Chapter28-ep 胸を張るには(3)
十一月も半ば。吐息が白くなり始めた季節。今日は、エコルが魔術大陸に帰還する日だった。F・リジルの検証も滞りなく終わっており、彼女も元の生活へ戻るのである。
時差を考えて、【位相連結】を開くのは夜七時。場所はフォラナーダ城内のダンスホールを予定していた。すでにホール内には、オレと嫁たちが待機している。
ただ、
「……遅いわね」
ミネルヴァがぼそりと呟いた通り、肝心のエコルが顔を見せていなかった。予定の時刻と場所は伝達済みなのに。
半眼の彼女をなだめるように、ニナが口を開いた。
「一応、遅刻ではない」
「ニナの仰る通り、定刻まで時間が残されていますよ。残り五分と僅かですが」
カロンもそれに続いたが、絶妙にフォローになっていない。苦笑を溢すその表情からは、『遅刻はしていないが、遅いと思われても仕方ない』といった意見が読み取れた。
すると、次はオルカとマリナが加わった。
「まぁ、仕方ないんじゃない? エコルちゃん、大人気だし」
「今頃、みんなに別れを惜しまれてるんじゃないかなぁ。押しつぶされてないといいけどー」
片や呆れ気味に肩を竦め、片や苦笑を溢しながらもエコルの身を案じた。
どういう意味かというと、エコルの人たらしがフォラナーダでも炸裂したのである。二週間という短い間にもかかわらず、彼女は使用人や騎士たちから絶大な人気を博していた。
言い方はアレだが、一種のマスコットみたいな扱いを受けているんだよ。
ゆえに二人は、『多くの使用人たちに別れの言葉を掛けられ、前に進めていない』とエコルの現状を予想したわけだ。
そして、その予想は正しかった。ダンスホールから少し離れた地点に、多くの部下が集まっているのである。当然、その中心には、エコルに持たせた魔道具の反応もあった。
「確かに、すし詰め状態になってるなぁ」
「配下が主人の予定を狂わせるなんて、大失態も良いところじゃない」
「教育不行き届きで申しわけございません」
オレがオルカたちの言葉を肯定すると、ミネルヴァは溜息を吐いた。次いで、シオンが申しわけなさそうに頭を下げる。
女主人とメイド長という、部下たちを監督する立場の二人だ。こういった反応になるのも致し方あるまい。
彼女たちの名誉のために一つ補足しておくと、エコルの下に集っているのは新人ばかりなんだよね。実力試験をやっと合格したメンバーなので、まだまだ自覚不足の部分があるんだろう。
あとは、エコルがそれほどの人たらしだという証左か。
とはいえ、言いわけの域は脱しないな。彼らの説教は避けられない未来である。
「まぁ、エコル嬢のヒトの好さを考えると、仕方のないところもあるじゃろう」
「あ、あたしとも、な、なな、仲良くなれるくらい、で、ですからね」
どんよりと落ち込むミネルヴァとシオンに励ましの言葉を掛けたのは、学園長ディマとスキアだ。スキアはもちろん、ディマもこの二週間でエコルと交流していた。
二人の言葉に嘘偽りは感じられない。特に、多くの子どもを育ててきたディマの評価は、かなりの説得力があるように思う。
ミネルヴァたちが気力を取り戻すのを認めたオレは、「さて」と声を発した。
「さすがに、遅刻は回避しないとな」
終業時間はすぎているものの、いつまでも待てるほど、オレたちは暇ではない。明日に備えて休む必要もあった。
何より、囲まれているエコル自身が若干困っている様子。別れを惜しむ気持ちは分かるけど、些か寛容し難い状況だ。
だからこそ、強引にエコルを回収することを決めた。「やっぱり、あとで説教だな」と部下たちの未来を決定しつつ、目の前に【位相連結】を開く。
足下に開いたため、エコルはこちら側に落下してきた。落下の衝撃は、実体化した魔力をクッション代わりにして和らげる。
しかし、突然だったこともあって、彼女は上手く受け身を取れなかったようだ。ぐへっと潰れた悲鳴を上げて倒れ伏す。……この辺りは要特訓かなぁ。
部下たちが追いかけてこないよう【位相連結】をすぐに閉じ、念のためにダンスホールの出入口も魔力壁で封鎖する。
それらをこなして、ようやくエコルに声を掛けた。
「大丈夫か、エコル?」
地面に伏していた彼女は、ゆっくりとその顔を上げた。
