ぬくもりと傷痕(4)
「……こんなものでいいのか?」
「うむ。これで十分じゃ」
〈男〉が〈少女〉に頼まれて用意したのは、子供の小さな掌に収まりきる程度の少量の木の実だけだった。屋台で売っていた小麦を蜂蜜と練って焼いた菓子に使う物を分けて貰った。
〈少女〉は〈男〉から木の実を受け取ると、一つ一つ抓んでは自分の口に放り込んだ。〈少女〉は美味いとも不味いとも言わず、木の実を噛んでは飲み込んでいる。
食事と言われ、新鮮な肉や魚ではなく、果実が欲しいと言われた時には〈男〉も流石に驚いた。今更、人間を襲うとは思わなかったが、果物や木の実で済ませられるとは〈男〉も思わなかった。
「それで足りるのか?」
「血よりも腹が膨れるじゃろう?」
「……」
〈少女〉は冗談めかした笑顔で〈男〉のことを見上げた。その顔を見て〈男〉は顔をしかめる。どこまで冗談で言っているのかわからない。
〈男〉も自分用に買ったパンに齧り付く。黒麦のパンに塩干しの魚と酢漬けの野菜を挟んだもので、この辺りの漁師が昼食によく食べるらしい。酸味が強く少し癖のある味ではあるが、味は悪くはない。一緒に貰った茶は、ぬるくなってしまっていたが、薬草でも混ぜているのか、飲むと体の芯が温まるように感じた。時折吹く冷たい風が身に沁みる中で、温かい心遣いだ。
一方で、人気のない閑散とした広場で、男が幼い少女と二人っきりで食事を取っていることに、〈男〉の心は落ち着かなかった。〈男〉の外見は、今は〈少女〉のおかげで小奇麗にはなっているものの、年端もいかぬ少女と並べば、誰の目にも怪しく映るだろう。親子と見るには似ておらず、良くても誘拐犯、悪くて変質者に見られてもおかしくはない。
パンを口に運びながら、〈男〉は口の中が乾くのを感じた。
〈少女〉の方は、他人の目にはどう映っているのかなど考えてなどいないだろう。この広場にやってきたのも、「食事をしながら話すなら、人間のいない、景色のいい場所がいい」という理由からだった。
人目は確かに少ないが、景色については、ぼんやりとしか見えない〈男〉の目にも、美しいものには思えなかった。広場と言うだけで、何もないと言った方が早い。これなら、路地裏で食べようと変わらなかった気がするが、機嫌よく『食事』をとる〈少女〉を横目に、〈男〉は何も言えなかった。
黙ってパンを腹に収め、〈少女〉が話し始めるのを〈男〉は大人しく待つことにした。
「そなたは何も聞かぬのじゃな」
〈少女〉は渡した木の実の最後の一つを頬張ると、見るからに唇を尖らせてそう言った。
「聞いても答えはしないだろう」
〈男〉もすっかり冷めてしまった茶を飲み干す。『食事』の時間はこれで終わりだ。
「答えられるものなら、いくらでも答えてやるぞ。例えば……予が血を吸わぬ理由はどうじゃ?」
「それはお前が話したいだけだろう」
「聞きたくないならば、聞かずとも良いぞ。いつまでも、いつ襲われるのかと、ひやひやしておれば良い」
「わかった。それなら聞かせろ。お前達は、何故、人間を襲うんだ?」
〈男〉は、〈少女〉に顔を向けずに答えた。隣から溜め息を零す音だけが聞こえた。
おどけるような幼子の声が、急に、くつくつと小さな笑い声を上げ、バケモノらしく低く鈍いものへと変わっていく。
「……いきなり核心を突いてきおったな」
「お前と知り合ってからずっと疑問だった。お前達、月の眷属が、生きる為に血を求めているのではないのなら……俺達は何故、殺されなければならないんだ?」
〈鳥〉の話では、月の眷属が血を求めるのは、血に含まれる魔力を得る為だという。魔力は、月の眷属が『世界』に影響を与える為に必要なもの。
ならば、その『世界』の為に、人間は殺されてきたのか――