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陽だまりに月  作者: 長菊月
怪物と英雄と弱者と
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灰色の少女(1)

 目の前が真っ暗になった。〈男〉の目の前は、文字通り真っ暗だった。

 自身の身に何が起きたのかも、今一つわかっていない。暗闇の中をさ迷っている気分が纏わりつく。

代わりに思い出したのは、〈男〉が、あの森へと行くきっかけのことだった。


「なぁ、ニコラス。本物のバケモノに興味はないか?」

 〈男〉に話を持ちかけたのはサンドラだった。

 その日は、前日の仕事の疲れから、〈男〉は娼館の休憩用の長椅子を借りて横になっていたところを、サンドラが長椅子の後ろから、底意地の悪い顔で、寝ていた〈男〉の顔を覗きこんで来た。

「金になる仕事だ。引き受けるだろ?」

「……本物のバケモノとはどういう意味だ?」

「言った通りの意味だ。バケモノと呼ばれるだけ気の者やバケモノを名乗っているような偽者じゃない。正真正銘のバケモノだ」

「……」

 ニタニタと笑みを浮かべながら話しかけてくるサンドラに、〈男〉は眉間に眉を寄せる。まるで偽物のバケモノが存在するかのような言い方が、〈男〉の気に障った。それを見てサンドラは、笑みを深めた。

「あたしの話が気になるか?」

「興味ない」

 偽物や本物などという言葉など、〈男〉にはどうでもいい話であった。〈男〉にとって『バケモノ』と呼べるものは、ただ一つしか存在していない。今は、いるかもわからないバケモノの話よりも、明日の為に体を休める重要であった。

 〈男〉は、目を瞑り、話しに一切興味のない態度を示して見せたが、サンドラが引き下がる気配は感じられなかった。

 更に顔を近づけて来て、囁くような声で言った。

「海の向こうでガキを一人殺すだけでいい。簡単な仕事だろ?」

「……何を企んでいる?」

 簡単な仕事とサンドラは言うが、笑みを浮かべる瞳の奥は、一つも笑っていない。

 〈男〉は目前のサンドラの顔を睨みつけたが、サンドラは顔を離しながら、涼しい顔で答えた。

「残念ながら、あたしは何も企んじゃいないさ。ニコラス、お前も知っているだろ、あたしの仕事は、依頼人の望むように駒を送り込んでいるだけさ。抵抗もしないガキを殺せなんて、粗暴な連中には任せられない仕事だろ」

「その仕事とバケモノが、どう関わりがあるんだ?」

「ガキはバケモノを呼び寄せる為の餌だ。それ以上はあたしも聞いちゃいない。あたしは依頼主の指示に従っているだけだ。

 お前も余計なことを考えるなよ。指定の場所でガキを殺すだけでいい。後はお前の好きにすればいい」

「……」

 何の為に、バケモノと呼ばれるような存在を呼び寄せようとしているのか、どうするつもりなのか、『余計なこと』と言われるような考えが〈男〉の頭を過ぎる。『本物のバケモノ』と言われる存在が、〈男〉の知る『バケモノ』であるなら、彼らに関わるべきではない。

 だが、サンドラは手を引く気はないのだろう。サンドラの細い指が、〈男〉の頬をそっと撫でる。優しく、いたわるように、見えない糸が絡められていく。

「もし、本物のバケモノがいたなら、迷わず殺せよ。報酬は弾んでやるからよ」

 頬を撫でていた指が、首の方へと下りていき、首輪のように横に撫で回す。その手が貪欲に何を求めているのか、〈男〉は知っている。

 この手から、逃げることも、拒むことも、〈男〉にはできたはずだった。

 しかし、〈男〉は、自らサンドラの腕を掴み、引き寄せた。

「サンドラ、お前はそれほどまでに月の眷属が憎いのか?」

「憎いんじゃねぇ、許せないんだよ」

 こうなることをサンドラは最初からわかっていたのだろう。貼り付いたような笑みが、妖艶に歪む。

 サンドラの青い双眸に映る己の姿に、〈男〉は吐き気が込み上げてきた。



 目が覚めて、懐かしいほどに見慣れた土壁の天井が目に入り、〈男〉は大きく溜息をついた。

 眠気はすっかり飛んでしまったが、悪夢を見た後というのは、どうにも気分が悪くなる。森に行く前に交わしたサンドラとの会話は、〈男〉には、あまり思い出したくはないものだった。以前にも同じようなことがあったから、余計なことまで思い出しそうなことが、尚更、〈男〉の心をかき乱す。あの小屋で〈彼女〉と再会した時も、同じような夢を見た。

 汗で濡れてしまった体に、以前暮らしていた町に戻って来たことを実感する。夢の所為でも、傷が痛むからでもなく、部屋の熱気にやられたからだ。向こうは上着を着ないと寒いぐらいだった。

 あの森を離れてから、どれほどの日数が経ったのか、〈男〉も数えてはいない。開かれた腹の傷は、完治はしていないが、今回は傷口も縫われ、丁寧に治療されたことで、痛みもそれほど残ってはいない。動き回るには十分に体も癒えてはいる。

 だが、動けるようになっても、何をすべきか、どうしたらいいのか、わからない。

 〈少女〉に突き放され、目が覚めた時には、〈男〉は海の向こうの〈男〉が元いた町へと向かう船の中だった。

 全て〈彼女〉の仕掛けたことだということだけは、不思議と確信があった。ただ、〈彼女〉が、どのような意図で、〈男〉を追い返したのかもわからなくては、下手に動くこともできず、〈男〉は鬱屈とした日々を過ごしていた。

 森に戻って〈彼女〉の心意を確かめようにも、今は大きな問題がある。『それ』をどうにかしない限りは、向こうの町にも行けそうにない。

 〈男〉は、寝台に横になっていた体を起こし、部屋の隅に固めて置いた荷物の山の上から、綺麗に畳まれた着替えだけを拾い上げた。

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