Chapter29-4 幸福の聖女は黄金を捧ぐ(9)
「あなたの嫌悪を聞くことが、他の何よりも優先すべきことだなんて、私にはとうてい思えないのですが」
私のセリフを受けた初代聖女殿は、僅かな動揺を挟んだ後、毅然とした態度で意見を口にしました。この切り替えの早さは、さすがと評して良いでしょう。
とはいえ、こちらの主張は変わりません。
「あなたがどう考えようと、状況は変わりませんよ。私とのお話に付き合ってもらう。それ以外の選択肢はございません」
翻意しない私に、初代聖女殿は眉根を寄せました。「付き合い切れません」と溜息交じりに溢し、踵を返そうとします。
もちろん、逃がすわけがありません。無詠唱で【異相庭園】を発動し、私たち二人を隔離しました。
それを受け、初代聖女殿は動かしかけていた足を止めました。そして、こちらを鋭い視線で睨めつけてきます。
「いったい、何のつもりですか?」
恐ろしく底冷えした声でした。こちらの芯に響かせるような、不思議な圧を感じました。千年前の戦を生き抜いた兵なだけはあります。
ですが、今さら、その程度で怖気づく私ではありません。彼女以上に怖い存在とは、何度も相対してきたのですから。……本気で怒ったお兄さまとか。
ゆえに、揺らがず言い返します。
「私は申し上げましたよ。『お話に付き合ってもらう以外の選択肢はない』と」
「本気ですか?」
「でなければ、最上級魔法を使ってまで閉じ込めたりしません」
「……意味が分かりません」
こちらの頑なな姿勢に対し、初代聖女殿は頭を振りました。頭痛を堪えるよう、眉間を指で解す仕草も取ります。
「状況が分かっているのですか? 魔王が復活したのですよ。しかも、複数人に増えて。大半を瞬殺したゼクス殿の力量には驚きましたが、それでも、油断して良い相手ではありません。奴はとても狡猾です。あらゆる手段を用いて姿をくらませるでしょう。ですから、完全に見失う前に、全力で魔王討伐に当たるべきです。こんな無駄話に割く時間はありません!」
それから、つらつらと説教染みたセリフを吐き出す彼女。
要するに、私との話し合いよりも、グリューエンの問題の解決に望むべきだと仰りたいのでしょう。
言い分は理解できました。いくらかの共感もできます。
状況を考慮するなら、私たちも動いた方が良いです。たとえ、ほとんど役に立たないとしても。
しかし、やはり、私の主張は変わりませんでした。初代聖女殿の視線を真っすぐ受け止め、ジッと見つめ返します。
こちらが一歩も引かないと理解したようで、初代聖女殿は驚愕の表情を浮かべました。私の判断が信じられないという顔ですね。
「本当に、意味が分からない」
思わず口を衝いてしまったものなのでしょう。呟かれたセリフはどこか空虚でした。
とはいえ、きちんと答える義務が、私にはあるでしょう。彼女を見据えたまま、滔々と語ります。
「理由はいくつかありますが、最大の要因は、あなたが協力したところで無意味だからです」
「確かに、今の私は満足に魔法が使えず、魄術とやらも習得できていませんが――」
「――『それでも、何かの役に立つはず』ですか?」
「ッ」
自身の言葉を先回りされたためか、息を呑む初代聖女殿。
まさか、そこまで考えが回っていないと思われていたのでしょうか? 些か心外です。
私は漏れそうになる溜息をグッと堪え、続けました。
「『無意味』とは、力不足を指摘しての言葉ではありませんよ。あなたが持つ心構えの話です」
「……心構え?」
小首を傾げる彼女の様子を見るに、本気で分かっていない模様。その後、十数秒ほど見守りましたが、結論は出ないようでした。
思っていた以上に、彼女は自分自身に対して無頓着だったみたいです。
僅かに、ほんの少しだけ溢してしまう溜息。初代聖女殿の耳に届かなかったのは幸いでしょうか。
私は一つ咳払いをしてから、彼女の疑問に答えることにしました。
「『グリューエンを倒せるなら、自分がどうなっても構わない』」
「ッ!?」
瞠目する初代聖女殿。
そんな彼女に構わず、私は言葉を紡ぎました。
「『力不足なら犠牲を払えば良い』。『自らの命を賭したとしても、世界が平和になるなら問題ない』。『むしろ、自分の命だけで世界が救われるなら、安いものだ』」
