殺した男と死を求むバケモノ(8)
あれからどのぐらいの時が経っただろうか。葉が揺れる音がして、〈男〉は目を開けた。
そこが森の中だと気づいた時も、〈男〉は自分の見たものが、夢ではないように思えた。
おそらくは、昔の記憶が甦っただけなのだが、〈男〉には、夢でも記憶でもなく、今しがた起きたように感じた。
月の眷属がいたあの屋敷を出てから、十年近く経っているはずなのに、あの時のことは今でも鮮明に覚えている。寧ろ、足を滑らせて落ちたことの方が、遠い昔のようだ。
頭が上手く回らなくて、ぼんやりと空を眺めていたら、ふと、土と草の青臭い匂い中に、甘い香りを漂わせながら、黒い影が下りてきた。
影は小さな頭に二つの紅い光をともしていたが、思ったよりも小さく、烏程度の大きさだった。
「無事か?」
「あぁ、少し背中を打っただけだ。他は何ともない」
「それならいいが、人間は脆い故、勝手に動き回るな。貴様に何かあれば、吸血種様の不快を買ってしまう」
〈鳥〉は〈男〉の隣に足を下ろすと、羽を畳んで男を見た。その目が何を感じているのか、(男)にはわからなかった。
「吸血種とは、あいつのことだな。あいつは俺をどうするつもりだ?」
「貴様のことは、手出しするなとしか言われておらぬ」
「そうか」
応えて〈男〉は〈鳥〉から目を離した。
頭を動かすと、耳許の枯れ葉が音を立てた。森はしんと静まり返っていて、〈男〉が動かなければ音もしない。
この森には〈男〉と月の眷属しかいない。彼らさえ手を出さなければ、〈男〉は無事でいられる。
しかし、逆を言えば彼らが襲ってきても、〈男〉には助かる術がない。
生きるも死ぬも、あの〈少女〉次第なのだと、〈男〉は改めて思った。
〈鳥〉が〈男〉の様子を探っているのも、あの〈少女〉が関わっているからかもしれない。
「貴様は、あの方すら恐ろしくはないのだな」
「お前には、あいつが恐ろしいものに見えるのか?」
〈男〉が眉を寄せ問うと、〈鳥〉は一度、馬鹿にするような声を上げて答えた。
「我らを貴様ら人間と一緒にするな。我らはあの方の姿を恐れているのではない。あの方の持つ魔力を恐れているのだ」
「魔力とは、お前たちの持つ力のことか?」
「否、魔力とはこの世界の生み出す力だ。お前達の中にもある」
「どういうことだ?」
〈男〉は眉を寄せたまま、自然と疑問を口にしていた。すると、鳥の紅い瞳がくるりと動いた。
「魔力とは、この世の者が存在する為に必要な力だ。生き物なら当然、持っているものだ」
「それが、あいつの場合は、お前達でも恐ろしいと感じるようなものなのか?」
「それも違う。魔力とは皆、同じものだ。ただ、あの方の場合は量が桁違いに多い」
「多いと何か問題があるのか?」
〈男〉の問いかけに、〈鳥〉は何を思ったのか、紅い光が大きくなって点滅した。
それから、数秒ほど黙り込むと、神妙な声が返ってきた。
「貴様は物を知らぬのか? それとも、正真正銘の阿呆なのか?」
「急に何だ?」
〈男〉が〈鳥〉の方へと顔を向けると、紅い光がじっと〈男〉の顔を見ていた。
その光は、〈男〉の言葉を疑うというよりも、信じられないと、呆れているかのようにぼやけているようだった。