Interlude-Noma 徒然なる精霊の日常
時系列は「歪んだ世界」から「六年後」のどこか。
ワタシは土精霊のノマ。精霊初の料理人として、日々精進を重ねている。
最初は辺境の村を覗いて人間の料理を学んでいたけど、ひょんなことから規格外の御仁に仕えることとなった。
出会い方こそ良くなかったし、契約直後の一年の労働環境は最悪だったけど、今はおおむね満足している。
中でも特に嬉しかったのは、学ぶ環境の質が向上したことだろうか。主殿は貴族なので、一流の料理人を雇っている。そのため、ワタシも一流を学べるようになったんだ。食材と魔力、調理するものは違えど、色々と応用は利く。
というわけで、今日もワタシは食堂へ向かう。ワタシの一日は、朝食づくりの見学より始まるのだ。
早朝にも関わらず、調理場は活気に満ちている。この場にいるスタッフ全員が、主殿たちの食事を作るため、あくせくと働いていた。
ここで学ぶようになって知ったことだが、料理とは事前準備が何より重要らしい。数時間前あるいは一日前、はてや数日前から下ごしらえを整えることもあるとか。
ヒトの料理に対する執念はすごい。ワタシたち精霊は、その場にある魔力をすぐに摂取してしまう。何日も準備に使うなんて考えられなかった。やはり、人里に降りて学ぼうという決断は正解だった。
ワタシが調理場をフワフワ徘徊していると、不意に一人の人間がこちらを向いた。
「おや。ノマ殿、いらっしゃっておられるのですか?」
「来ているよ、料理長殿」
この壮年の人間こそ、調理場の主人だった。
彼はワタシの方に視線を向けつつも、フライパンを動かす手を止めていない。料理人の矜持でもあるが、ワタシが以前に伝えていたんだ。ワタシが現れても、手を止めるなと。
「それは失礼いたしました。もっと早くに気がついていれば……」
「皆まで言うな。人間のお前に、精霊を視認することは不可能に近い。こうやって気取れるだけ、優秀な方さ」
料理長殿は『魔力視メガネ』を装着していないため、ワタシの姿を目視できていない。それなのにワタシの存在を把握したのは、生来の才能だろう。人間の中にも、魔力の動きを察知する者がたまにいるんだ。
とはいえ、人間という種族では、普通はそこが限界。彼らの構造上、魔力を直視することは不可能だった。だから、料理長殿が気に病む必要はない。
そも、【魔力視】とやらを用いてワタシたち精霊を視認する主殿やご弟妹らがおかしいんだ。魔力に優れるエルフだって、大雑把に”魔力がこの辺にある”くらいしか識別できないというのに。しかも、最近の主殿はワタシよりも詳しく魔力を判別しているよう。もはや人間の範疇を超えていると思う。
まぁ、主殿の話は良いんだ。今は料理長殿との会話に集中しよう。
「今日はどのような朝食を用意しているんだ?」
ワタシは料理長殿へ問う。
白い粒のようなものを大量に炒めているが、それに見覚えがなかった。
彼は「嗚呼」と頷く。
「これは米という穀物です。最近、都市国家群の方より流れてきたのですよ。ほら、例の計画によって販路の開拓が進んだでしょう?」
「なるほど。販路が広がったということは、新たな食材と出会う機会も増えるのか。素晴らしいな」
「はい。こうして、私も新たな食材を調理できて光栄です」
そう語る料理長殿の声音は、とても楽しそうなものだった。彼は心の底から料理を楽しんでいる。だからこそ、ワタシも素直に教えを乞えた。
しかし、一つ疑問が湧いた。
「未知の食材を、いきなり主殿の食卓に並べても大丈夫なのか? それとも、すでに試作が済んでいるのか?」
先程までの口ぶりだと、まだまだ検証し足りない風に聞こえたが。
すると、彼は奇妙な返答をする。
「それが、ゼクスさまが米をいたく気に入りましてね。調理法のメモと共に、ぜひとも作ってほしいと願われたのですよ」
「調理法も? 米は、最近になって流れてきたのでは?」
「はい、そのはずなのですけどね」
周辺には認知されていなかった食材の調理法を、どうやって主殿は知ったのだろうか。もしかして、以前に【位相連結】にて米の地元を訪れたことがあったとか? いや、それなら米自体も持ち帰ってきているはず。気に入っているのだし。
主殿の行動が謎すぎた。あの人がワタシなどの常識では測れないとは知っていたけれど、改めて不思議さを目の当たりにしてしまった。料理長殿も同感のようで、苦笑いを浮かべている。
「今回は何を作ってるんだ?」
気を取り直して、ワタシは米料理について尋ねた。
対し、料理長殿は実演を交えながら、快く答えてくれる。
そうして、今日もたくさんの知識を蓄えることができるのだった。
ワタシの一日は、何も料理のみに費やされるわけではない。……いや、すまない、嘘だ。主殿の【位相隠し】内で研究をしている場合、数日こもり切りになることが多々ある。でも、今日はしっかり外に出ているので、引きこもりはしない!
