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陽だまりに月  作者: 長菊月
怪物と英雄と弱者と
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差し出された者、差し出した者

「いや、奴らは、皆、殺すべきだ。人間に害をなすバケモノなんざ、生かしておく理由もないだろ」

 いつだかサンドラは、そんなことを言っていた。いつものように〈男〉の部屋に勝手に入り込んで、下着も付けずに寝台に寝転がっていたことは覚えている。脱ぎっぱなしの服が床に散乱し、何もない部屋の半分はサンドラに占拠されていた。〈男〉も片付けが得意な方ではないが、自分の荷物は部屋の片隅に積んである。サンドラに部屋に上がり込まれることは、文字通り頭の痛いことだった。

「……奴らも、皆が皆、害を与えるわけではないだろ。お前は、奴らの存在すら、許せないとでも言うのか?」

 寝台の端に腰かけた〈男〉が尋ねると、サンドラは横になったままくぐもった声で笑い出した。

「あぁ、そうだ。奴らは絶対に許されない。あんな奴ら、何をしようと、許されるわけねぇだろ」

 低く、唸るように出された声には、怨念のようなものが篭っているように聞こえた。痩せ細った色気のない体からは、毒をまき散らすかのような重く暗い空気が纏わりついているようにも見える。〈男〉はサンドラの過去を知らないが、サンドラの心に宿る影は、〈男〉の目にも色濃く映った。

「お前は月の眷属が憎いのだな」

 〈男〉がそう言うと、サンドラは鼻で笑った。

「憎いなんて、これはそんなもんじゃねぇ。奴らはバケモノだ。バケモノは存在するだけで、人を狂わす。そんな奴らが、いつまでも存在しているのがおかしいんだよ」

「……」

 サンドラの言わんとする話は、〈男〉には理解することはできなかった。もし、サンドラの言うことが正しいとするなら、月の眷属によって生かされていた自分もまた、死ぬべき存在であったことになる。そう考えると、浅ましくも、死にたくないという感情が、〈男〉の中で優先されてしまう。脳裏に焼き付いた、老人の死が、見えない恐怖となって全身を締め付ける。

 多くの者の命を奪っておきながら、何と身勝手なことだろうと思われるだろうが、死ねば全てを失う、己が存在した証さえ消えてしまうことが、〈男〉には何よりも恐ろしいことだった。

「安心しろ、お前は人間だ。誰が何と言おうと、お前は人間だ」

「サンドラ、お前は……人間ならば許されると言うのか」

「あぁ、そうだ。人間はバケモノじゃない。バケモノにもなりえない。お前の過去に何があろうと、お前は人間だ」

 サンドラの腕が擦り寄るように、〈男〉の背後から絡みつく。熱の篭った身体を〈男〉に寄せ、熱い吐息で、サンドラは囁く。

「お前がお前のことをどう思おうと関係ないんだよ。お前がどれほどの人間を殺そうが、バケモノどもに生かされようが、お前はお前だ、バケモノじゃねぇ。許されないのは、お前の人生を踏みにじったバケモノどもの方だ。そうだろう、ニコラス?」

「俺をその名で呼ぶなといった筈だ」

 〈男〉の口から、腹の底から怒りの篭った、冷たい声が吐き出される。何に怒りを感じたのか、〈男〉自身もわからない。

 ただ、サンドラは〈男〉の逆鱗に触れた、サンドラの言葉に腹が立った、それが以外の理由はなかった。

 それ以上は考えてはいけない。『余計なことは考えるな』頭の中で、老人の言葉が警告のように繰り返される。

「はっ、お前はいつまでつまらねぇ過去にしがみつく気だ。ニコラスと名乗っていたジジイは死んで、お前はあたしにニコラスと名乗った。それならもう、お前はニコラスだ。死んだジジイのことなんざ、あたしには関係ねぇ」

「……俺はお前とは違う」

 鼻で笑うサンドラの声が、いつも以上に不快に感じる。膝の上に置いた拳を、力いっぱい握り締めるが、それすらも笑われているような気がした。

「違うから何だ。バケモノが憎くないとでも言う気か? それこそ馬鹿なことを言うんじゃねぇ」

 苛立ちの混ざったサンドラの声は、耳を塞ぎたくなるほど耳障りで、〈男〉もできるならば、この場から離れたくて仕方なかった。

 しかし、振りほどこうとすればするほど、サンドラの言葉は嫌らしく絡みつく。甘く、狂った囁きが、耳元へと投げかけられる。毒のように染みだした憎しみの声が、己の体を蝕むように、〈男〉は感じた。

「あのバケモノどもの所為で、どれだけの人間が死んだと思う? お前に人を殺すように仕向けたのは誰だ? 共に戦った仲間も殺されたんだろ?

 それなら、憎めよ、殺された奴らの為に、仲間の為に、奴らに人生を滅茶苦茶にされた、お前自身の為に」

 背中を撫でるサンドラの指が爪を立てる。傷をつけられたわけでもなく、血も出ていないのに、鈍い痛みに、眩暈がしそうになる。抗いたくても抗えない、纏わりついた茨のように、サンドラの言葉は〈男〉の心に突き刺さった。

「お前が奴らを許せば、殺された連中はどう思うだろうな?」

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