Chapter26-2 標破者(6)
「バカめ!」
声変わり前の甲高い声が聞こえたかと思うと、その場にいたはずの劉仙が跡形もなく姿を消した。どうやら、逃亡を企てたらしい。
「へ?」
「き、消えた?」
白雪とウィリアムは、目の前で起きた現象に見当がつかず、困惑している。
一方、オレとサザンカは冷静だった。
いや、溜息程度は漏れたかな。あまりにも短絡的な行動に出たことに呆れて。
「ぐえっ」
姿を消してから二秒と置かずに出入口の扉が開け放たれ、劉仙が現れた。同時に、『ガン!』と鈍い衝突音が響き、彼が後方に引っくり返る。
何が起こったのか。
答えは単純だ。【牢獄位相】の壁に、劉仙がぶつかっただけ。この部屋の境界線に沿って、あらかじめ【牢獄位相】を展開していたんだ。
何の備えもなしに、彼を解放するわけがない。最初から、彼が逃げられる可能性は皆無だったのである。
「うぅ、痛いよぉ」
壁に強打したらしい顔面を両手で覆い、メソメソと泣く劉仙。
完全に演技だな。隠しているけど、ぶつけた箇所は無傷だもの。それどころか、痛みさえ感じていないはずだ。
あの程度で傷つけられるなら、暴れ回っていた時に手足を痛めている。標破者だけあって、彼はとてつもなく頑丈なんだ。
とはいえ、コロッと騙される男は多いだろう。あれは、男心を的確にくすぐる声や仕草だ。計算尽くされている。
オレ? オレはああいうタイプが苦手なんだよ。特定人物の歓心を誘うための媚びなら良いけど、不特定多数の愛を誘う媚びは嫌いだ。
ウィリアムは若干心苦しそうにしているが、白雪が牽制しているな。そうそう。きちんと手綱を握っておけよー。
「……チッ」
誰も駆け寄ってこないと理解した様子。劉仙は露骨に舌を鳴らし、スクッと立ち上がった。その眦には、涙の一滴もついていない。
劉仙はその黒い瞳でオレを睨んできた。
「で、おれに何の用だよ、世間知らずの坊ちゃんがよォ」
荒々しい口調には、多分な敵意と僅かな嘲りが含まれていた。
それに息を呑んだのはウィリアムと白雪の二人。『雰囲気が全然違う』と溢しているので、彼らには演技をしながら接していたんだろう。
「無様に捕まってるくせに、ずいぶん強気な態度だな」
心地良い殺気を浴びつつ、オレは挑発するように笑う。
対する劉仙は鼻で笑い返した。
「どういう術理かは知らねぇが、ただ空間を区切ってるだけだろう? タネが分かれば、対処はできる」
嘘ではなさそうだ。劉仙の振る舞いは自信に満ち溢れており、虚勢を張っている感じはしない。
それに、彼のこぶしに集まっている生命力は、今までのそれとは趣が異なっていた。特殊な練り方をしているのか、離れたこちらにまで威圧感を与えてくる。
未完成のようだが、あれが完成すれば【牢獄位相】も突破できそうだ。
要するに、この会話も時間稼ぎの一環なんだろう。彼の勝利条件は『オレたちを倒すこと』ではなく、『この場から逃げること』だし。
とりあえず――
「【万物の色を剥す無彩色】」
色魔法を用い、こぶしに集まっていた生命力を霧散させる。
さすがは標破者。完全霧散とはいかなかったが、八割は無効化できた。
それを受け、再び舌を鳴らす劉仙。
「そう簡単にはいかねぇか。しゃあねぇ。直接、相手してやる」
彼はこぶしを構え、全身から生命力を滾らせた。かなりの密度のようで、迸るオーラが物理的に輝いている。しかも、黄金色。
派手だなぁと思いつつも、油断はしない。
まとう生命力の量や質を見れば分かる。彼の実力はカロンたち以上だ。天翼族でいう智天使――否、緑の魔法司と同等はありそうかな。人類の頂に立つ者だった。
正直、驚いている。魔法司並の力を持つ李雲が『自分よりも強い』というから、それなりの実力者であることは理解していた。だが、それでも、せいぜい座天使程度だと踏んでいたんだ。
とはいえ、考えてみれば当然の話か。
李雲曰く、標破者とは道士の頂点に、自動的に与えられる称号らしい。その仕組みは、魔法司よりも死鬼に近いな。
その座を、何百年も――それこそ、誰の記憶からも忘れされられるほど死守してきたんだ。そんな化け物が、生半可な強さに留まっているわけがない。
