想い人
●久しぶりの投稿になります。まだまだ未熟者ですが、皆様に楽しんでいただけたなら幸いです。
澄みきった青空を小鳥達が横切っていく。翠蘭は悲しげにその姿を見送っていた。
「翠蘭、ここにいたのか」
背後に聞こえた老人の声に、翠蘭の顔は一瞬陰る。 しかし振り返った彼女は柔らかな笑みを浮かべ、膝を折った。
「あらお父様。おはようございます」
優雅に一礼した少女を見て、彼女の父、翠鳳は微笑む。
「支度は済んだのか?」
「ええ」
顔を上げた翠蘭は真っ直ぐな瞳を父に向けた。 そんな彼女の鮮やかな緋色の瞳に、翠鳳は目を細めた。
「お前は年々美しくなる。婚殿もお前に心奪われる事だろう。もうすぐ刻限だ。部屋でゆっくりしていなさい」
翠鳳はそれだけ言うと邸の中へと入っていった。
翠蘭はその後ろ姿を膝を付いて見送ると、ふっと笑みを溢した。
「劉朴、もう出てきてはどう?」
くすくすと笑いながら翠蘭は立ち上がり振り返る。
木陰からバツの悪そうな顔で出てきた青年に、少女はにっこりと微笑む。
「すみません…その…」
「あら、いいのよ。ねぇ、それよりどう?この衣」
くるりと回って見せながら、翠蘭は新しい衣の裾を広げた。それに合わせて少女の首飾りがキラリと煌めく。
彼女の纏う淡い水色の姫装束。黒髪に緋色の瞳と白い肌の少女には、その淡い色は少々不釣り合いだった。
「良い色だけど、私には合わないわよね。婚家から送られてきたから仕方なく着たけど」
センスないわよね、と笑う少女に劉朴は何も言えなかった。何と言うべきなのかも分からない。
「姫…」
「また姫って呼ぶ。ちゃんと名前で呼んでちょうだい」
劉朴の唇に人差し指をあて、ぷぅと頬を膨らませる。
薄化粧を施した整った顔が不機嫌そうに歪むのに、劉朴は苦笑いを浮かべた。
「翠蘭」
「よろしい」
途端に弾けるような笑みを見せる翠蘭に、劉朴は吹き出してしまった。
「君は変わらないな」
「あら、悪かったわね」
目尻に浮かんだ涙を拭い、劉朴は美しくなった少女を見る。
上流貴族、李家の一の姫である翠蘭は今日、貴族の若君の元へ嫁いでいく。長く李家に仕え、彼女の幼馴染みでもある劉朴としては喜ばしい事なのだが。
もうちょっとましな色は無かったのかしら、と宣う少女に劉朴は熱い想いを込めた視線を向ける。
ズバズバと物を言うものの、その容姿は美しく、心優しい姫を劉朴は幼い頃から慕っていた。
しかし、第一身分が違う。家臣が主人に恋心を抱くなど許されない事だ。
劉朴は知らず知らずの内に溜め息を吐いた。その様子を翠蘭が見つめていた事など知らずに――
部屋に戻った翠蘭は卓の上に置かれた包みに首を傾げた。
(何かしら?)
手に取って見れば柔らかな感触が返ってくる。訝りながらも包みを開いた翠蘭は、はっと息を飲んだ。
同時に零れたのは涙。
「あの馬鹿…」
包みを胸に抱いたまま、翠蘭はしばらくの間、肩を震わせていた。
日が真上に昇る頃。翠蘭の乗る輿が準備を整え、姫君の登場を待っていた。
やがて下女と共に現れた姫の姿に、その場にいた全員が息を飲む。
憂いを帯び、伏せられた緋色の瞳。白い肌に映える艶やかな黒髪は結い上げられ、髪飾りで留められている。
まるで天女の様な出で立ちの少女を更に引き立てているのは、彼女の纏う姫装束。
誰もが感嘆の声を上げる中、劉朴は体が震えるのを懸命に押さえていた。
翠蘭の纏うその衣は、彼が密かに彼女の部屋に置いていたもの。
彼女の瞳と同じ、緋色の柔らかな生地で出来た装束だった。
「劉朴、どうかしら?似合う?」
気付けば愛しい姫が目の前まで来ていた。
劉朴は何も言えずにただ頷く。
翠蘭は頬をほんのりと赤く染め、彼の手に自分の手をそっと重ねた。
「今までありがとう。…元気でね」
艶やかな笑みを浮かべ、少女は踵を返す。そして見送る人々に笑顔を見せながら、輿に乗り込んだ。
静かに出立した輿が見えなくなるまでじっと見送った劉朴は、ようやく握りしめていた拳を開いた。
そこには先程、愛しい姫が残していったものが握り締められていた。
「翠蘭…」
それは彼女が大切にし、何時も身に付けていた緋と碧の勾玉が連なる首飾り。それと小さな紙切れだった。
小さく折り畳まれたそれを広げると、少女らしい文字が目に飛び込んでくる。
『我君想』
たったの一言。
だだそれだけで十分だった。
劉朴は遠く彼方を見つめ、静かに彼女を想った――
――End――
●最後までお読み頂きありがとうございます。名前を変えてから初の投稿でしょうか…ね?(記憶なし) ●長いことスランプから脱出出来ず、参加したいと思いながらも書けない状態にありましたが、最後に参加出来て充実感、達成感を感じております(笑)しかし、まだまだですのでご意見、ご感想いただけると嬉しく思います。 ●最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。