淡々とセリフが提示される度に、初代聖女殿は顔を歪ませました。まるで、自身の体を切り開かれているかの如く。
実際、彼女の感じている苦痛は、似たようなものなのでしょう。私が語った言葉たちは、まさしく初代聖女殿の本音なのですから。
「あなたは、常に自己犠牲を前提として物事を考えているのでしょう。『自分が問題を解決すれば、丸く収まる』、『たとえ力が足りずとも、身を削れば大丈夫』。そういった考えの下、率先してトラブルへと首を突っ込む。だから、自分以外の誰かが、問題を解決することを好まない。それすなわち、その誰かが損をしていると同義だから。違いますか?」
「……」
「無言は肯定と捉えます。ここまでなら、『立派な奉仕の精神だ』と絶賛するところです。しかし、あなたの根本は違うでしょう? あなたは、奉仕したいから自己を犠牲にしているわけではない。その本質は、単なるワガママです」
「そんなことはッ!」
「ないとは言わせませんよ」
こちらの主張が聞き捨てならなかったのか、大音声で否定しに掛かる初代聖女殿。ですが、私は情け容赦なくそれを遮りました。お兄さま直伝の、【威圧】モドキを用いて。
ミネルヴァほど上手くはありませんが、口を噤ませる程度の威力は出せます。
「だって、あなたは周囲の事情を考えない。あなたが思うままに動いたせいで、余計な労力を割く羽目になった人々のことを。あなたが身を削ったせいで、酷く心を痛めた人々のことを。あなたが犠牲になった後、後始末に奔走した人々のことを」
初代聖女殿が自由な生活を求めた結果、お兄さまがどれほど根回ししたのか、彼女は知りません。知ろうともしなかった。
また、各所が調整のために奔走したことを、初代聖女殿は気が付いていません。気付こうともしなかった。
魄術の才能がない初代聖女殿の気持ちに配慮し、お兄さまとサザンカがあらゆる知恵を振り絞ったことを、彼女は理解していません。それ以前に、気にも留めていなかった。
きっと千年前も、彼女のために奔走した人々がいたのでしょう。グリューエン封印という偉業を支えた、影の功労者たちがいらっしゃったはずです。
ところが、その人々を初代聖女殿は覚えていない。
彼女の話に出てくるのは、いつだって家族と近しい仲間、そして自らが救ったヒトだけ。
自分が助ける者には関心を抱いていても、自分を助けてくれた者には一切の関心がないのです。その場では礼を告げるのでしょうが、長く記憶には残しておかない。
その事実が、とても、とても、とても腹立たしい。
「あなたの本質は、どこまでいっても自分本位です」
「ち、違います。私は心の底から、傷ついている人々を心配しています!」
「『誰かが傷つくのを見ていられないから、自分が代わりに傷つく』ですか?」
「そうです。それの何が間違っているんですか?」
「間違いだらけですよ」
初代聖女殿の必死な反論を、私は躊躇なく一蹴しました。
「傷つく誰かを癒したい、助けたい。そういった気持ちは尊重します。ですが、そこで自己犠牲なんて答えを真っ先に出す辺りが、あなたの本性を表しています。『何かのため』という大義名分を盾に、ワガママの限りを尽くしている自分勝手な人間です」
『やらない善より、やる偽善』といった言葉はあります。
ですが、それは動機の話。考えなしの行動を許容する免罪符ではありません。ましてや、自己犠牲を認めるなど、もってのほかです。
考えなしに動いたせいで被害が拡大したら、それは間違いなく悪意でしょう。
自己犠牲も同様です。どうしても強行したいのなら、周囲の人々に悟られないよう徹底すべきでしょう。
無論、誰も傷つけない善意など不可能なのは重々承知しております。しかし、だからといって、努力を怠って良い理由にはなりません。
自身の行動を省みず、まったく改善しようとしない初代聖女殿を、私は“善性”だと評価したくはありませんでした。
「大義名分を盾に、だなんて……。私は自分自身のことを誇ったことはありません」
この期に及んで、言いわけを吐く初代聖女殿。
私は、自然と奥歯に力がこもりました。
