二人の少女(1)
仮面の少女を追って向かって行ったのは、広場から離れた人気のない小道だった。道は舗装され、並んだ建物の窓からは、洗濯物と思わしき物が吊るされている。この町の住人の生活区域と思われるが、皆、出払っているのか、家の中に篭っているのか、不思議と人の気配がない。住宅街にいるはずなのに、人の声が聞こえない。廃墟かと思うほどに、静まり返っていた。
仮面の少女も地元の人間ならば、家に隠れてしまったのかもしれない。
迷うほど道は複雑ではなかったが、出遅れてしまったおかげで少女の姿は完全に見失っていた。
あの少女が何を狙っているのか、考えなければいけないのに、頭が回らない。その所為で、仮面の少女も見失ってしまった。
『あの娘に追いついたところで、どうする気なのか』
〈男〉には、〈少女〉の問いかけが、頭から離れなくなっていた。
殺すことは簡単だろう。あの少女は月の眷属ではない、人間だ。躊躇う理由もない。『余計なこと』など考えず、始末してしまえばいい。
それだけの話なのに、躊躇うのは何故か。どうして〈彼女〉は、あのようなことを尋ねたのか。
『余計なこと』だと思うことでさえ、何かわからなくなりそうだ。
もう、間違えたくはないというのに、〈彼女〉は自分で考えろと促してくる。
以前にも、〈彼〉に、同じようなことを望んでくれた人達がいた。自分で考えて生きろと、笑いながらも真剣に言ってくれた。
優しい人達だった。屋敷を出た〈彼〉に、傭兵としての生き方を教えてくれたのも彼らであった。
学もない貧しい出だから、体を張って稼がなければならないのだと、彼らはいつも言っていた。家で待つ家族の為、借金の為、酒代の為、明日も生きる糧の為、皆、様々な理由で戦っていた。
命懸けの戦場は嫌いだったが、戦場で出会う彼らのことは嫌いにはなれなかった。
命を懸けても生きる理由がある彼らには、いつだって帰る場所があった。いくら傷ついても、安心して休める拠り所を持っていた。何処に行こうと、何をしようと落ち着かない、根無し草の自分とは違っていた。
そんな彼らが羨ましかった。戦う理由や生きる目的のある彼らのことが、〈男〉は羨ましかった。
まだ、今よりも未熟だった頃に、一度だけ、「家族にならないか?」と誘われたこともあった。相手は傭兵と言っても、片腕を失った元傭兵で、戦場となった場所に支援物資を送る仕事をしていた男であった。流行病で子を亡くしたとかで、息子と年の近い〈自分〉をよく気にかけてくれていた。
当時は『家族』という言葉も知らず、返答もできなかったが、自分にも『帰る場所』を与えてくれる、そんな期待を僅かに抱いていた気がする。
彼が月の眷属に殺されなければ、今頃自分は、男の『家族』になっていたのだろうか。想像もできないことだった。
最後に見た男の顔は、何も映さない虚ろな目をしていた。首にナイフを突き立てても、悲鳴も上げずに事切れた。
月の眷属に関わった者は皆、そうなる。命が助かっても、心はバケモノに食われたまま、助かることはない。
殺さなければ彼らが救われることは無いと、後に聞かされたが、太陽の光を浴びただけで、欠片も残らず消えてしまった彼らは、本当に救われたと言えるのだろうか。
『救い』とは何か、《男》は知らない。彼らが本当に救われたのか、《男》にはわからない。
死んだ彼らも、《男》を育ててくれた老人と同じように、死んだら何も残らなかった。『死』とは、そういうものだと《男》は知った。
「きゃあああぁぁ」
突如、甲高い叫び声が、〈男〉の思考を遮った。
「今の声は?」
「あの娘のもののようじゃな」
〈少女〉は〈男〉に振り向いて、にやりと口角を吊り上げた。
《彼女》の紅い瞳が再び問いかける、『あの娘をどうする気なのか』と。
「お前はどうしたいんだ?」
「予にどうしたいとは、そなたは妙なことを聞きよるのう」
〈少女〉がからからと笑い声を上げ、《男》は背筋にヒヤリとおぞましいほどの寒気を感じた。何を間違えたのか、〈男〉にはわからない。
「このまま予があの娘を見逃せと言えばそなたはあの娘を見逃すのか? それはそなたの意志なのか?
予は、先ほど、そなたに尋ねたはずじゃ。あの娘をどうする気なのかと。その答えを予に委ねるのか? 予の判断に従うのか?
あの娘は、そなたが思うほど単純なものではないぞ」
「……どういうことだ? お前はあのガキのことを知っているのか?」
「予が知っているのはあの娘のことではない。それより、早く行かなくて良いのか?」
「……」
〈少女〉の返答に〈男〉は押し黙った。〈彼女〉は始めから〈男〉がどうしたいのかわかっていたのだろう。わかっていて、〈男〉に、どうするつもりか尋ねたのだ。
『余計なことは考えるな』〈男〉は自分に言い聞かせながら、全身に力を込めた。