ぬくもりと傷痕(5)
「もし、我々が生命の維持と関係なく人間を殺していたなら、そなたも我々を殺すのか?」
〈少女〉は淡々と、人ならざる者の声で問いかける。耳を通った言葉が、胸の奥底にすとんと落ちた。
何故、殺されたのか、その答えを聞ければ、あの日のことも終わせることができるだろうと、心のどこかで思っていたのかもしれない。
「わからない。俺は……」
あの日、主を殺したのは、主が望んでいたから。
主は、『生きたい』などと一度も言ったことはなかった。
その主を生かす為に、人間は多くの血を捧げてきた。真っ赤になった地下室で、人間は、皆、自ら血を差し出していった。
誰も、主の考えも、主の願いも、知らなかった。知ることもできなかった、知ろうともしなかった。
〈男〉も、あの日まで、主のことを何も知らなかった。
主はいつから死を望んでいたのか、与えられた血をどう思っていたのか、どうして自分達は生かされて来たのか、考えれば考えるほどわからないことだらけで、あの日の選択が間違いであったのかさえも、答えを出せずにいる。
余計なことなど知らなければ良かった。何も考えなければ、変わらない日々の中で生きていけただろう。何もしなければ、誰も苦しむことはなかったのかもしれない。少しでも生き延びる道があったとしたならば、自分のしたことは、誰も救われない愚かな過ちでしかなかったということだろう。
不意に、冷たい小さな手が〈男〉の両頬を挟み、横に座る〈少女〉の方へと半ば強引に、顔を向けさせられた。
「予は、そなたの疑問に対する答えを知っている。だが、それがそなたの慰めになるのか……『私』にはわからぬ」
紅き瞳の輝きが、〈男〉の目に映る。見えない筈の目に、憂いを帯びた金髪の少女の顔が、今ははっきりと見える。、頭に巻いた布からはみ出る黄金の髪、柔らかく滑らかな白い肌。小さく薄い唇。紅い瞳を持つ人間の姿をした『何か』がそこにいた。目を逸らすこともできない。
「聞かせろ。いや、聞かせてくれ。俺は何も知らないまま、お前達を憎みたくはない」
〈男〉は〈少女〉の手をとった。冷たく細い、小さな子供の手。この手が、どれほどの人間を葬り去ってきたのか、〈男〉は知らない。恐ろしくないかと〈鳥〉に尋ねられた時も、何もわかっていなかった。助けてくれたのに、何も知ろうとはしていなかった。
「……余計なことを知ることになるぞ」
「余計なことでも知らなければ、この呪いは解けないのだろう? 俺はお前達を殺したいわけでも、憎みたいわけでもない。
もう、何も知らないままでいられないことは、お前もわかるだろう」
掴んだ手を握りしめ、そっと下ろすと、〈少女〉はまるで泣きそうな顔をしていた。
何も知らぬまま月の眷属を恐れ憎んでいれば、それはそれで楽だったのかもしれないが、目の前にいる、この命を救ってくれた恩人のことを無視することはできそうにない。無視したなら自分は、救ってもらったこの命をも否定したことになるだろう。