真夏の校舎の屋上(1)
「暑っちい……。」
夏真っ盛り。校舎の屋上へ弁当片手に上がったは
いいものの、この暑さでは屋上での昼食は断念す
るしかない。
「こんな暑いとこで食えねぇだろ……。おい食堂行こうぜ。」
先に上がった紺優に声をかけ、俺達二人はさっさと階段を降りようとする。
「あ!あっちに陰あるよ、向こうなら涼しいんじゃない?」
屈託のない笑顔に負けて俺と彼和は紺優の隣に座る。
今日の弁当は兄貴が作ったからお握りしか入っていない。相変わらず料理のレパートリーを増やす気は無いらしい。
ふと、隣に座っているはずの紺優を見やる。と、そこに紺優の姿はなくなっていた。
「ん、紺優?!どこいった!」
俺は慌てて屋上を見渡す。すると、上の方から声が降ってきた。
「おーい、私こっち。めっちゃ眺めいーから春乃も来なよ。」
俺は少しばかり安堵しつつ、呆れ顔で頭上を振り返った瞬間目を見張った。
風になびく髪、ふわっとはためくスカート、夏服の袖から伸びる白い腕、黒いニーハイを履いた細めの足。そして、楽し気に細められた漆黒の瞳。
思わず見惚れていると、
「何ー、私がジャージ脱ぐのがそんなに変?暑いし、偶になら良いでしょ。」
そうじゃねぇよバカ、という本音は呑み込み気を取り直して紺優を見上げる。
「お前なぁ、スカートなんだからちっとは女子らしく下に座っとけよ。しかも男の前でとか何、煽ってんの?襲うよ?」
は、何を今更と俺を馬鹿にしたように見下ろしながら紺優がゆっくりと立ち上がる。
「馬鹿じゃねぇの、襲われるのはお前の方だろ。ネクタイなんか緩めちゃって、首元エロいですよー。つかそもそも私がそんなドジするわけ無いから。」
何でコイツは襲う側なのかちっとも理解出来ないが、確かに紺優はドジっ子のDも無いぐらいドジをしない奴だ。そして女子らしさのJもない。
「それはそうとお前、俺が高所恐怖症なの知ってて言ってる?性格わりぃな。」
喋るのが面倒になったのか、紺優は立ち上がっていう反対側に歩いて行く。
余計な事は言わなくて良いか。
思い出した言葉を無視して彼和の隣に座り直す。
相変わらずの無愛想、安定の口下手。
だが今日はいつにも増して近付くなオーラが凄まじかった。
「なぁ、何かあったの?すっごい眉間にシワ寄ってるけど。」
「え、別に何もないよ。春乃には関係無い事だから気にしないで良い。」
それだけ言うと,黙々とサンドイッチを食べ続ける。ちなみに五枚目だ。
「それ、あるって言ってるようなもんじゃん。てかお前、何枚食うつもり……?」
「んー今日はそんなお腹減ってないから二十枚くらいかな。」
いやいや、それ、普通は腹減っててもそんな食わねぇよ……?
「あ!彼和ー、私にも五、六枚ちょうだい。また弁当あげちゃった。」
紺優が手ぶらで上がってきたのが不思議だったが、また中身を鳥にあげたらしい。
「彼和も紺優もめっちゃ食うな。普段動かねぇくせに何で太んねぇんだよ羨ましい。」
「私にもいろいろあるんでね。まぁ、ただ単に食べなきゃいけないから食ってるって感じだけど。」
まだちゃんと飯が食えていないのだろう。
こいつは本当に、まるっきり過去の影響でできてるみたいだ。
多分、俺の言葉じゃ届かないんだろうが、それでも救われてほしいと思ってしまう。
それからは、誰も口を開かずとも居心地の良い雰囲気で昼食を食べ終えた。
けれど、紺優は貰ったサンドイッチを食べるでもなく、返すでもなく、ひたすらに何かを考えていた。
俺達三人は、それぞれクラスが違うから、内情を詳しくは知らない。
だが、きっと紺優の耳にも彼和に対する噂が届いているのだろう。
当然俺も知っている。
お互い情報収集は怠らない質である。
まずい、きっと紺優は高校に入ってある程度馴染む前に動くはず……。
最初の内に植えつけられた印象や評価は簡単には覆らないのだ。
「……今の内に先手打っとかなきゃな……。」
そっと彼和の耳に触れながら聞こえないくらい小さな声で呟く。
きっとこの声は紺優に届いているだろう。
上から殆ど音も無く降り立った紺優は
「私先戻るね。」
と階段を駆けて行った。
全くどうしたものか。
紺優が動くと、良い面に行くのか悪い面に行くのかのどちらかが基本である。
しかし、俺には紺優の行動が読めない。
アイツの変化球は難しいのだ。
堂々とハッタリをかましたり、裏で隠密に動いたり。
悪知恵が働くと言うか、仕事が早いと言うか……困ったもんだよ本当に。
けれど一つだけ、たった一つだけ弱点がある。
「詰めが甘い」最重要にして最悪の弱点。
所々に散らばるヒントがその証拠だ。
悪い方向、いわゆる「自虐」という面に向かった場合、俺達はその手がかりを集め止めなければならない。
「春乃?どうしたの?」
そう俺を見上げる彼和の右手にはカッターが握られている。
「いや、明日学校嫌だなと。てか何、お前また爪でアート作品創り上げてんの?」
本当器用だな……。
「んー、今回はちょっと違うかなー。」
と,左手の小指を差し出してくる。
そこには、紺優が髪の毛を切ろうとしている場面が描かれていた。
……は?なんだこれ。
コイツって人物画描かないんじゃなかったっけ?