「関係ありませんよ。誇ることと、大義名分を掲げることは別です。あなたは自分勝手に振る舞い、結果的に世界が救われた。それだけの話です」
「反論したいことは山ほどありますが、カロラインさんの意見が正しいとして、それの何が悪いのですか? 結果論だとしても、世界が救われたのなら良いではありませんか」
「……」
言葉も出ないとは、まさにこのことなのでしょう。
彼女は、私の話の何を聞いていたのでしょうか? 『彼女の自己犠牲に振り回され、傷ついた人々がいる』。その指摘を、まるっと忘れているようでした。
いえ、違いますね。これも彼女のいつも通り。大義を果たすためなら、個々人の苦労や精神的な傷は些事。そう信じているのでしょう。
確かに、当時の情勢を考えれば、仕方のない価値観なのかもしれません。守るべき優先順位があることも理解しています。
かといって、私が認められないのも事実。順位を付けて区別することと、切り捨てて忘れ去ることは別物です。
あの反応を見るに、初代聖女殿は誰とも話し合わなかったのでしょう。将来のために何が必要なのか、どうするべきなのか。他者と一切相談せず、『自分が犠牲になれば良い』と結論づけてきた。
酷く悲しい生き方です。
初代聖女殿は、誰も信用していない証左なのですから。他者の力や信念を信じていないあらこそ、自分で何とかしようと考えるのだと思います。
……はぁ、これが初代聖女ですか。
聖女とは、もっと清廉で博愛を抱くヒトだと想像しておりました。
私は、自分のことを聖女などと思ったことは一切ありません。周りがいくら『陽光の聖女』と持てはやそうと、自身の精神性がそれに程遠いことは理解しています。
何せ、私は、命の優先順位を明確に定めていますから。救える命はできるだけ救いたいと考えていますが、家族の危機を前にしたら切り捨てます。
しかし、初代聖女殿を目の当たりにすると、彼女よりはマシなどと不敬な考えを浮かべてしまいます。どこまでも自分本位な彼女こそ、聖女の名を冠するに値しないでしょう。
きっと、その名が相応しいのは――
「もう話は終わりましたか? であれば、結界を解いてほしいのですが」
私の思考が横道に逸れ始めた頃、こちらを睨みつける初代聖女殿がそんなセリフを溢しました。
結局、私の言葉も、彼女の心には響かなかったようです。彼女の意識は、グリューエンにしか向いていませんでした。おそらく、最初から最後まで。
小さく溜息を吐いた私は、毅然と言い放ちます。
「いえ、結界は解きません。事件が解決するまで、あなたには私とともに、この場に留まっていただきます」
「……正気ですか?」
「あなたを自由にさせる方が、現場を混乱させるでしょう。それに、お兄さまが動いていらっしゃる以上、解決まで時間はそう掛かりません」
「魔王を相手に油断など――」
「これは油断などでは、決してありません」
なおも反論しようとした初代聖女殿を、私は力強く否定します。
「お兄さまは、私にこの場を任せると仰いました。つまり、グリューエンに関する力添えは必要ないということです」
私の助力が必要であれば、お兄さまなら必ず『あとで合流してくれ』などと仰るはずです。問題解決に際して、お兄さまは下手な見栄を張りません。
これは妄信ではありません。お兄さまが築き上げてきた成果であり、これまで培ってきた信頼でした。
とはいえ、初代聖女殿はそれを素直に受け取れないでしょう。お兄さまとの付き合いが浅いのはもちろんのこと、前述した通り、彼女は他者を信頼できない性格ですから。
ゆえに、私は決然と告げます。
「何を仰ろうとも、私は結界を解きません。最初と同じです。あなたに選択肢はないのです」
「ッ」
口を開きかけた初代聖女殿を制すると、彼女はものすごい形相で睨みつけてきました。およそ聖女を名乗る人物がして良い表情ではありませんね。
さて。誠に残念ですが、今回の一件に、私は最後まで関われそうにありません。締めは、いつも通りお兄さまに譲るとしましょう。
もしくは――
「今代の……真の聖女が何とかするかもしれませんね」
自分自身と必死に向き合っている友の顔を思い浮かべ、私は小さく笑うのでした。
次回の投稿は12月17日12:00頃の予定です。




