Chapter29-1 聖女(7)
「…………もう一度、聞いてもいいか?」
聖王家私用の談話室にて。オレの対面に座る聖王ウィームレイが、重々しい声で尋ねてきた。
今の彼は両膝の上に両肘を置き、組んだ手を額に押し当てている。そのため、表情を窺い知ることはできない。
だが、非常に悩ましい顔をしているだろうことは、想像に難くなかった。原因の一端ながら、同情してしまう。
オレは苦笑いを浮かべつつ、隣で行儀良く座るキサラを指した。それから、一言一句同じ説明をする。
「こちらの女性は、初代聖女のキサラさまであらせられます。この千年間、世界の礎として身を捧げていらっしゃったそうですが、魔王の消滅を期にご降臨なされました」
先程と同様、『ご降臨』の部分でキサラが微かに身じろぎをする。まとう魔力からして、恥ずかしがっているらしい。
おそらく、『そのように表現されるほど、立派な者ではない』とでも思っているのかな?
価値観の相違だな。聖王国民にとって、初代聖女とは『魔王から世界を救った英雄の片翼』であり、『聖王国を建国した祖』なんだから。偉人の中の偉人といっても過言ではない。
下手をすると、聖王よりも上の立場である。前例なんて存在しないので、明言はできないが。
ちなみに、サザンカは別室で待機してもらっている。
彼女は聖王国に帰化しているものの、あくまでもフォラナーダの一員。国の上層部としての話し合いには、サザンカ自ら辞退したんだ。
それでも王城まで同行したのは、あとで相談したいことがあるから、らしい。十中八九、最後の方で難しい顔をしていたことと関係しているんだろう。
閑話休題。
「やはり、聞き間違えではなかったかッ」
オレの二度目の発言を受け、とうとう頭を抱え込むウィームレイ。
とはいえ、若輩ながら、彼も一国の王だ。いつまでも情けない姿はさらさない。すぐさま姿勢を正して立ち上がり、キサラに向けて最敬礼を行った。
「お見苦しいところをお見せしてしまい、申しわけございません。大変遅くなりましたが、私は当代の聖王、ウィームレイ・ノイントス・アン・カタシットと申します。全国民を代表して、キサラさまのご降臨を祝福いたします」
ふむ。予想はしていたが、ウィームレイはキサラを目上の者と定めたんだな。
しかし、さすがである。王が最敬礼する機会なんてないはずなのに、その所作は実にスマートだった。万が一を想定して、体に染みつくまで練習をしておいたんだろう。
ただのお人好しで終わらず、計算深くも動けるところがウィームレイの長所だな。
心のうちで感心するオレを余所に、一礼を受けたキサラもその場で立ち上がった。そのまま、優雅に会釈をする。
「ご丁寧な挨拶、痛み入ります、ウィームレイ聖王陛下」
「キサラさま。陛下は不要でございます」
「いいえ、線引きはハッキリしなければいけません。陛下やゼクスさんの態度から、現代における私の扱いは何となく察しましたが、それでも今の王はあなたです。亡者の私を頼りにしないよう、お願いいたします」
おもむろに語る彼女の声音には、多分に憂慮が含まれていた。心からこちらを心配し、自分の出る幕はないと考えているんだと分かる。
キサラは、魔術大陸の始祖と同じスタンスらしい。死者は現世に深く関与してはならない、という。
然もありなん。大講堂での発言を聞くに、彼女はこの世界に二度と戻るつもりはなかったんだ。
今回はあくまでも予定外。帰還できたからといって、過度に干渉する気はないようだ。
そして、ウィームレイは愚鈍ではない。キサラの意思が固いことは、今のセリフで察しがついたはずだ。
彼はキサラを数秒ほど見つめた後、小さく息を吐く。
「分かりました。それがキサラさ……殿のお望みであれば」
「ありがとうございます」
ウィームレイのまとう雰囲気が変わったことに、キサラは笑みを浮かべる。湛える感情には、僅かに安堵も含まれていた。
ここまで一緒にいて分かったことだが、キサラは敬われることに慣れてはいるものの、あまり好ましくは思っていないみたいだ。その機微は庶民のそれに似ている。
聖王国の祖が元庶民の可能性、か。
当時の時世を考慮するとあり得なくはないけど、無闇に尋ねるのは憚られた。第三者に聞かれたら、大騒ぎどころの話ではなくなる。
ふっと湧いた好奇心にフタをしつつ、オレはウィームレイたちが着席するのを待った。その後、話を進めることにする。
何だかんだ、まだ自己紹介しか済ませていないんだよね。やっと本題だ。
「ご承知かとは思いますが、夜分にもかかわらず参りましたのは、キサラさまの処遇を決めるためです。どうします?」
キサラが同席しているため、外向きの態度で相談を持ち掛ける。
