襲撃の夜(2)
この世には、太陽の光の元で生きる者がいるように、月明かりの中でしか生きられない者達がいる。月の眷属と呼ばれる彼らは、人間や獣とよく似た姿をしているが、生き物と呼ぶには歪な存在であった。
彼らは、月の光から降り注ぐ魔力を糧に存在する。生き物の寿命を遥かに超える命を持ち、肉体が傷つけば他の生き物の血肉を食らい、傷を癒す人食いの化け物だ。
それ故になのか、人間達の間には、月の眷属の肉を食べれば不老不死になるなどとの噂がある。
根も葉もない噂であったが、不死の噂に踊らされて、月の眷属の血肉を奪いに来る人間は少なくなかった。
今夜の襲撃もその一つだ。
月の眷属の力が弱まる昼間ではなく、夜を狙って来たのは、人間達に彼女を殺す気がないからだろう。
月の眷属は日の光に弱く、血は光に触れただけで塵と化し、時には死ぬこともある。
故に、月の眷属の血が欲しいなら、命の危険を冒してでも夜に狙わないといけない。
しかし、魔力を糧に生きる月の眷属に、肉体の破損による死はなく、いくら兵器を用いて傷をつけても、日の光を浴びさえしなければ、血で傷を癒すことができる。
特に、月の眷属の中でも、最も魔力が高く恐ろしいとされる吸血種は、今の彼女のように肉体が滅んでも新たな肉体を得て生き延びることも出来る。彼らの血を狙いに来る人間達は、自ら殺されに来るようなものだ。
死体の手足を踏みながら、少女は暫く歩いていたが、手ごろな死体を見つけると、血と土に汚れた上着を剥ぎ取った。汗と体臭が鼻についたが、他も似たようなものなので、しかたなく羽織った。
上着を着る際に、襟が首の傷に触れた。痛みはなかったものの、傷に違和感がした。
首を落とさんばかりに喉を裂いた傷は、血管を深く傷つけて、骨まで到達していた。
他に傷はなかったが、この身体に乗り撃った際に、酷い空腹を感じた。
ここに来るまでに、何も食べさせてもらえなかったのだろう。
首の傷といい、この肉体の持ち主も、殺される為に連れてこられたとしか思えなかった。
彼女が見つけた時には、既にこの肉体は息絶えていた。バケモノを呼び寄せる為の餌か。少女は顔をしかめると、月の眷属の力で首の傷を治し、ついでに手足にあった縄の痕も消し去った。
新たな肉体を得たとはいえ、血を流しすぎて使える魔力はあまり残っていない。
月の出ない夜に襲撃されたのがまずかった。月がなければ、魔力が戻ることもない。慣れない体も、思ったようには動いてはくれない。
出来るなら、今すぐ寝床に戻って、月の出る明日の夜まで休みたかったが、帰ろうとした足を止め、少女は眉をしかめた。
森に撒いた血がざわめくのを感じた。森の中に異物が入りこんでいる。
血に誘われて他の生き物か、同族の連中まで寄せ付けてしまったのか。
ただの思い違いならいいが、辺りを窺いながら、まっすぐこちらに向かってくる気配に嫌な予感がした。
仕掛けるか、迎え撃つか、少し悩んでから、少女は仕掛けると決めた。
どのみち、この肉体では逃げ切れない。少女は、自らの手の甲に噛みつき、肉を裂いて血管に傷をつけた。
傷から血が吹き出し、少女は足元に血だまりを作る。
血だまりは、黒く広がり、土の中へと消えていくのを見届けて、少女は目を閉じ、呼吸を整えた。