「これ、紺優だよな?お前が人描くとか珍しい。遂に依頼来たの?」
彼和の作品はクオリティーが高いから、いつ依頼が来てもおかしくないのだが、未だにそういった仕事は来ていなかったらしい。
「だから作品じゃないってば。なーんか紺優ちゃんが企んでたから思いついただけ。」
「あ、お前もそう思った?やっぱアイツ何か企んでいるよなぁ?まぁ、首を突っ込む気は無いけど。」
俺はもう一度彼和の小指を見る。
紺優が髪を切る場面……。
紺優はいつから、辛い事やどうしようもなく苦しくなった時によく髪を切る。
そっと目だけで彼和を見下ろす。
彼和はきっと知っている。
なぜアイツが、紺優が、全てを一人で背負おうとするのか、護ろうとするのか。
「あ、私トイレ行ってくる。先教室戻ってて。」
「んぁ、おう。鐘鳴る前に戻れよ。次、体育の持久走だろ?お前の得意分野じゃん。頑張れよ。」
ん、と小さく頷いたのを見て歩き出す。
俺は次の授業に遅れる訳にはいかない。
なんせ、次の公民の先生がとんでもなく面倒だと有名なのだ。
遅れただけで目の敵にされると専らの噂である。
そもそも俺、公民得意科目だから授業受けてても復習にも暇潰しにもならないんだよなぁ……。
「……はぁ、幸いな事に暇潰せそうな材料は五万とあるんだよな……嬉しくは無いが。」
彼和の事、紺優の画策、彼和の作った「紺優が髪を切るシーン」の意味、その他諸々、エトセトラ。
なんでこう俺の周りは疑問が次から次へと湧き出すのだろうか。
「はぁー……。」
「おーい春乃!春乃助!!」
「誰だよ春乃助って!!あと急に飛び付いてくんのやめろって毎っ回言ってんだろっ!!」
心からの深い溜息と同時に飛び付いて来たのはクラスメイトで親友の空だった。
すっ……、と空の腕を掴むと空が慌てて手を引っ込めようとするが、俺はガチッと握って離さない。
そのまま後ろに足を蹴り上げ、背負い投げのようにしながらゆっくりと空を前方に落っことす。
「……!そーゆーお前も、ゴホッ……毎度毎度投げるように落とすのやめろよ……!」
背中を打ちつけて悶えている空を横目に、俺はスタスタと歩き出す。
「あは、学習しろよ。そんなんだからお前は女子にモテねぇんだよ。つか、そもそもお前が飛び付いて来なけりゃ話は早いんだけどなー。」
「モテねぇのはテメェも一緒じゃねぇーかっ!!あーでもお前は良ーよなー。かっわいー幼馴染ちゃんが居て。」
飛び付いて来る話はスルーかよ。
お前が始めた話だぞおい。
「言っとくけど、彼和は恋愛対象じゃないぞ俺は。彼和にそんな事言ってみろ、ぶん殴るからな。そもそもアイツはアイツで恋愛感情無いらしいから、好こうが嫌おうが興味無いし相手の感情だから気にしないらしいぞ。はぁ…ドンマイ。」
背の低い空を憐憫の目で見下ろす。
「はんっ!近藤さんは見るだけでいーんだよっ。そっちじゃなくて、俺が言ってるのはこ、う、さ、んっ!あの流れるような黒髪、いつも閉じられた小さな口、控えめに開かれた綺麗な瞳……クッ!!アーッ羨ましっ!」
あーうっせ。マジでうるせぇ。
てか紺優好きとは珍しい。
大抵の奴等は彼和が好きなんだよなぁ。
まだゴチャゴチャと言ってる空が鬱陶しい。
しかもちゃっかり俺の隣を歩いている辺り、授業サボる気満々なのが余計面倒くさい。
本当に、心底コイツの紺優さん大好きコールはどうでもいい。
そんなことより俺はさっきから気になっていることがあるのだ。
「なぁ空、さっきから気になってたんだけどさぁお前……遂に女装癖に目覚めたのか……?おにーちゃん心配だよ……。」
そう、空はジャージを着て、ロングヘアのウィッグを被っている。
「誰がにーちゃんだうっせぇわ‼︎俺だって好きで着てんじゃねーし!」
着ている、という言葉に引っ掛かりを覚え、空の着ているジャージの刺繍されている名前を見る。
そこには「鈴村紺優」女子の名前だ。
……………………。
「いや紺優⁉︎え⁉︎何でお前が紺優のジャージ着てんの⁉︎は、意味わからんっ‼︎おい空!紺優どこにいるんだ、吐けやオラッ‼︎!」
