Interlude-Minerva 愛と努力の結晶
一月某日のお昼前。初代聖女さまの再臨や今代聖女の光魔法不能問題、グリューエンの分霊問題などなど、立て続けに発生したトラブルが解決して間もない頃。私――ミネルヴァはフォラナーダ城の談話室にて、いつも通り読書に興じていた。
そう、いつも通りよ。数多の事件が起こっていたにもかかわらず、私はその一切に関わっていなかった。この半年間、穏やかな日常をすごしていた。
「仕方のないことだけれど」
ページをめくっていた手を下ろし、自身のお腹を撫でる。大きく張り出した、大切な命の宿るお腹を。
私が行動を起こせなかった理由は一目瞭然でしょう。何がお腹の中の子に影響を与えるか、分かったものではないもの。カロラインやスキアの目が厳しかったのもあるけれどね。
文句はないわ。当たり前の対応だし、私も自分の赤ん坊にリスクは負わせたくない。まぁ、暇という不満は少なからずあるのはご愛敬。
「ふぅ」
小さく溜息を溢した私は、そのまま持っていた本をテーブルの上に置いた。
栞は挟まない。まだ三分の二ほど残っているけど、続きを読むことはないだろうから。
「やっぱり、私には合わないわね」
実はこの本、ニナにオススメされたものだった。最近流行りの恋愛小説らしい。実際、流行するのも納得できる出来栄えだった。
でも、私の好みには合致していなかった。熱中できるような魅力を、この本には感じられなかった。
何というか、もどかしいのよね。ヒーローとヒロインは好き同士なのに、なかなか本音を打ち明けないとか。ヒーローが情けなくて、色々ゼクスと比べちゃうとか。
ブーメラン? 何のことやら。
ニナには悪いけれど、正直に感想を伝えましょう。冒険者の仕事は抱えていなかったはずだし、今晩に機会はあるわね。
私が頭の中で予定を組んでいると、隣から声を掛けられた。
「ど、どうかしましたか、ミネルヴァさま?」
今朝の担当であるスキアだ。私が急に読書を止めたので、何ごとか確認したのだろう。
三十年前より大幅に低下したとはいえ、妊婦の死亡率は未だ高い。五属性持ちの私は、特に気を付けるべき対象でしょう。ゆえに、彼女の反応は当然のものだった。
……少し過剰じゃないかしら? と思ってしまう私がおかしいのよね。前述したように、私は五属性持ちなんだから。
ケロッとしている現状が特異なのである。本来なら体力の低下と、それによる体調不良が起きているはずなのよ。
そうなっていないのは、すべてカロラインやスキアなど、多くのヒトたちが支えてくれたお陰。私から取れたデータを元に、妊婦の体調管理方法が確立していった結果だった。
彼女たちがいなければ、私は出産とともに死んでいた……なんてことは限界突破した肉体ならないにしても、相当きつかったに違いない。本当に、感謝している。
私はスキアへ「大丈夫、問題ないわ」と返し、テーブルに置かれていたお茶を口にした。もちろん、中身は妊婦が飲んでも問題ないローズヒップティーよ。
少し冷めてしまっていたけれど、ゼクスが厳選した茶葉だけあって美味しい。仄かな甘みと酸味が口内に広がった。
こちらの言葉を鵜吞みにせずに様子を窺っていたスキアも、しばらくして納得した模様。ホッと安堵の息を吐き、自身のティーカップを口に運んだ。
美味しいお茶を味わい、穏やかな空気が流れる中、談話室に新たな人物が姿を現した。
「二人とも、少々時間をいただけますか?」
はたしてそれは、義妹かつ妻仲間であるカロラインだった。機嫌がすこぶる良いらしく、結われた金色の尾がちょこまかと揺れている。
「良いわよ。ちょうど暇を持て余していたところだし」
「あ、あたしも問題ありません」
私たちが了承の言葉を返すと、カロラインは空いていた席に腰を下ろした。
直後、タイミングを見計らっていたメイドが全員のお茶を入れ直し、元の場所――談話室の出入口付近へと戻っていく。
よほど語りたかったのか。カロラインはメイドが異動し終えるや否や、言葉を紡ぎ始めた。
「ついに、研究が実を結びました!」
弾んだ声音で端的に告げてくる彼女。前のめりすぎて、その内容は酷く抽象的である。
しかし、私やスキアはそれが何を示しているのか、すぐに察することができた。
私は目を見開き、問いかける。
「あなた、妊娠したの?」
「はい!」
カロラインが小気味好く返事をしたことで、曖昧だった部分が明確となった。
私たちの予想通りである。
彼女は、ゼクスとの子どもに関して悩み、解決策を模索していた。自分の子どもが健康に生まれるよう、ずっと願っていた。
