ぬくもりと傷痕(7)
「我々は、この世界には存在しない。生きてすらいない。その目に映らなければ消え失せる、薄雲のような存在じゃ」
「〈鳥〉も同じようなことを言っていた。靄のようなものだと」
「薄雲にしても靄にしても、その手で掴むことができるか? 形を変え消えてしまっても、その姿を思い出せるか?」
〈少女〉は口角を吊り上げて、薄い笑みを浮かべた。子供の顔に張り付いた歪な微笑みに、〈男〉は顔をしかめるが、紅い瞳には映ってはいないだろう。
「我々はそのような存在じゃ。この世に存在することを許されておらぬのじゃからな」
「誰が許さないんだ?」
「この世界。我々は、生み出された時より世界に拒絶された存在じゃ。誰も望まず、誰にも望まれず、消え去る為に、生み出された」
「……」
淡々と語る〈少女〉に、〈男〉はかける言葉を失った。何故、そのように言い切れるのか、誰も望まないならどうして生まれ出たのか、問い詰めることは簡単だろうが、その答えを受け入れる心は、〈男〉にも見つからない。
生まれながらに世界に拒絶された者の気持ちは、赤子の時に親に捨てられた〈男〉にもわからない。言葉だけはわかっても、虚ろな目に映る世界も、感情の篭らない声に宿された胸の内も、〈男〉には何一つ理解することはできない。
ただ、〈少女〉の言葉は紛れもなく真実なのだろう。
彼女達はこの世界に存在することの許されない存在だという事実だけが、〈男〉の胸にもすとんと落ちて、何も言えない歯痒さと、今も〈彼女〉の手を掴めない己の愚かさに、焼けつくような悔しさだけが込み上げる。
「……それで、お前たちが存在を許されないことと血を求めることにどういう繋がりがあるんだ?」
「〈鳥〉が話したように、我々がこの世に爪痕を残すにはどうしても魔力が必要なのじゃ。
だが、存在を許されぬ我々には、自ら魔力を生み出す力はない。存在を許された、生きる者達から奪うしかないというわけじゃな。この世界に生きる者には理解し難いことじゃろうが、我々は……月の眷属は生きる者だけが持つ、命の輝きに恋焦がれ、その輝きを己の内に宿したいと望むのじゃ。血や魔力を得たところで、我ら自身が変わることはないというのにのう……。
いくら世界に望まれて生み出された者達を真似ても、我らの存在が許されることはない。それでも、我らは、求めずにはおられんのじゃ」
「それなら、何故、お前は俺を食わないんだ?」
〈少女〉は一度として〈男〉に血を求めたことはなかった。〈彼女〉は血の一滴も残さず消し去って欲しいと言っていた。恋焦がれていると言いながら、虚ろな目でしか見ていない。何も求めていない。
それは、少女だけではなく、〈男〉の主もそうだった。
浴びるほどの血を与えられても、主は一度も喜ぶような素振りを見せず、立ち尽くすだけだった。
狂ったように歓喜していたのは、いつも周りの人間だけで、〈男〉がいくら肉を捌いても、主は何も反応も示さない。
望まれたのは、殺すことだけ。伐ったその瞬間にだけ、感謝の気持ちを見せられた。
主は血を求めてはいなかった。
それなのに、あの場所では、山のように命が消費されていた。主の為にと捧げられた命は、本当は誰のものだったのか、自分達は何の為に生かされていたのか。
今も、森に死体の山を築いた〈彼女〉は、自分に何を求めているのか、〈男〉は虚ろな紅い瞳に問いかけた。