Chapter7-1 事前準備(7)
「アタシにとっての父や母、使用人たちは、温かくもなければ、優しくもない、暗雲立ち込めた家族だった」
それから、淡々と事実を述べるように、過去に受けた仕打ちの数々を並べていく彼女。
十年以上も前の出来事とあって記憶が曖昧な部分も多かったけど、真実だと納得できる説得力がその内容には存在した。
それを聞いた面々は、三つの反応に分かれる。
一つはオレ。事前に詳細を伝えられていたオレは、冷静に耳を傾けていた。何度聞いてもムカつく内容ではあるが、今回は裏方に徹すると決めているので、努めて沈黙を通す。
もう一つはマリナとユーダイ。二人は詳細を知らなかったため、驚愕で目を見開いていた。ユーダイに至っては、正義感からか拳を震わせている。
最後はリナ。彼女の反応は無だった。何を言われたのか理解が追いついていない――否、理解すること自体を拒絶している様子。ポカーンと口を中途半端に開き、呆然と体を硬直させていた。
しかし、そんな現実逃避はいつまでも続かない。否応なしに思考は回り、実姉の口にした内容を把握してしまう。固まっていた体は徐々に震えはじめ、それは時間とともに大きくなっていった。すでにガチガチと歯を鳴らすほどに至っている。もはや、極寒に震える子犬のようだった。
「リナ――」
「嘘だッ!!!!」
彼女の容態を心配したユーダイが声をかけようとしたが、その前にリナが大音声を上げた。叫声にも似た、ヒステリック染みた怒声だった。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ! お父さんがッ、お母さんがッ、あの家にいたみんながッ、お姉ちゃんをイジメてたわけがない。あんなに優しかったヒトたちが、そんな酷いことをするはずがない!!」
嫌々と頭を振った後、耳をふさいでその場にうずくまってしまうリナ。今の彼女は、駄々っ子以外の何ものでもなかった。
魔法の才能があったリナは、魔法至上主義の家系にとって宝そのもの。きっと、家総出で猫可愛がりされていたんだろう。そして、幼い時分の彼女に不信感を与えないよう、姉の迫害は上手く誤魔化していたんだと思われる。
元より、リナは思い込みの激しい性格をしている。これらの条件が重なった現状、いくら慕う姉の発言でも信じられないのは無理もなかった。
――嗚呼。甘やかしていたから、こんな性格に育ったのかもしれない。得てして、親に溺愛される貴族子女はワガママに育つもの。すべてそうなると断言はしないが、彼女の場合は例外にはなれなかったということ。
甘やかした妹は貴族らしからぬ風に育ったのに、迫害していた姉の方が達観した思考を持つとは、何とも皮肉なものだな。
というか、リナって攻略対象なんだよなぁ。ここまで、良いところを全然見つけられていない。原作では、もう少しマシだったはずなんだけど……。
思い返すと、リナルートは『無慈悲に奪われた家族の再会を願う健気な少女』からの『家族の復讐を誓う恋人』という流れだ。肝心の家族が登場しないゆえに、これほどの醜態を晒さなかったと見るべきか。あと、相性の良いユーダイが、それなりに手綱を握っていたのも大きいかな。
まぁ、依存心が人一倍強いことを除けば、リナはちょっと才能のある普通の女の子だ。物事の優先順位が多少おかしいけど、価値観等は一般人よりズレていないと思う。原作知識や今までの監視報告を聞く限り、少なくともオレはそう判断する。
ユーダイとリナがくっつき、聖王直轄騎士団の一部隊隊長を務めながら、ひっそり穏やかに暮らす。オレとしては、そんな将来が理想だった。
この二人は圧倒的に貴族向きではないため、それくらいの距離感がちょうど良いと思うんだよね。これなら、勇者を蔑ろにもしていないから、次代の聖王が糾弾される心配もない。
といっても、ユーダイが誰を選ぶかまで、関与するつもりはなかった。どう転がっても対処はできるし、他人の恋愛事情に首を突っ込むほど野暮でもない。
「えっと~、話し合いを再開するね?」
思案に区切りのついたところ、タイミング良くマリナが声を上げた。
見れば、先程まで亀のように縮こまっていたリナが立ち上がっている。ユーダイが彼女を支えているので、彼が懸命に励ましてやったんだろう。寄り添う二人の姿からして、リナは相当ユーダイに心を許している様子。
