Interlude-Zex 歩き続ける
『これが人間の体の感覚なのね!』
そう言ってピョンピョンと跳ねるのは、空色の髪と瞳を持つ幼女だった。身長は百十センチメートル弱で、顔立ちから八歳前後の年齢に見える。
しかし、その外見情報がまるで意味をなさないと、オレ――ゼクスは知っていた。
というより、最初の発言内容やそれが念話染みた代物だった点で、色々と察しがつくだろう。彼女の正体は人間ではない。
「カレトヴルッフ。何か気になる部分があれば、遠慮なく言ってくれ。調整する」
そう。目の前の幼女は聖剣カレトヴルッフだった。人外どころか無機物なのである。
何故、聖剣の彼女がヒトの肉体を得ているのかと言えば、オレが用意したんだ。前々から、自由に動き回れる体がほしいとカレトヴルッフに頼まれていたために。
彼女の願いを聞き届けた理由は、単純に褒美だ。オレが聖剣粒子という弱点を克服できたのは、カレトヴルッフの貢献が大きかったからね。彼女を真の意味で自由にするのは怖すぎるので、一定範囲から外には出られない制約をつけた上、非力な子どもの肉体にはしたが。
まぁ、その辺りの制約について、当の本人は特に気にしていないらしい。
『まったくもって問題ないわ。これで自由に動き回れる!』
クルクルとその場で踊る姿は、彼女の喜びを如実に表していた。
カレトヴルッフは、身につけているワンピースのスカートを揺らしながら語る。
『それにしても、生きた体を与えられるなんてね。頑張っても、精巧な人形が限界だと思ってたわ』
その見解は正しい。元々、彼女に与える体は、機械仕掛けの人形の予定だったもの。
それが覆ったのは、一ヶ月前のダルクとの決戦において【超越】、ないし神の力を手に入れたためだ。件の力と【力の返還】を併用すれば、人体創造くらいは実行可能なのである。
ただ、簡単ではない。かなり繊細なコントロールを要求されるので、ホイホイと量産は不可能だった。第一、生み出した肉体に入れる魂は作れないし。
オレはカレトヴルッフの言葉に対し、苦笑を漏らす。
「ちょうどいい力が手に入ったんだよ。キミには悪いけど、力を制御するための試金石にさせてもらった」
褒美を練習台にするのは心苦しかったけど、修行にもってこいの内容だったんだよね。その分、かなりこだわって作ったので許してほしい。
こちらが言いわけ染みた発言をすると、カレトヴルッフは偉そうに胸を張った。
『許すわ! 私に不都合がないのなら、正直どうでもいいもの』
相変わらず、自分本位な性格をしている。今回はその性格に救われているので、感謝こそすれ、文句はないが。
オレは「ありがとう」と礼を告げた後、与えた肉体に関する注意事項を伝える。
「注意点は二つ。一つはその体の稼働可能範囲が、フォラナーダ領内もしくは聖剣カレトヴルッフから半径一キロメートルであること。それを越えると、自動的に本体に精神が引き戻される」
人間体のカレトヴルッフは聖剣が人間に化けているのではなく、彼女の精神があらかじめ用意しておいた肉体に憑依している状態だった。
だから、今の彼女に聖剣の力はほとんどない。多少、”星の力”を操れるかもしれないけど、聖剣の時に比べると豆粒みたいな力しか出せないだろう。
「次に、その肉体ではキミの本体や他の聖剣には触れない。無理に触ると死ぬ可能性もあるから、気をつけてくれ」
自分で自分を抱えて逃げ出す、なんて展開を防ぐための処置である。
具体的には、聖剣との接触時のみ、星外判定を受けるように工夫したんだ。一番調整に苦労した部分で、かなりの自信作だったりする。
詳細も教えておいたところ、カレトヴルッフは呆れた表情を浮かべた。
『接触時のみ星外判定って……意味不明すぎる設定ね。やっぱり、神の力って規格外だわ』
「同感だ。これで、まだまだ初歩の初歩なんだから途方もないよ」
『……それって本当なの?』
「本当さ」
瞠目するカレトヴルッフに、オレは頷き返した。