オレの質問を受け、ウィームレイは眉間にシワを寄せた。
「そう言われても、な。最優先で決定すべきなのは、『キサラ殿を誰が保護するか』と『キサラ殿のことを、どこまで伝えるか』か?」
「その二点は最優先事項だな」
「では、キサラ殿。ご希望等はあるでしょうか?」
「希望、ですか?」
質問の意図がピンと来なかったようで、小首を傾げるキサラ。
それを受け、ウィームレイは「たとえば」と続ける。
「我々としてはこの王城にお迎えし、大々的にあなたのご降臨を祝いたいのですが――」
「全力でお断りします」
セリフをすべて言い終えていないにもかかわらず、キサラは前のめりに拒絶した。その態度から、公の場に出ることを相当嫌がっているのが分かる。
当然である。彼女のスタンスを考えれば、こう答えることは明らかだった。ウィームレイもそれを理解できていたため、先程の質問を投じたんだろう。
わざわざ尋ねたのは、本人の口からしっかり確認しておきたかったからに違いない。
「……であれば、ゼクスに任せても良いだろうか?」
少しの間を置いた後、ウィームレイは尋ねてくる。
きっと彼は、問題が起こる度にゼクスを頼っていることを、申しわけなく思っているんだろう。
キサラの手前、表情には出していないが、長い付き合いのオレは感情を読まずとも理解できた。
気にしすぎだとは思うけどね。
オレやフォラナーダに任せられるトラブルは、たいていの場合、常人には解決しづらい案件だ。一定ラインを越えていないものは他者に回しているし、彼が思うほど、フォラナーダに頼りすぎているわけではない。
まぁ、ノウハウを学ぶ機会を潰しているという点では、ウィームレイの采配は間違っているか。
とはいえ、それに関しては仕方のない部分もある。オレに回される問題のすべては、一歩間違えれば国が大ダメージを受けるものだった。確実性を取るのは当然だろう。
今回もそう。対象は、初代聖女という聖王国最上の偉人、しかも魂のみの状態だ。
預ける家には、丁重にもてなせるだけの品格が必要なのはもちろん、不測の事態に対処できる応用力も欲しい。
そうなると、選択肢はフォラナーダしか残っていないだろう。聖王家にこちらの者を出向させるという手もあるが、対応能力が若干落ちる。
結局、選ぶ余地はないわけだ。ウィームレイの気苦労には同情するよ。
ただ、彼の苦労も時間が解決すると思う。周りの地力が上がっていけば、フォラナーダ任せの案件も自然と減っていく。
そして、オレが魔法技術を少しずつ広めているため、それは確実に訪れる未来だ。だからこそ、ウィームレイのことを『気にしすぎ』だと評したのである。
オレは軽く肩を竦ませつつ、ウィームレイの問いに答えた。
「引き受けましょう」
「助かる」
「お気になさらず」
元々オレが持ち込んだ問題なんだ、責任は取る。そう言外に告げる。
もちろん、当のキサラの前で口にはしない。これまでの振る舞いを見るに、気に病んでしまうだろうから。
「よろしくお願いいたします、ゼクスさん。ご迷惑をお掛けします」
一連の話を大人しく聞いていたキサラは、オレに向かって静々と頭を下げる。
オレは右手を軽く振った。
「迷惑なんてことはございません。むしろ、一介の貴族の屋敷に住まわせることになり、申しわけないくらいです」
「それこそ、気にしないでください。私は住居にこだわりはございませんので」
「そう仰っていただけると、肩の荷が下ります。とはいえ、何か要望がありましたら、遠慮なくお申しつけください。できる限りはお応えします」
「分かりました」
「本当に遠慮なさらないでくださいね? 我々聖王国民にとって、キサラさまを歓待できることは、とても光栄なことなんですから」
漏れ出る感情から、形だけの返事だと察しがついたため、念を押しておく。
オレやカロンは例外だが、他の面々がそう考える可能性は非常に高い。キサラが二歩も三歩も退くことは、かえって彼らを傷つけるだろう。
「……分かりました。善処しましょう」
こちらの意見を受け、改めて頷くキサラ。
政治家のするような灰色の回答だったものの、先程までとは感情の動きが異なっている。言葉通りに受け取って良いはずだ。
「次は、この情報をどこまで伝えるか、だな」
タイミングを見計らって、ウィームレイが次の話題に進める。
といっても、こちらに関しては、先程よりもテキパキと終わった。
悲しいかな。聖王国は大きなトラブルに慣れているのである。つまり、情報の伝達範囲も、いつも通り決めれば良いんだ。
結果、当面は王城に務める重鎮と公爵家に情報を共有する、と決定した。
次回の投稿は10月6日12:00頃の予定です。