それを見つめるニナの感情は慈愛に溢れていた。何だかんだ言って、彼女に残された唯一の肉親。妹の身は案じていたんだ。仲睦まじいヒトができたことは素直に嬉しいんだと思う。
「ニナちゃんの主張を聞いて、リナちゃんは何か訊きたいことはあるかな?」
司会を務めるマリナは、リナへ話を振った。
すると、リナは先程の姉の話を思い出したのか、一気に顔色を悪くする。だが、傍に立つユーダイが「大丈夫」と手を握ると、幾許か落ち着きを取り戻した。
彼女は何回か深呼吸した後に口を開く。
「さっきの話は本当なの?」
「一言一句、嘘はない」
「……そん、な」
ニナの即答に、リナは足元をふらつかせた。慌ててユーダイがその肩を支える。
妹たちの姿を見つめながら、ニナは続ける。
「アタシにとっての『温かい家族』はフォラナーダのみんな。あなたの知る姉は、あの内乱の時に死んだ。ここにいるのは『竜滅剣士』の二つ名を戴く冒険者で、彼――ゼクスの婚約約者のニナ・ゴシラネ・ハーネウス」
「お姉ちゃんは、死んだ……」
「そう、死んだ。アタシは第二の人生を謳歌してる。だから、リナもアタシに執着せず、新しい人生を歩んでほしい」
「無理、無理だよ。私にはお姉ちゃんしか残ってない……」
優しく語りかけるニナに対して、リナは肩を震わせて頭を振る。姉に拒絶されては自分には何も残されていないと、心の底より思っているようだった。
それを耳にしたニナは、静かに目を眇める。今の妹の言葉が、愛情ではなく依存心から発せられたのを理解したためだろう。実際、リナの感情に愛の色は窺えない。いや、チラホラ見えはするんだけど、ここまで執着するほどの大きさではなかった。
はてさて、どう締めくくろうか。
ニナの主張はだいたい出し尽くした。彼女の『妹とは距離を置く』という意見は変わりない様子。となれば、それをフォローしたいんだけど、上手い言葉が考えつかないんだよなぁ。
オレが静かに頭を悩ませていたところ、
「何も残ってないなんて、ないと思うけどなぁ」
マリナがのほほんとした語調で言った。
ニコニコと笑みを浮かべながら、彼女は口を動かす。
「もし、本当にリナちゃんに何もなかったら、隣の彼はこの場に立ち会ってないと思うよ?」
「……隣?」
リナは、自身を支えてくれているユーダイを見る。
それを受けたユーダイは苦笑を溢し、頬を掻いた。
「あー……リナの認識は違ったみたいだけど、俺はキミを友だちだって思ってた。だから、そんな寂しいことは言わないでほしいな」
「私が……友だち?」
「うん。じゃなきゃ、マリナの言う通り、ここに立ち会ってないよ」
「…………ありがとう」
「どういたしまして、でいいのかな?」
何やら良い雰囲気を作り出し始める二人。完全に、オレたち三人は蚊帳の外だった。
ニナがマリナへ半眼を向ける。
「幼馴染みに押しつけるとは……マリナ、強か」
対して、マリナは笑顔のまま肩を竦める。
「押しつけるって言い方は酷いなぁ。わたしは、幼馴染みの恋路を応援してるだけだよ~? まぁ、当人は朴念仁すぎて“友だち”なんて言っちゃってるけどぉ」
「だとしても、押しつけたのは変わらない。マリナ、面倒くさくなってたでしょ?」
「あ、バレた~? なんか焦れったくなっちゃって。あの二人、お互いを気遣ってるのに、肝心なところで遠慮してるし、大事な場面で周りが見えなくなってるでしょう?」
「……否定はしない」
「だから、過程を飛ばしちゃった。これ以上、ニナちゃんやわたしたちが関わっても、何も進展しなさそうだったし」
黒い。マリナが黒いぞ。アハハハと笑声を漏らしてはいるが、どことなく裏を感じる笑い方だ。とっても怖い。
とはいえ、面倒くさかったのはオレも同じだ。あれ以上、オレたちが尽くせる手は残っていなかったから、ユーダイに任せてしまうのは間違ってはいない。
でも、明らかな地雷原を躊躇なく幼馴染みに丸投げするとは……ニナの言う通り、マリナは強かだった。普段はほわほわしているだけに、思わぬ彼女の一面だな。
「でも~、二人とも鈍い人種みたいだから、恋愛事情に発展するのは当分先かなぁ」
そう語るマリナは、世話の焼ける弟を見るような表情を浮かべていた。
程なくしてオレたちは解散した。
これといって何かを取り決めたわけではないけど、別れ際にリナが駄々をこねなかったことから、今後は程良い距離を保ってくれると確信を持てた。
次回の投稿は明日の12:00頃の予定です。