なるほど。緑の魔法司と同じだ。自分の確かな実力を理解しているゆえに、劉仙は“負け”を考えない。己が勝つと確信しているんだ。
その過信を笑うことはできない。オレがいなければ、彼が誰にも敗北しないのは事実なんだから。神の使徒を超える人間なんて、『第一話でメインヒロインが死に、その後も復活することがない』くらいの想定外だと思う。
だからといって、手加減はしないけども。
劉仙の周囲に頑丈な結界を張った上で、
「【万物を塗り潰す無彩色】」
物質を消滅させる色魔法を発動した。
消し飛ばすのは劉仙ではない。彼は膨大な生命力に守られているため、直接干渉するタイプの魔法は、上手く作用しないもの。
消すのは結界内、彼の周囲の空気だ。
「――ッ」
一気に変化した気圧は、劉仙の行動を大きく阻害する。内圧が強調され、あらゆる不調を引き起こすんだ。雨の日に頭痛がしたり、古傷が痛むことの強化版だと考えてくれ。
もちろん、この程度の攻撃で劉仙を止められるとは思っていない。一秒……いや、ほんの一瞬だけでも、時間を稼げれば良かったんだ。
その僅かな間隙さえあれば、オレの魔眼はすべてを見通し、術を植えつけられる。
白く輝く【白煌鮮魔】は、劉仙のまとう生命力の隙間を見極めた。その直後、瞳にストックしていた魔法を発動する。
ごく小規模、三百グラムほどが収まる小さな箱を、彼の体内に生成する。そして――
「ッらぁあ!!」
劉仙が大気の檻を脱出するのと、オレの魔法が彼の臓器を潰すのは同時だった。
勢いに任せて襲い掛かろうとする劉仙だったが、すぐに自身の異変を感じ取ったよう。口元からこぼれる血に気づき、ゴボッと大量の血を吐いてから、その場にくずおれた。
倒れたままピクリとも動かなくなる劉仙。
そんな彼を見て、ウィリアムが引きつった顔で問うてきた。
「な、何をしたんだ?」
「心臓を潰した」
「心臓!?」
よほど衝撃的な回答だったらしく、素っ頓狂な声を上げるウィリアム。
「こ、殺したんですか!?」
彼だけではない。その隣にいた白雪も、慌てた様子で尋ねてきた。
その質問に、オレは苦笑を溢す。
「この程度で死ぬ相手なら、もっと簡単に捕縛できたんだけどねぇ」
「うむ。まだ、魂は肉体に留まっておる」
オレの答えを補足するように、サザンカも頷いてくれた。
そう。劉仙は死んでいない。心臓が壊れたくらいで死ぬなら、標破者の称号は授かれていない。
現に、彼の潰された心臓は治っていた。致命傷をほんの一瞬で修復するとか、本当に化け物だな。オレの【身体強化】でも、ここまで治癒力は高められないぞ。
「かはっ。殺す気か!」
息を吹き返した劉仙が、ガバッと頭を上げて抗議してくる。
オレは肩を竦めた。
「それくらいで死なないだろう?」
「痛いものは痛いんだよ!」
“痛い”は誤魔化せない。真理だな。
オレや劉仙の実力ならできなくもないけど、あえてやらないんだよ。人間性が破綻しそうだからね。あと、限界の見極めをミスして、うっかり死にそうだし。
「で、戦闘を続行する気は?」
オレは倒れる劉仙を見下ろしながら問う。
対して、彼は不機嫌そうに返した。
「ねぇよ。分かり切ってることを聞くな」
「何ごとも確認は大事だからさ」
「チッ」
舌打ちした彼は姿勢を変え、その場に胡座をかいた。可愛らしいスカートをはいているので中身が丸見えになっているんだが、気にする素振りはない。吹っ切れた雰囲気があった。
「おれの生殺与奪権は勝者のお前にある。煮るなり焼くなり好きにしろ!」
何とも男らしい発言である。この国で、多くの男をたぶらかしてきた女装野郎とは思えない態度だ。こういった彼に未だ慣れないのか、ウィリアムや白雪は目を白黒させている。
「殺しはしないよ。殺すつもりなら、とっくに殺してる」
「だろうな」
「キミには、とある実験に協力してほしい。『力の返還』と言えば、伝わるかな?」
「……その話、詳しく」
題目を教えただけなのに、急に前のめりになった劉仙。
変わり身の早さに、オレは苦笑いを浮かべた。李雲が言っていた通り、『面白そうなこと』に目のない人物らしい。
想定外の事態はあったが、優秀な道士の協力は得られそうだ。この調子で、憐れな子どもたちを救う方法も確立したいね。
次回の投稿は明後日の12:00頃の予定です。




