陽のあたる場所へ(3)
「でも、そなたが助けようとしてくれて、予は嬉しかった」
終わることもできず生かされるだけの命には、殺されることだけが救いだと思っていたのに。
何もかもを諦めていた、空虚だった心に、一つだけ確かな望みができた。
「身勝手な言葉かもしれぬが、許されるなら、『私』は……そなたともっと話がしたい。そなたのことが知りたい」
どうにか絞り出して出した言葉は、吸血種とは思えぬほど情けないものだった。
喉は渇き、胸の奥が熱い。今は振り返って〈男〉の顔を見ることさえできない。
それでも、どうしても言いたかった。殺して欲しいと望み、断られたことに、絶望だけではなく、喜びも芽生えたことを、自分を殺させる為だけに〈男〉を生かしているのではないことを〈男〉に伝えたかった。
それが自分勝手な願いであることは〈彼女〉も重々承知していた。
〈彼女〉には、〈男〉がこれまで、何があって、何を思ったのか、知る術はなく、その記憶に触れることもきっと叶わない。月の眷属とのことだけではなく、人間というものを、バケモノである〈彼女〉には、どれだけ考えても理解することなどできない。〈男〉の見ている世界は、〈彼女〉にはわからない。
だから、自分の思いを伝えるだけで、それ以上のことは、〈彼女〉も望みはしなかった。
「……」
〈男〉の返答がないことに、〈少女〉は安堵と隙間風の吹くような寂しさを感じた。
それでも、これでよかったのだと〈少女〉は思った。
この『思い』をこれ以上、〈男〉に押し付ける気はない。
何百年、数えられなくなるほど長く存在して、初めて知る感情だった。
子が親を求めるような甘い気持ちと、体まで締め付けられるような苦しさ、そのどちらも〈少女〉にとっては幸せとは言い難いものだ。
この思いも、〈男〉も、全てを捨てて、また一人で森に隠れ住む方が、バケモノにはお似合いなのだろう。
手放すのは簡単で、〈男〉がこのまま離れてくれたならば、〈少女〉は追わないつもりだった。
ところが、頭から、急に何かを被せられ、〈少女〉は真紅の眼を白黒させた。
分厚い布のしっかりとした重みと、一度だけ嗅いだことのある匂い。被せられたそれが、何かわかった時、〈男〉は〈少女〉に向かって言った。
「話がしたいなら、こんなところで座り込んでいないで、あの小屋に戻るぞ」
出会った頃から変わらない、ぶっきらぼうな物言いに、〈少女〉は被せられた上着を掴んで、恐る恐る顔を上げて振り返った。
そこにあったのは、〈少女〉が初めて見る〈男〉の穏やかな顔だった。
胸の奥が熱くなる。息をするのも忘れてしまったかのように苦しくて、言葉が一つも出てこない。
この気持ちを何と呼べばいいのか、〈彼女〉は知らない。どうすればいいのかも、わからない。
〈少女〉は立ち上がって、〈男〉と向き合った。
子供の小さな体では、背の高い〈男〉の顔は、立ち上がっても見上げなければならない。
視界を遮るかのように伸ばされた長い前髪の先、余計なものは見るなと言い聞かされた呪われた瞳を〈少女〉はその目で真っ直ぐと射抜いた。
「今……そなたの目には『私』は見えているのか?」
朝の陽射しが森の影から差しこむ中で、紅い瞳は〈男〉に問うた。
〈男〉は一瞬、面を食らったような顔をすると、目を細めて〈少女〉に答えた。
「はっきりと見えるわけではないが……お前が今そこにいることぐらいならわかる」
〈少女〉を見下す〈男〉の口元は、微笑んでいるように見えた。
〈男〉の答えに〈少女〉は、被っていた上着を握りしめ、己の顔を隠すようにして、森の小屋へと戻っていった。〈男〉もゆっくりとその後を追う。
森の木々の中に隠れ、二人のやりとりを眺めていた〈鳥〉は、細い首を器用に傾げた。
森を行く二人の足取りは、不思議と、いつもより軽く感じた。