「もっと優しくできなかったの?」
「【位相連結】は、そこまで便利じゃないんだよ」
涙声の抗議に、肩を竦めて応じる。
エコルは「絶対に嘘だ!」と言わんばかりに睨んでくるが、オレは柳に風と受け流した。
今のセリフに嘘はない。密集状態のエコルを優しく連れ去るのは、【位相連結】単体では不可能である。
こちらが折れないことを察したよう。エコルは溜息を吐き、追及を諦めて立ち上がった。
「やり方はともかくとして、助かったよ。ありがとう、ゼクス」
「どういたしまして。キミは、どこに行っても人気者だな」
「そうでもないでしょ。ゼクスと出会う前は、誰からも避けられてたし」
「それに関してはエコルの問題じゃない……とは言い切れないけど、性格的な問題じゃないはずだ」
「まぁ、うん」
最終的に、エコルは曖昧に頷く。
以前は学校の連中を許すと言っていたエコルだが、未だに差別されていた頃のしこりは残っているらしい。
無理もないか。下剋上を成し遂げてから一年しか経っていないんだ。トラウマに等しい記憶を、そう簡単に忘れられるわけがない。
少し重くなる空気。
しかし、心配はいらなかった。この場には頼りになる嫁たちがいるんだから。
「大丈夫ですよ。フォラナーダに、エコルの血筋を気にする者はいません」
「別大陸の王族なんて、誰も気にしない」
「上に立つ者として私たちは気にするべきなんでしょうけれど、それを踏まえても、態度を変える気はないわよ。こちらの方が強国なんだから、下手に出る理由がないわ」
「ミネルヴァちゃんは相変わらずだなぁ。でも、ボクたちに対して気兼ねしなくていいのは本当だよ。安心してね!」
カロン、ニナ、ミネルヴァ、オルカが次々と語り、他の面々もその意見に続いた。
「みんな……ありがとう」
彼女たちの言葉が本心だと理解したんだろう。エコルは目尻に若干の涙を溜めつつ、笑顔で礼を返した。
「それじゃあ、帰り道を開くぞ」
「よろしく」
一段落したタイミングで、オレはエコルに告げる。
彼女が頷いたのを確認してから、改めて【位相連結】を開いた。
転移先はモオ王国の王城である。事前に、帰還の日程は伝えてあるので問題はない。
【位相連結】から漏れ出る朝日を背に、エコルは頭を下げた。
「二週間、お世話になりました。次は城内以外も見学したいと思うので、良かったら、また招待してください!」
頭を上げた彼女は、「それと」と続ける。
「ゼクスもありがとう。今回は、アタシのワガママを聞いてくれて」
真っすぐこちらに向けられた眼差しには、真剣な色が宿っていた。心の底からの感謝を感じ取れる。
だから、オレも真面目に応対する。
「受け取っておく。ただ、何度も言ってるけど、そこまで気にする必要はないぞ。こっちにもメリットはあった」
「だとしても、だよ。お陰でアタシは……」
「『アタシは』?」
「……ううん、何でもないや。じゃあ、帰るよ。またね!」
何かを言いかけたエコルだったが、すぐに首を横に振り、そのまま【位相連結】に潜っていった。
若干好奇心がくすぐられたものの、わざわざ追いかけてまで尋ねる意欲はない。多少の怪訝とともに、オレは【位相連結】を閉じた。
エコルの見送りは済んだので、この場は解散しよう。そう声を掛けるために振り返ったところ、
「ど、どうした?」
何故か、カロンたち全員の注目を集めていた。その視線は何やら湿っぽい。
また、彼女たちはヒソヒソと内緒話を交わしていた。「怪しい」とか、「いや、違う気がする」とか、「今回は邪推かも?」とか、そんな感じの内容である。
しばらくして、結論が出たらしい。オレの問いに、カロンが代表して答えた。
「何でもございません、お兄さま。私たちの気のせいだったようです」
「そうか」
下手に突くと藪蛇になりそうだったので、大人しく頷いた。
まぁ、実際は何となく内容を察しているわけだけど、気づいていないフリをしておく。突っ込んだら、絶対面倒くさくなるパターンだから。
とにもかくにも、二ヶ月近く続いたヒト型魔獣ひいては魔人族にまつわる一件は解決した。しばらくは、嫁や恋人を愛でる平穏な日々が続いてほしいね。
次回の投稿は明後日の12:00頃の予定です。