私や国内の妊婦から取ったデータ、己道や魄術、異世界人の科学などの知識によって研究成果が出たことは聞いていたけど……そう、とうとう子宝に恵まれたのね。
「まだ一週間程度ですが、今のところ異常は見られません。遺伝子? 的な問題も、おそらくクリアできていると思います」
私が心のうちで感心している間、こちらが想像した通りの結果を告げてくるカロライン。その声はどこまでも喜びに満ちていた。
「おめでとう、カロライン」
「おめでとうございます、カロンさま!」
私たちは、彼女がどれほど腐心していたか、解決のため努力を積み重ねていたか、知っている。当然ながら、度々手を貸していたからね。
だからこそ、素直に祝うことができた。スキアに至っては、普段のどもり癖が抜けるほどに感激しているみたい。
「ありがとうございます! 念願が叶ったのは、皆さんの助力のお陰です」
こちらの祝福を受け、カロラインは満面の笑みを浮かべる。見ているこちらも幸せになるような、温かな表情だった。『陽光の聖女』の二つ名通りね。
私は頬笑みつつ、一つ疑問を投じる。
「以前に成果が出たと聞いた時から、それなりに時間が空いたわね」
カロラインのことだから、すぐにゼクスにせがむと考えていたわ。
すると、彼女はバツが悪そうな表情を浮かべた。
「実は、研究成果に重大な欠陥があると判明しまして……」
「欠陥?」
「術式に落とすのが、かなり難しかったんです」
「……阿呆なの?」
「返す言葉もございません」
半眼を向ける私に、カロラインは肩を落とした。
魔法開発の研究には、決まった順序があるわ。第一にデータ収集、第二に理論をまとめる、第三に再現性を高める実験、第四に結論、第五に術式化よ。
分かりやすく説明すると、第四までは研究内容が魔法になっていないのよ。あくまでも文章や事象のまま。正確には違うけれど、机上の空論というわけ。
ゆえに、術式に落とす作業が存在する。これが達成できなければ、魔法開発が成功したとは言えない。
つまり、カロラインは根本的な問題を失念していたのよ。これを阿呆と言わずして、何と言えば良いの。
私は呆れながらも問う。
「結局、どうしたの?」
「……お兄さまに手伝っていただきました」
「でしょうね」
想像通りの答えに、私は納得する他ない。
ゼクスの魔法知識の造詣は深い。下手をすると、私以上かもしれないわ。そんな彼なら、研究成果の術式化も可能でしょう。そもそも、彼女の研究を一番手伝っていたのは彼だし。
妊娠の時期が遅れたのは、年末はゼクスが忙しすぎて手を借りられなかったから、ということね。まったく。
「これ以上の苦言は止しておくわ。体は労わるべきだもの」
「面目ありません……」
「これで貴族の義務は果たせそうかしら」
「それはもう少し経ってみないと分かりませんね」
「それもそうか。期限は残り九年もあるのだし、焦らず行きましょう」
「はい」
私が指摘した義務とは、『貴族家当主は、次男まで用意しなくてはいけない』という法律のことだ。
本来なら”当主になってから十年”だけれど、ゼクスは”成人してから十年”という別条件を出していただいている。
とはいえ、呑気にしていられるほどの余裕ではないわ。十年なんてあっという間よ。女児を生む可能性も考慮すると余計に。
ゆえに、私は当時戦争中にもかかわらず、妊娠した。避妊をやめていたんだ。
まぁ、カロラインと違って”必ず当たる魔法”までは使っていなかったので、あんなにあっさり妊娠するとは思っていなかったけれどね。私とゼクスは、想像以上に相性が良かったらしい。
「今、マウントを取られた気がします」
「気のせいじゃない?」
相変わらず鋭い。
惚けてみせる私だったけれど、しばらくカロラインの視線は逸れなかった。
若干の緊張感を孕みつつも、会話は続く。
「とにもかくにも、めでたいことだわ。他への連絡は?」
「お兄さまには真っ先にお話しいたしました」
「なら、すでにフォラナーダ全域に伝わってそうね。ここまで騒ぎが聞こえてこないのは……私に気を遣ったのかしら?」
「かもしれません」
「か、可能性は高そうです」
こちらの予想に、カロラインとスキアの両名が頷く。
心配しすぎの気もするけれど、備えあれば患いなしか。今後来るだろう騒がしさを考えると、今のうちに平穏を味わっておけるのは良いことね。
私は僅かに笑声を漏らし、カロラインへ告げる。
「ようこそ、暇人の巣窟へ」
「「ぷふっ」」
少し卑屈な笑みを浮かべたところ、何故か笑われた。
そんなに面白いセリフだったかしら? 二人の笑いのツボは意味不明ね。
次回の投稿は11月13日12:00頃の予定です。




