殺した男と死を求むバケモノ(11)
「何でお前がここにいるんだ?」
「何でとは何じゃ。この森は我らの森じゃぞ。予がどこにいようとおかしくはなかろう」
突然現れた〈少女〉に、〈男〉が驚きの声を上げると、〈少女〉から不満そうな声が返ってきた。
〈少女〉の言うとおり、この森には〈男〉と〈鳥〉と〈少女〉しかいないのだから、他の人物が現れることはないのだが、いつもならば日が沈むまで自室にこもっている〈少女〉が昼間から外にいることに、〈男〉は驚いた。
ましてや、月の眷属は太陽の光が苦手だと聞いていたから、〈鳥〉のように〈男〉を監視するといった目的がなければ、昼間は活動しないものだと思っていた。
〈男〉は置き上がり、不可解そうな顔を〈少女〉に向けた。それを見てか、〈少女〉も眉を吊り上げた。
「貴様こそ、このようなところに隠れて何をしておるのだ? もう日が暮れるぞ」
日が暮れると聞いて、〈男〉は目を細め、〈少女〉越しに空を見た。
木々の間から入る光はまだ白く、日が暮れるまでまだ時間があるようにも思えたが、今までは明るいうちに戻っているから、もう帰っていてもおかしくない時刻なのかもしれない。
ただ、〈少女〉が来たことで、今は何事か急かされているようで、〈男〉は肩をすくめた。
「バケモノに心配されるのは嫌か?」
不意にかけられた弱弱しい言葉に、〈男〉は口を開き、「何の冗談か」と、声に出してしまいそうになった。
『バケモノ』が人間の心配などするわけがない、〈男〉がそう考えるのは当然であった。
〈男〉の知っている月の眷属は、人間を気にかけるようなものではなかった。
偉そうにしていても人間を見下す気はなく、無関心で、『餌』や『道具』の心配をしても、人間個人の気持ちなど、気に掛けるようなことは一切しなかった。
下から〈少女〉を見上げてみたが、逆さまに覗き込んだ顔は影になっていて、いつも以上に見えなかった。
「俺の帰りが遅いから、わざわざ探しに来たのか?」
「違う。今日はそなたに用があったから、探しただけじゃ」
「今更、俺に何の用だ?」
用があったなら、小屋を出る時にでも言えばいいものを、わざわざ探しに来た〈少女〉に〈男〉は眉を寄せた。
〈鳥〉も何も聞かされていないのか、紅い瞳をじっと〈少女〉に向けていた。
「そなたに見せたいものがある」
「見せたいもの? 俺の目が使い物にならんことは、お前も知っているだろう」
「それ自体は見えなくとも構わぬ。ただ、予の話を聞いてもらいたいが為に、見てほしいものがあるのじゃ」
〈少女〉の回りくどい言い方に、〈男〉は更に眉を寄せた。先ほどから下手に出ているのも何なのか、〈男〉はどうにも気分が悪く感じた。
真上にある〈少女〉の顔は、変わらず影になって見えなかったが、甘い香りは下まで漂ってくる。人ではない者の香りに〈男〉の顔はますます険しいものとなった。
「ここでは見せられない物なのか?」
「無理じゃ。だから、来てほしい。信じてはもらえぬだろうが、そなたに危険が及ぶようなことはせぬ」
「……わかった。でも、少し待ってくれ」
そう言って、〈男〉は背にした斜面に手をかけて、ゆっくりとその場に立ち上がった。
打ち付けた背中や足には、痛みも痺れもなく、先日の傷に響いた様子もない。
服についた土を適当に払い、斜面の方へと振り返る。しかし、〈男〉は顔を上に向けたまま、動かなかった。
〈男〉の落ちてきた斜面は、〈男〉の背よりも高かったが、下から見ても、手を伸ばせば上れない高さではない。
それでも前に進めないのは、〈少女〉のことを疑っているからではない。
ただ、上ってしまえば後には戻れない気がして、〈男〉は足を鈍らせた。
ふと〈男〉は、老人が死に、仕事を引き継がないかと持ちかけられた時のことを思い出した。
あの時は、どれだけ不安を抱いていても、着いて行くこと以外、選ぶこともできなかった。
今は、〈少女〉の導く先に、何が待ち受けているかわからないが、逃げることも、拒否することもできるだろう。
逃げる気はなかったが……皮肉なことに、選べることで、〈男〉の中に迷いが生まれた。
そうして躊躇っていると、〈鳥〉が羽ばたき、甘い香りを漂わせながら、斜面から突き出る木の根に止まった。
「何をしている。このまま突っ立っておっても日が暮れるだけだ。今は吸血種様も大人しくしているが、夜になれば、何が起こるかわからんぞ。今のうちに言うとおりにしておけ」
〈鳥〉は、言うだけ言うと、自らも斜面の上へと飛んで行ってしまった。
〈男〉は暫く、先に跳んで行った〈鳥〉に目を向けてから、漸く斜面に向かって手をかけた。
上っている最中に落とされるか、殺されるのではないかという考えも頭に過ぎったが、先に見えたのは不安げに覗き込む少女の顔だった。
「どけ」
〈男〉がそう言うと、〈少女〉は前に出しかけていた手と共に、さっと身を引いた。
〈少女〉が崖から離れると、〈男〉は一人で斜面を上りきった。
手についた土を払い、〈少女〉の方へと振り返ると、斜面から離れた人影は、木の傍に気まずそうに立っていた。
見慣れたはずの姿に、〈男〉は今更ながら小さいと思った。
身長は〈男〉の胸のあたりまでしかなく、痩せ細った手足は、掴めば折れてしまいそうに見えた。人間ではないとはいえ、こんな小さな身体で、大の男を引き上げるなど無理な話だ。