「ちょちょちょ、落ち着けって!クラスの女子に無理矢理着せられたんだよ、『空くん女の子みたいだから絶対似合うよ』って‼︎ちょ、ジャージ引っ張んな伸びるっ伸びるからっっ!」
しかし俺の頭は軽くパニックだ。
空の胸ぐらを掴んでギリギリと締めあげ問い質す。
「いいから紺優の居場所!教えねぇなら目ン玉引っこ抜くぞ‼︎」
「え怖‼︎だぁーもう、紺優さんなら先にグラウンド行ったよ!次四組と合同の体育なんだよ俺達‼︎」
「グラウンド⁉︎」
やっと頭が正常に動きだす。
グラウンド、体育、ジャージ……。
……あぁ、そっかそれなら大丈夫か。
「ふぁ…あ、ごめん怒鳴って。」
パッと手を離し早足で校庭へ足を向ける。
正直、空の事なんてどうでも良くなった。
今、紺優のジャージは空が着ている。つまり紺優は今体育着だけだ。
小学校からずっとジャージを着てきたのだ。
精神面が非常に不安になっていないかという事と彼和のメンタルも心配だ。
「何々、美人の幼馴染のジャージ、俺が着てるから嫉妬してんのかー?案外欲深いなぁ春乃クンはー。」
無言で回し蹴りを脛に入れ、蹲る空を置いて何事も無かったかの様に歩きだす。
「なーゴメンってー。嘘だよー、許せよー。」
さっきまでの痛そうにしてた顔はどこに行ったんだと言いたくなる変わり様だった。
なんだかんだでコイツは一応男子、それなりに体は丈夫なのだ。
「んで、春乃はどこ行くの?」
まさかコイツ、どこに行くのか知らずに俺について来ようとしていたのか……。
一つの言葉が頭を掠めると同時に勝手に口が動いた。
「知らない人について行ったら駄目よ?」
「お前は俺の母ちゃんかっ‼︎てか小学生じゃねーぞ俺は!」
ふがふがと憤慨している空は精神的に子供だと思えた。
「んな事はどーでもいいんだよ。俺が行こうとしてるのはグラウンド、お前が行こうとしてるのは仮病がバレる場所。understand?」
「えー、グラウンド行くのー?暑いから休もうとしたのに行ったら意味ないじゃん。俺保健室で画像漁るからパスー。一人で行ってら。」
ひらひらと手を振って、のっそりと反対方向を向く空の襟首を掴んで囁く。
「なぁ、暑いのより、美少女二人の絡みの方が大事じゃねぇか……?持久走は一回きり……つまり二度とこのチャンスは巡って来ないかもしれないんだぜ?お前、そんなシャッターチャンスを逃すのか?」
今回の体育は、俺以外が基本見れない夢のコラボ的なやつなのだ。
彼和と紺優は、俺の前以外、というか周りに俺以外の奴がいる時はあまり喋らない。
仲が悪いという訳ではないらしく、よく見ると持ち物を交換していたりする。
「ちなみにそれ、……撮影オッケーだぜ?」
「何してんの春乃?早くグラウンド行かないと遅刻するよ?」
「変わり身が早い‼︎」
まぁ、何はともあれコイツがグラウンドに行ってカメラ構えさせればこっちのモンだ。
蝉の鳴き声がうるさい。
女子の甲高い声が耳に刺さる。
シャッター音が連写なのも地味に苛つく。
「あ〜……暑っつ…。」
カシャッ
カシャカシャッ
カシャシャシャシャシャシャ…
「うっさいわ‼︎撮り過ぎだろこの変態!」
遂に怒鳴ってしまった。
だが先生にバレない様に小声で怒鳴るのを忘れないあたり、流石俺だと思う。
「…俺今忙しいから黙ってて。」
うわ、さっきの台詞の効果強過ぎた…ゴメン彼和‼︎
「……こりゃバレたら半殺しにされるな空諸共…。」
墓まで持っていきたい。
と、不意に頭上から水が降ってきた。
バシャアッという感じで。
「うわっっ!冷たっ‼︎スマホ防水で良かったっ!」
「うお、何?めっちゃ吃驚したぁ。」
「いっっやお前絶っ対驚いてないだろ⁉︎」
正直本当にかなり驚いている。心臓に悪い。
「やっほーお二人さ〜ん。何ですかー?覗きですかー?気持ち悪いですねぇ、早く死んでくれませんかー?」
にっこりはなまるぴっぴな満面の笑みで水と一緒に毒を降らしてきたのは彼和の友達の一人、佐和田だった。
ちなみに俺の友達でもある…と思いたい。