灰色の少女(3)
彼女との奇妙な関係が始まったのは、この町に向かう船の中だった。
〈男〉が目を覚めると、積み荷に囲まれた部屋の床に寝かされ、傍らには、見知らぬ少女が座っていた。
見た目は〈少女〉とさほど変わらない、十四、五歳ほどの子供のようだが、医者が怪我人に使う治療薬のツンとした臭いと枯草の混ざった匂いをさせ、黒い髪で黒い服を着た、まるで影のような姿をした静かな娘であった。顔は、殴られたのか、蹴られたのか、赤く腫れ上がっており、濃い蜂蜜酒のような色の瞳からも、人間であることがハッキリとわかった。
「目が覚めましたか。大丈夫ですか? 喉が乾いていませんか?」
少女は、起き上がった〈男〉の顔を心配そうに覗き込んで、真剣な顔で尋ねてきた。
初めて会った、おそらくは、今、顔を合わせたばかりの相手の何を心配しているのか、呆けた〈男〉に、少女は手を伸ばし、〈男〉の額に手を当てた。
「熱はないようですね。安心しました」
そう言うと少女は、心底ホッとした様子で手を離した。
見たところ、悪意や敵意はないようだが、彼女が何を心配しているのか、〈男〉には全く理解できなかった。
以前、どこかで会ったことがあったとしても、今、この場で、彼女が〈男〉を心配する理由にはならない。彼女の方が、〈男〉の目にもわかるほどの怪我をしているように見える。
「お前は誰だ? 何故、俺に構うんだ?」
「申し遅れました、私は〈灰色〉と申します」
「ハイイロ?」
「はい。宜しければ、あなたの名前も教えていただけますか?」
名前を尋ねられ、〈男〉は眉を寄せたが、〈灰色〉と名乗る少女は、眉一つ動かさず、真っ直ぐな目で〈男〉を見つめ返してきた。
「……ニコラスだ。そう呼ばれている」
「呼ばれていると言うことは、本名ではないのですね。私もニコラスさんと呼んでもよろしいですか?」
「好きに呼べばいい」と〈男〉が答えると、〈灰色〉と名乗った少女は「ありがとうございます」と一度深々と頭を下げたが、すぐに顔を上げ、近くに置いていた荷物を手繰り寄せた。
「では、ニコラスさん。さっそくですが、お腹の傷の様子を見たいので、上の服を脱いでいただけますか?」
「は?」
「お腹の傷は、消毒と縫合はいたしましたが、まだ完治したとは言えません。傷口が完全に塞がるまでは、様子を見させていただきます」
少女はハキハキと答えると、鞄の中から汚れていない包帯といくつかの小瓶を取り出した。
「医者か?」
「医師……ではありませんが、応急処置程度なら学んでいます。ですから、町に着いたら、きちんとしたお医者様に見てもらってください」
少女は〈男〉に近づくと、あの森に行った時に、〈少女〉に付けられた傷を丁寧に見始めた。〈灰色〉の言う通り、傷は完治していないようで、傷口に当てていた布は血で滲んでいた。痛みに鈍い自覚はあったが、今まで大した痛みを感じてはいなかった。〈男〉自身、今まで眠っていたこともあって、傷口が開いていたことも気づかなかった。
手際よく丁寧に包帯を外し、俯き治療を施す〈灰色〉を見て、〈男〉も漸く、船に乗せられる前に何が起きたのか思い出した。