殺した男と死を求むバケモノ(14)
「予を殺す気か?」
声と共に〈少女〉の紅い双眸が、真っ直ぐと〈男〉を見つめた。
その目には、怯えも恐怖も見えなかったが、初めて会った時のような余裕も感じなかった。ただ真剣に〈男〉を見据えていた。その力強い眼差しに、〈男〉も僅かに怯んだ。
その一瞬の隙を突き、〈少女〉の空いた手が、腕を掴む〈男〉の手を逆に掴んだ。引き剥がされまいと、〈男〉も腕に力を入れたが、更に強い力が〈男〉の腕を引っ張った。子供の力とは思えない強さに〈男〉も驚いた。
これもまた、月の眷属の力のだろうか。見た目には、大の男の腕を引けるほど、力が篭っているようには見えない。それどころか、強い力で引かれているのに、痛みを全く感じない。冷たい手の感触がなければ、見えない力に引きずり込まれているような感覚だった。
不思議と恐怖は感じなかったが、見た目の幼さと、太陽がまだ昇っていないことで、油断してしまっていた自分には腹が立っていた。腕を取られていなかったら、自分で自分を殴り飛ばしていただろう。
引き剥がせそうにもない力に抵抗もできずに引きずられ、〈男〉は〈少女〉を睨みかけたが、引かれたその先にあるものに気づき、目を丸くした。〈少女〉の足は、日向の方へと向かっていたのだ。
「おい、そっちは……」
「……」
〈男〉も思わず声をかけたが、返答はなく、代わりに「黙れ」と言わんばかりに、強く腕を握られた。
空の色は変わり始めてきたが、まだ陽は沈んでいない。紅い花畑の上には、白く輝く太陽が見える。
〈男〉は、枝の隙間から姿を見せる黒い影に目を向けたが、〈鳥〉は何の反応も返さなかった。
枝が途切れる前に引きとめようと、どうにか踏ん張ってみたが、立ち止まると今度は掴まれていた手を外された。腕を掴んでいた力も、するりと滑るように消えていった。
自由になった〈少女〉の足は、軽やかに花畑の方へと踏み出していった。
〈男〉は我が目を疑った。元よりあまりよく見えていない目なのだから、安直に信じられるものでもなかったが、今、〈男〉の目の前には疑う方が危険で、それでいて信じるのも恐ろしい光景があった。
「お前は、いったい何者だ……」
動揺で声が振るえそうになるのを抑え、腹に力を入れて〈男〉は尋ねた。相変わらずぼやけてしか見えないが、そんな目でも、〈男〉はしっかりと〈少女〉の姿を捉え、自分の中の常識が崩れていくのを確かめた。
〈少女〉は、窪地の前で立ち止まり、〈男〉の方へと振り返った。背後には白く輝く太陽が、森の影に沈もうとしていた。影は出ていないが、日の光は〈少女〉の下にも届いている。
月の眷属は太陽の光に弱い。それは、夕暮れであっても、昼間であっても変わらない、だから太陽の光が届く場所に、彼らは姿を現さない筈だ。
「お前は何者だ?」
〈男〉はもう一度尋ねた。声はもう、震えていなかった。
「お前は太陽の光を浴びても平気なのか?」
「『私』は平気だ」
そう言って〈少女〉は、被っていた外套のフードを下した。曝け出された金の髪が、太陽の光に輝いて見えた。
太陽を背に堂々と立つ少女の姿は、あの日、首を切り、殺した娘と同じ姿をしているとは思えなかった。姿形は何一つ変わっていないのに、今は目が離せない。