願いと呪い(11)
例え歪だとしても、『余計なもの』さえ知らなければ、平和で、誰も苦しまなくて済んだ。
老人が再三「余計なことはするな」と言っていたのも、ぶっきらぼうな老人がくれた、少しばかりの情けのように〈男〉は感じていた。
しかし、それは、老人のことも、あの掃き溜めのような箱庭を知る〈男〉だからこそ言えることで、何も知らない他人には、話しても理解してもらえたことはない。
「この世には、この世界が生み出したものには、余計なものなどない」
〈彼女〉もまた、苦々しく、振り絞るような声を発し、〈男〉は耳が痛かった。
『余計なものはない」それもまた、この世の姿なのだろうが、〈男〉にはそれを認められるほどの強さはなかった。迷いと後悔ばかりが積み重なり、知るべきでなかったことを『余計なもの』と切り捨てていたことも、決して間違いではないのだと、言い聞かせる他なかったのだ。
「余計なものは見るなと言い聞かすとは……それではまるで呪いではないか!」
「……」
耳が痛く、吐きそうな、そんな気分だった。
何が間違いで、何が正しいのか、〈男〉には、やはりまだわからない。
〈彼女〉の言葉は優しくて、〈男〉のことを想ったもののように感じたが、その優しさが、今は針のように無数に突き刺さる。
今もまた、何も考えたくないと、目を逸らし、耳を塞ぐことが出来れば、どんなに楽かと、そんなことばかりが頭に過ぎる。
扉の向こうでは、唐突に〈彼女〉の気配が強くなった気がした。
「バケモノがこのようなことを言うのは傲慢かもしれぬが……この世界は、そなたが思っているほど醜いものではないはずじゃ」
「そう、なんだろうな……」
もしもこの目に、この世の全てが映っていたならば、きっと美しいものも見られただのろう。
だが、〈男〉が生きてきたのは、『余計なもの』に溢れた場所で、目を背けることでしか、生き抜く方法はなかった。それがどんなに邪悪なことだとしても、生きる為には仕方がないと、皆が己を騙して生きてきた。
それを今更否定して生きることなど。〈男〉にはできない。
「 」
扉の向こうで〈彼女〉が何かを言った気がした。
しかし、〈男〉の耳には、その声は届かなかった。
扉の隙間から、冷たい空気が入り込み、〈男〉の顔をそっと撫でた。
気が付けば〈彼女〉の気配は消え、同時に、甘い匂いもどこかに行ってしまった。
月の眷属は、痕跡を残さない。その場から立ち去れば、まるで初めから存在しなかったかのように、彼女らのいた証は全て消え去る。
扉の向こうにいた者も、霧散するように消えてしまった。
一人、残った〈男〉は、手に持っていたナイフを強く、強く握りしめた。