オレも結構使いこなしている自信があるんだけど、極めれば極めるほど奥が深いんだよ、この力。神の力を通して伝わってくる感覚からして、現時点でようやくスタートラインだと思う。
すると、カレトヴルッフは乾いた笑声を溢した。
『呆れを通り越して笑うしかないわね。”星の力”程度じゃ、神の力の足下にも及ばないって理解したわ』
「すべてを極めた末に辿り着ける力だから、当然っちゃ当然だよ」
星の力は、神の力――世界を構成する要素の一つにすぎない。彼我の差がどれほど存在するかなんて、語るまでもないだろう。
こちらの言葉にカレトヴルッフは『そうなんだけどね』と苦笑を溢し、続ける。
『あんたのことだから、神の力とやらも極めるつもりなんでしょう?』
さも当たり前のように、オレの行動を決めつけてくる彼女。今までのオレを振り返れば、その予想にケチはつけられなかった。
しかし、今回は少し事情が異っていた。オレは、神の力を極めることに躊躇していたんだ。何故なら、神の力――【超越】の使用に際し、看過できないデメリットが存在したために。
他世界のオレに呑まれることではない。それとは別の難点が二つほどあった。どちらも、【超越】を解除した後の問題だ。
一つは、【超越】の副作用で一体化した全世界のオレの分離に、かなり精緻な操作が求められること。
喩えるなら、ミックスジュースを元の野菜や果物に戻すような作業なのである。少しでも配分をミスすれば記憶の混濁や能力の欠落などが発生し、最悪の場合、比較的弱めの平行世界のオレが死んでしまうんだ。
ダルク戦では上手くいったが、毎回成功するとは限らない。練習のために何度も使うのは躊躇われた。
二つ目は、【超越】中のダメージが、分離後にも反映されてしまうこと。
仮にオレが死ねば、全世界のオレが全滅するんだよ。死ぬまでいかずとも、全ダメージが等しく全世界のオレにも通る。つまり、弱めの世界のオレが死ぬ可能性が存在した。
しかも、ダメージが反映される時に分離がギリギリ完了していなかったりすると、弱いオレの死が全オレに反映される。まさに死活問題だった。
以上の二点から、積極的に練習するのははばかられた。使わなければ死ぬ状況ならともかく、ただの練習に命を懸けたくはない。
この辺りの真相を、カレトヴルッフに伝えるつもりはない。わざわざ手札を明かす必要はないからだ。カロンたちにでさえ、この件は秘密にしているし。
オレは肩を竦めるに留め、カレトヴルッフの質問には曖昧に返す。
彼女も、そこまで興味をもっていたわけではないらしく、それ以上の言及はしてこなかった。それよりも、今の肉体がどこまでできるか試したい様子。
『ちょっと城の中を回ってみるわ!』
そう言って、彼女は部屋の外へと駆け出していった。
オレは「気をつけろよ」と言葉をかけ、彼女の背中を見送る。
「さて。オレはもうひと頑張りしますか」
周辺に誰の気配もないことを確認した後、オレは【刻外】を発動する。もちろん、神の力の研究をするためだ。
命を懸けてまで練習したくないのではって?
練習はしたくない。だが、研究をしないとは言っていない。
神の力を無闇に修行するのではなく、まずは現存するデメリットの解決方法を探ろうと考えたんだ。実際に【超越】は使わないから危険性はない。
普通に鍛えるより何倍も時間はかかるだろうけど、幸い、オレには【刻外】があった。『力の返還』のお陰で魔力上限がさらに上がったので、約十年は時間経過を無視して研究ができる。さすがに、すべてのリソースを神の力の研究には注げないけど、普通に行うより早く成果を上げられるはずだ。
もう、誰かが死ぬ運命にあるわけではない。しかし、誰かが死ぬ可能性はいつだって残っている。
ならば、成長を止めるわけにはいかないだろう。いつか訪れる終わりの時まで、オレは歩き続けたいと思う。最愛を、家族を守るために。
次回の投稿は明後日の12:00頃の予定です。