契約のこともあるため、ワタシは主殿の利益になる見返りを渡さなければいけない。契約がなくとも一方的に搾取するだけの立場はごめん被るので、きちんと働くぞ。
普通の精霊ならば、精霊魔法で契約者の護衛するんだが、主殿の場合はまったく必要ない。というわけで、精霊魔法にしかできない作業を行ったり、土魔法師の教育をするのが主だ。
今回は後者で、参加者はオルカとニナだった。二人とも――特にオルカは、並みのエルフを超える魔法の才覚を備えている。とても指導の甲斐があった。
といっても、ワタシにヒトの魔法は分からないため、魔力操作や魔法の強度などの粗を指摘する程度。あとは模擬戦かな。二人は【魔力視】のお陰で前者を必要としない。必然的に、模擬戦を行った。
「「よろしくお願いします!」」
「遠慮なくかかってくるといい」
元気良く挨拶をしてくる二人に、ワタシは悠然と返す。
二対一で戦う。シオンはそろそろ厳しいが、カロンやオルカ、ニナ、ミネルヴァの四人であれば、複数人でも対処できた。でも、彼女らも徐々に強くなっているし、この余裕もいつまで保てることやら。ヒトの成長速度には舌を巻く。
まぁ、今日のところは問題ない。危ない展開もあったけど、何とか二人相手に勝利を収められた。
「ハァ、ハァ……あと少しだったのにぃ」
「…………」
息を乱しながら地面に寝転ぶオルカとニナ。二人とも、悔しそうに表情を曇らせている。心が折れていないのなら、まだ強くなれるだろう。
その後、二人にいくつかのアドバイスを与え、訓練は終了となる。だが、このまま解散では味気ないとオルカが言ったので、少しだけ雑談を挟むことになった。
「それでね~……」
「そう」
「こういう時~……」
「へぇ」
雑談中の態度を見ると、この二人の性格は正反対だ。誰にでも友好的で、明るくお喋りなオルカ。ニナは口数は少なく、常に落ち着いた様子。
でも、戦いになると、この二人はそっくりになる。勝利を得るためなら、どんな手を使おうとも厭わない。そんな貪欲で現実的な視点を、彼女らは持つ。
正直、本当に子どもか疑いたくなる強かさだ。貴族子息令嬢はみんな同じなんだろうか? いや、カロンは直情寄りだから、個人差があるのかな。
「そういえば」
貴族関連で、ふと思い出した話題があった。
話題の切り替わるタイミングを見計らい、ワタシは口を開く。
「オルカは婚約者はいないのか?」
主殿にはミネルヴァがいる。一時的とはいえ、カロンにもいた。貴族は婚約者を作るものだと認識していたが、オルカには全くその手の話がない。その辺りを疑問に感じていたんだ。
すると、オルカは「その話ねぇ」と苦笑いを浮かべる。
「ボクが婚約者はいらないって頼んだんだ」
「どうして?」
「ビャクダイ家は、代々恋愛結婚なんだよ。カイセル兄もそうだし。だから、ボクもその習わしに従いたいなぁって」
「よく聞き入れてもらえたね」
元貴族ゆえか、心底不思議そうにニナが溢す。
オルカは乾いた笑声を上げた。
「無理を言ってるのは理解してるよ。ビャクダイと違ってフォラナーダは伯爵。婚約者がいないと評判が落ちるもんね。でも、どうしてもお父さまたちと同じ道を進みたかったんだ。もうビャクダイは存在しないから、『せめてこれくらいは』って」
オルカもオルカで、色々抱えているものがあるらしい。ヒトの社会はよく分からないけど、複雑なシガラミがあるのは知っている。彼にとっての結婚は、その中でも譲れない一つなんだろう。
「いいんじゃないか。ワタシには番を作るという感覚が分からないけど、譲れないものを持つことはいいと思う。ワタシも料理は譲れないし」
「うん。そう言ってもらえると嬉しいよ」
オルカは笑った。先までとは違う曇りのない雰囲気。ワタシの言葉は励ましになったか。良かった。
……ワタシもずいぶんと丸くなったものだ。こうして人間と仲良く雑談するなんて、一年前のワタシが聞いても信じまい。
精霊は長き時を生きる存在。変わらぬ姿で世界を漂う者だ。しかし、決して不変ではないのかもしれない。精霊――ワタシもヒトと共に成長できるのなら、とても嬉しいな。
徒然なる日々は、確かにワタシを変えていくのだった。
次回の投稿は明日の12:00頃の予定です。