Chapter10-3 累卵の危うき(7)
執務室に移動したところ、やはりシオンは待機済みだった。オレの登場とともに、慇懃に一礼する。
頭を上げるよう促してから、オレは席に着いた。
室内にはオレたち二人しかいない。普段なら他の文官たちも詰めているんだが、シオンが人払いをしたんだろう。つまりは、あまり多くに広められない情報が、今回の調査には含まれている証左。
僅ばかりの静寂が場を包んだ後、シオンが口火を切った。
「こちらが第一次報告書となります」
「あずかろう」
手渡しされたのは分厚い紙束。最低限の精査しかされていないため、その情報量が膨れ上がるのは道理だった。
とても短時間では読み切れない量だが、オレに掛かれば問題ない。前世で培った速読技術と精神魔法による思考強化。これらを合わせれば、単行本千ページだって一瞬で読破できる。
パラパラと紙束を弾く音のみが、室内に響く。程なくして、その音さえ途絶えた。
静かで冷たい空気が満ちる中、オレは溜息を吐いた。
「……情報の精度は?」
「証拠はございませんが、状況から見て間違いないかと」
「そうか」
曖昧な質問だったが、シオンは見事に察してくれた。情報に誤りはないと、確かに頷く。
そりゃそうだ。第一次報告とはいえ、書類にまとめている以上は一定の確証を得られたものに違いない。それを知りながらも問うてしまったのは、この後の面倒ごとを嫌ったためだ。
それに、彼女の心情を慮った部分も大きい。
すると、シオンは恐る恐る尋ねてくる。
「ゼクスさま。口頭での説明を行っても宜しいでしょうか?」
「嗚呼、構わないよ。頼む」
「承知いたしました」
資料を読んだのに必要か? という疑問はあるだろうが、現場の声は大事だ。文字では伝わってこないニュアンスが分かる場合も多い。
また、“他者から説明を受ける”という行為は、自ら学ぶよりも理解を深められる。こういった重要案件において、繰り返しチェックを行うのは大切なことだった。
シオンは滔々と語る。
「まず、前提情報から整理いたします。今回調査を行ったのは、聖王国最西部の都市ザッシュです。人口は五千程度と些か規模は小さいですが、魔王の封印地近辺という事情を考慮すれば、ヒトが集まっている方だと判断できます。調査の大目標は三つ。第一に、現地に残っていると予想された誘拐犯の捕縛ないし始末。第二に、誘拐犯の背後関係の洗い出し。第三に、ヴェーラが共に過ごしたと思しき、スラムの子どもたちの存命確認。以上となります」
「こちらの認識と齟齬はない。続けろ」
「はい。結論から申し上げますと、すべて目標は滞りなく達成いたしました」
「ケガ人等は?」
「かすり傷一つございません。無事、全部隊は帰還しております」
「それは重畳」
部下たちのみで対処できると踏んでいたが、全員の無事を確認できると安心する。カロンたちレベルとは言わずとも、彼らだって同じフォラナーダ――家族なんだ。
シオンは続ける。
「事前の予想通り、現地には誘拐組織が蔓延っておりました。構成員十三名と小規模組織ですが、その半数以上が冒険者崩れのため、その辺の盗賊よりは強力だったかと思われます。彼らはザッシュを含めた周辺の街、特にスラムの子どもを中心に誘拐を繰り返していたようです。組織員は全員捕縛済み。尋問に必要な幹部以外は始末を終えています」
「ザッシュ以外の街に取りこぼしがいる可能性は?」
「ほぼあり得ないでしょう。構成員の詳細は、複数人から尋問で引き出しております。すべての情報は一致しておりましたので、虚偽の類はないと断言できます」
「ザッシュはゼヴェロエ伯爵領だったな。そちらとの繋がりは?」
「認められませんでした。かなり念入りに調査を行いましたが、かの伯爵に不審な点は見当たりません。せいぜい、官吏の何人かが賄賂を渡されていたくらいです。他方面も調べましたが、かの組織に後ろ盾がある痕跡は発見できませんでした」
「しっぽ切りの簡単な零細組織、ってところか」
「そのように、私たちは判断しております」
当然といえば当然。普通の貴族は、自ら犯罪組織を抱え込んだりしない。痛い腹をあばかれないよう、容易に見捨てられる人材を雇った方がコスパは良い。ヴェーラたち色なしの誘拐も、その場限りの依頼だったんだろう。
