ぬくもりと傷痕(3)
「お前の好きな物を選べばいいと言っているだろう。何故、わざわざ俺に聞く必要がある」
「わからぬからじゃ。我々には、その『好きなもの』というものがないからな」
「……どういうことだ?」
〈男〉が眉を潜めると、〈少女〉は「その言葉を待っていた」と言わんばかりに、にやりと笑みを深めた。
「そなたには、この店の中がどう見える? 美しいのか? 醜いのか? それともこういうのは、綺麗や汚いと言うのか?」
「お前は何が言いたいんだ?」
「何が? 言うた通りのことじゃ。良しも、悪しきも、我々にはわからん。我々が心惹かれるものは、ただ一つだけ。それ以外のものでは、何一つ心は満たされない。我々に好みを問うたところで、我々にあるのは、人間がどのようなものを好むのか、そんな張りぼての知識だけじゃ。我らに己の好みなど、問うだけ無駄なことじゃ」
「だからと言って、俺に他の奴らの好みなんぞ、わからんから聞くな」
「道理のわからぬ男じゃな。『私』が聞きたいのは他の人間の好みではない、そなたの好みが聞きたいのじゃ。
それでもわからぬと言うなら、考えろ。そなたは人間なのだから、考えることはできるじゃろ?」
〈少女〉は紅の双眸を〈男〉に向けて微笑んだ。白い歯を見せ、笑う姿は、まるで本物の子供のようで、〈男〉は深く溜息を吐いた。
「お前は森で過ごすのだから、服は丈夫な物にしておけ。色は……明るい方がいい。その方が目に付きやすい。
だが、赤は嫌いだ。嫌なことを思い出す」
「ふむ。赤は嫌いか」
「……お前の目の色は嫌いじゃない」
〈男〉が素直に答えると、大きな紅い目が見開いた。
月の眷属を象徴する紅い瞳、人間ではありえない瞳の色を、バケモノの色だと、おぞましいと言う者もいるが、〈男〉は、この紅い目が嫌いではないと思う。
「予も、いや、わたしも――」
「どうした?」
何事か言いかけて、〈少女〉は俯いた。バケモノと呼ばれる存在である筈の〈少女〉が、小さな肩を震わせる。
「……我々にとって、そなたの目は非常に魅力的なものじゃ。その目を抉り出し、この身に収めてしまいたいほどにな」
〈少女〉はおもむろに、〈男〉の顔に手を伸ばした。輝くような紅の双眸が〈男〉を見つめる。『ただの人間』であったならば、月の眷属の懇願を拒むことはできなかっただろう。
だが、〈男〉は、〈少女〉の甘く囁く言葉に、眉を潜めるだけだった。
「お前も俺を食らいたいのか?」
「いかにも。そなたほど魅力的な人間はなかなかおらぬからな」
〈少女〉は口角を吊り上げ不敵な笑みさえ浮かべるが、〈男〉は大きく溜息をついた。
「今、俺の命はお前が握っているようなものだ。お前が食らいたいと言うなら、好きにすればいい。俺は全力で抵抗するだけだ」
〈男〉は、自分に向かって伸ばされた〈少女〉の腕を掴んだ。小枝のように細い腕は、人のぬくもりなど一切感じなかった。いくら少女の姿をしていても、血の通わない死人の体だと再認識させられる。
「……安心しろ。予はそなたから血を奪う気はない。その目がいかに魅力的であろうと、『私』は、血の一滴たりとも、そなたから奪いはしない」
「何故、そう言い切れる?」
〈男〉は腕を掴む手に力を込めた。いかに死人の体であろうと、掴めるのだから、〈彼女〉は確かにここにいる。
〈少女〉も笑みを退かせ、〈男〉の目を射抜くように真っ直ぐに見つめ直した。紅く美しい瞳に、〈男〉も今度こそ息を飲んだ。
「そうじゃな……。では、この買い物を終えたなら、食事でもしながら、ゆっくり話をしようではないか」