殺した男と死を求むバケモノ(9)
「貴様は我らが何故、人間を襲うのか、知らぬわけではなかろう」
「お前たちにとって人間は食料だからじゃないのか?」
「否、我々が求めているのは、貴様らの肉でも命でもない。我々が求めるのは、貴様らの血に流れる魔力だ」
「どういうことだ? 魔力はお前達にもあるのだろう」
〈鳥〉の答えに、〈男〉は眉を潜め、首を傾げた。
「持っているなら奪う必要もないだろう」
男がそう問いかけると、〈鳥〉は急に、翼を広げ、羽ばたいて、とんと、斜面にもたれかかった〈男〉の腹の上に乗った。
しかし、〈鳥〉が乗ったはずの腹には、〈鳥〉の重みもぬくもりも感じられなかった。
重いとも軽いとも言えない異様な感覚に、男はますます眉を潜めた。紅い光も先ほどよりもずっと近く、甘い匂いや、爪の食い込む感触から、〈鳥〉の気配は感じられるが、空の容器を置いているような感覚だった。
「これでわかったであろう。我々は貴様ら人間とは違うのだ。
肉の器を持たぬ故、貴様らのように何もせずとも存在できるわけではない」
〈鳥〉は、乗った時と同じように、音もなく〈男〉の上から降りた。匂いと共に、腹の上の違和感も離れたが、異様な感覚だけは〈男〉の心に、しこりのように残った。
「お前たちはいったい……」
『何者だ?』と、問いかける声が、掠れて最後まで言えなかった。
紅い瞳が見透かしたように、〈男〉の目を見た。
「我々は貴様らのような『生き物』ではない。我々は、本来ならば、この世には存在しないものだ」
『この世には存在しないもの』その言葉の意図が掴めず、〈男〉も〈鳥〉の方へと目を向けた。
〈鳥〉はゆっくりと〈男〉から目を離し、語りかけるような声で言った。
「そもそも貴様ら人間が、月の眷属と呼ぶものは、皆、この世の理を否定した願いの産物だ。
我々は世界が自ら望んで生み出す生き物とは違い、生き物のように肉の器は与えられず、『世界』からその存在を認められてもいない。魔力がなければ、この世に存在するだけで、何者にも影響を与えることのできない、靄のようなものだ」
言われてみれば月の眷属は、日が昇るにつれて消えて行く、朝の靄のようだ。
傍にいる時は、その存在を強く感じるのに、一度姿を消してしまうと、足跡も匂いも、痕跡すらも残さない。
残るのは、バケモノが現れたという情報だけで、襲われた人間も死体も、発見されることの方が少ない。
先ほど乗っかった〈鳥〉の体も、肉が収まっているようには感じられなかった。
〈鳥〉が言うように、彼ら、月の眷属は『生き物』ではない。人や獣の姿をしているだけで、『何者』とも答えられない『何か』なのだろう。
「だが、影響を与えられないといのはおかしいだろう。現に、お前は今、俺と喋っているじゃないか」
「今、我が貴様に口を利けるのは、肉の器の代わりに、魔力によって器を作り、『世界』に存在するかのように映しているからだ。この程度のことでは、『世界』に影響など与えられん」
「……つまり、お前たちが人間を襲い、魔力を得ようとするのは、魔力を使って、この世に影響を与え、世界に存在を認めさせるためか」
「思ったよりも物分かりがいいようだな」
〈鳥〉は感心したかのような声で褒めたが、〈男〉自身は〈鳥〉の話を半分も理解できていないように思えた。
特に、肝心な〈鳥〉たちの言う『世界』とは何を指しているのか、彼らがどういった存在なのかは、自分たちとはあまりに違い過ぎて、詳しい説明を聞いても合点がいきそうにもなかった。
ただ、今、〈鳥〉が言いたいのは、彼らの正体でも、どうして人間を襲うかでもないことは、忘れてはいなかった。
「ここまで言えば、あの方を恐れる理由もわかるであろう」
自分を見つめる紅い瞳に顔を向けながら、〈男〉は静かに頷いた。
「お前の話を信じるなら、あいつは、正真正銘のバケモノということになるな」
月の眷属の持つ魔力が、存在する為にだけではなく、『世界』に何らかの影響を与える為にあるというのなら、〈鳥〉が恐れるほどの魔力を持つとされるあの〈少女〉は、『世界』にどれほどの影響を与え、存在を確かにしているのだろうか。
月の眷属が人間を襲い魔力を得ているのならば、あの〈少女〉は、桁違いに多いといわれるほどの魔力を得る為に、とんでもない数の人間を食らってきたということにもなる。
この森で流れた血もまた、彼女の糧になるのだろうか。バケモノを退治しようと来た者が、逆にバケモノを生かしているとは、何たる皮肉だ。