殺した男と死を求むバケモノ(16)
混乱する頭に、思考を溶かすような甘い香りが染みこんでくる。顔を上げれば、光に輝く金の髪と、紅い瞳がすぐ傍にあった。他を圧倒する鮮やかな色に、〈男〉は思わず息を飲んだ。
「油断するな」
短く鋭い声が飛び、細く冷たい指が〈男〉の首を掴んだ。〈少女〉は〈男〉の腹に馬乗りになり、片手だけを首に添えていた。
普通ならば、少女の小さな体では大の男を抑え込むことなどできないものだが、相手は人間ではないからか、小さな手で抑え込まれただけで〈男〉は身動き一つとれなかった。
この間とは逆の状況だ。今度こそ殺されるかもしれないと、〈男〉も頭の片隅で感じたが、他のことが気にかかった。
上に乗っている筈の〈少女〉の軽さが不快だった。まるでこの世には存在しないような軽さだ。〈鳥〉の時にもにも感じた違和感が、苦い感情を生み出す。
「どけ」
いつまでもこの気分の悪さを感じていたくはない。その思いを込めて、〈男〉は首を掴む〈少女〉の腕を掴んだ。
しかし、〈少女〉は動こうとはせず、〈男〉の腕を振り払おうともしなかった。
「予はいつでもそなたを殺せるのだぞ。予の前では一片たりとも気を抜くな」
「……」
幼い声で冷たく言い放たれても、〈男〉には反論の言葉は浮かばなかった。まだ日が沈んでいないのに、これほど動けるとは思わなかった。想像すらしていなかった時点で〈男〉は彼女に負けていた。
おそらくは、初めて会った時も手加減をされていたのだろう。例え〈鳥〉に気を取られなくても、地面に転がされていたに違いない。
その一方で、相も変わらず優しい指先に、彼女への恐怖は薄れていた。
同じ月の眷属でも、〈男〉の知っている者とはまるで違う。あれは彼女とは、似ても似つかない存在だった。
それなのに、何を思ったのか、〈男〉は、かつて、主と呼んでいた者が望んでいたことを口走っていた。
「お前も、俺に殺されたいのか?」
紅い双眸が、驚いたように見開いた気がした。
〈少女〉は何も答えなかったが、〈男〉は初めてその顔を、この目で見たいと思った。