そして、新たに見つかった方も、そういった依頼の一つだったんだと思われる。
「賊の一人が”心臓を組み込んだ魔道具”を使った、か」
それはヒトの命を犠牲にし、使用者に生来のモノとは異なる属性魔法を与える禁忌の道具。グリューエンが関わったと推定される、色なし学園生たちも利用していた物品だった。
「はい。交戦時に発覚いたしました。引き出した情報によると、誘拐の依頼料の一部として、渡されたモノだったそうです」
よく考えてみれば当然だ。魔道具にはヒトの心臓が必要となる。材料が材料だけに、非合法に調達するしかあるまい。
ただ、件の誘拐組織は、グリューエンと強く繋がっているわけではないらしい。前述した通り、背後関係はスカスカ。グリューエンの方も、賊たちを体の良い使い走りにしただけのよう。
とはいえ、事態の深刻さは軽くならない。それはすなわち、グリューエンたちは各地の零細組織より、魔道具の材料調達を依頼していることになる。どれほど量産されているか想像するだけで頭が痛かった。
大事になっていないので、何百も製造されていないと推察できるのが唯一の救いか。
加えて、さらなる問題がこの一件には存在した。
シオンは気まずそうに言う。
「最後の報告となりましたが、ザッシュのスラムには、子どもが一人も見当たりませんでした」
理由は言をまたない。
……この事実を、どうヴェーラに伝えたものか。
黙っているという選択肢はない。何せ、ザッシュの調査を実行したのは、彼女を故郷へ連れていくためである。すぐには気づかないとしても、魔力制御の鍛錬は一回で終わらない以上、露見するのは時間の問題だ。
向こうが察してしまうよりは、準備を整えてコチラから伝えた方がマシだろう。彼女の場合、魔力が暴走する危険性もある。オレが傍にいる状況が必須だった。
ともに育った子たちが殺されたなんて現実を、七歳児が受け止め切れるだろうか。ヴェーラの心が壊れないか、とても心配だった。
「ヴェーラには、折を見てオレが伝える。それまでは彼女に明かさないよう徹底させろ」
「承知いたしました」
デリケートな内容ゆえに、伝え方を考える時間が欲しかった。猶予は少ないけど、頑張って思慮するしかない。
続けて、オレは指示を出す。
「魔道具に関する情報は、ウィームレイにも報告する。そちらの資料の制作も進めておいてくれ。また、封印地の監視員には警戒度を上げるよう……いや、訂正する。おそらく、グリューエン側に近々動きがある。フォラナーダ全員に、厳重な警戒をするよう通達するんだ」
「承知いたしました。ただちに行動を開始いたします」
そう言って、彼女は魔電を片手に退室する。
ズッコケたシオンを苦笑いで見送った後、オレは背もたれに体を預けた。
「こっちの準備もあと少しで整うんだけど、どちらが先に動くかは未知数だな」
口内で転がすようにぼやく。
オレは強くなった。世界最強と自信をもって名乗れるほどに。さらには、対魔法司の技をいくつも開発している。他人から見れば、十分すぎるほどに準備万端だ。
それでも、まだ攻めへ転じていないのは、オレが臆病だからだろう。カロンの命運が懸かっている以上、石橋を叩いて渡るくらいでは安心できないんだ。新しく、自らの手で鉄橋を作るレベルの慎重さを発揮してしまう。
そういえば、昔――オルカの家族を救う時もそうだったな。十分な備えがあったにも関わらず、万が一を考慮してしまい、二の足を踏んでいた。これは、オレの悪癖なのかもしれない。
しかし、あながち悪い選択とも言い難いんだよ。戦は、攻めよりも守りが有利。実際、あちらが攻め込んできたところを、ボコボコにした方が楽だったりする。
まぁ、専守防衛にも問題点はあるから、一概にどちらが良いとは言えない。オレのこのスタイルが悪手の可能性だって大いにある。ゆえに、攻勢の準備も進めているわけだし。
自分の選択が正しいかどうか、今は分からない。なればこそ、オレは徹底して努力を続ける。最愛の妹が未来でも笑っていられるように、全身全霊をかけて。
答えが出る時は近い。
そんな風に、オレは感じていた。
次回の投稿は明日の12:00頃の予定です。