおずと口を開いた。
「あ、あの、ゼクスさま。一つ、ご提案があるのですが」
見れば、その白い頬を真っ赤に染めている。
オレは首を傾げた。
「どうした?」
「秘書としてではなく、こ、恋人としてなのですが……」
「嗚呼」
得心がいった。
本日の仕事はすべて終わっており、こんな遅い時間。プライベートに意識を切り替えても何らおかしくはない。シオンは甘えるのが苦手だから、照れているんだろう。
鷹揚に頷き、「遠慮なく言ってくれ」と返す。
すると、シオンはソファに座ってほしいと、オレの移動を願った。
もちろん、大人しく従う。仕事用のデスクから三人掛けのソファへ動く。
その後、彼女はオレの隣に座ってきた。
そのまま頭を肩に乗せてくるのかな? と思っていたら、思いがけない行動をシオンは起こす。
「ゆっくり、お休みになってください」
真っ赤な顔ながらも優しい声で語るシオン。
彼女は、自分の膝にオレの頭を誘導したんだ。いわゆる膝枕である。
驚くオレを余所に、シオンはこちらの頭を丁寧に撫でる。
「今までもそうでしたが、最近のゼクスさまは多忙さに拍車がかかっております。少しはご自身のことを労わってください。もしくは、私たちを頼ってください」
ジッとオレを見つめる彼女。その瞳の奥には、慈愛と心配の感情が混ざり合って存在した。
「あなたさまから見たら弱々しい存在なのかもしれませんが、これでも私は年上です。ですから、今日は目いっぱい甘やかします。覚悟してください」
シオンはそう言って、少し挑発的に笑む。
いつになく年上らしさを演出する彼女だが――
「顔を真っ赤にしたままじゃ、何を言っても様にならないぞ?」
「うっ」
オレの指摘を受けると、すぐさま大人の仮面は剥がれ落ちてしまった。彼女は気まずげに視線を逸らす。
うん。シオンはこうでないと。
心のうちで微笑を溢しつつ、オレは体の力を抜く。
「でも、今日はお言葉に甘えようかな」
シオンの膝に体重を預け、目をつむった。
それに対し、彼女は些か驚いたような雰囲気を醸し出すが、すぐに先程と同じ優しい声を上げた。
「はい。存分に甘えてください」
それから、ゆっくりと甘い時間が流れる。
何もしない、何も起きない。ヒトによっては退屈だと感じる時間。
しかし、オレやシオンにとっては、かけがえのない一時になるのだった。
いつもは甘やかし倒すオレだけど、たまには甘えるのも悪くないかな。
これにてChapter17は終幕です。お付き合いくださり、ありがとうございました!
10月4日まで幕間を投稿し、5日からChapter18を開始する予定です。よろしくお願いします。
次回の投稿は明日の12:00頃の予定です。




