サンドラ(2)
〈男〉は、辟易した様子で一息吐いた。
「何の話だ? 何故、そんなことになる?」
「お前は、あの森でバケモノと会ったのかと聞いているんだ」
「……会ってない。あの森にはバケモノなどいなかった」
あの森には、『バケモノ』と呼べる存在はいなかった。サンドラが、どのような意図で〈男〉に『本物のバケモノ』の話を持ちかけたとしても、〈男〉の答えは変わらない。あの森には、『バケモノ』などいなかった。
「おいおい、嘘をつくなよ、ニコラス。あの森に送った連中は、お前以外は誰一人として帰ってこなかった。皆、あの森にいる『本物のバケモノ』とやらに殺されたんだ。そうだろ? 他の奴らは死んで、またお前だけが生き残った。お前だけが生き延びた。お前はバケモノに勝った。違うか? 違うと言えるのか?」
サンドラの声が耳に張り付く。逃さない、離さないと言わないばかりに。
「お前はあの森で何を見た? なぁ、教えてくれよ、その目には何を映したんだ?」
「俺の目は見えていないことを、お前も知っている筈だが、何故、そのようなことを聞く?」
〈男〉が反論すると、サンドラは声を上げて嗤った。まるで、〈男〉の返答を冗談にしてしまうかのように、盛大に笑い飛ばしてきた。
「何を言っているんだ、ニコラス。お前の目は、見えていないいんじゃなくて、見ようとしてないんだろ」
「……」
「お前も本当は気づいているんだろ? お前の目が見えていないのは、目が悪いだけじゃなく、お前を育てた爺さんが『余計なもの』は見るなと言い聞かせてきたからだと。従順なお前は、爺さんの言う通り、『余計なもの』を見ないように、見て見ぬふりをしてきたんだろ」
『余計なものは見るな』『余計なことは考えるな』
老人が繰り返し言い聞かせてきた言葉が、頭の中に甦る。
以前にも、老人の言葉を『呪い』だと言った者がいた。何処の誰が、どうしてそのようなことを言い出したのかは、思い出せない。
思い出そうとしても、思い出すこともできないのに、今、目の前にいるサンドラの言葉よりも、思い出せない『誰か』に言われたことの方が、息もできなくなりそうなほど〈男〉の胸を締めつけてくる。
「……余計なものは見ようとしない癖に、お前のその目は、あのバケモノ共のことは、映したがる。そんなに奴らが憎いのか?」
サンドラは――隻眼となった女は、真っ直ぐに〈男〉を見据えた。その視線から逃れるように、〈男〉は俯いた。
「……憎いわけじゃない」
「憎いわけじゃないか……お前は本当に素直だな、ニコラス。お前以外の連中は、皆、バケモノ共に殺されちまった。
なのに、一人だけ生き延びたお前は、バケモノどもを庇うんだな。あの森で、バケモノの奴に絆されたか?」
サンドラの独眼が、獲物を狙う狙う狩人が如く、獰猛に〈男〉の目を捉えた。貼り付いた笑みの下で、長く磨かれてきた牙が、今にも喰らいつく機会を窺っている。
「ニコラス、お前が連れてきたガキは、何で生きているんだ?」