殺した男と死を求むバケモノ(7)
道中はずっと目隠しをされ、目的の場所に着いて布を外されると、先ず外の明るさに驚いた。
次いで、ここが何処かと思うより、ここが建物の中だということに驚いた。
人が何人も暮らせる広さはあるのに、布の敷居は一つもなくて、広々とした部屋の中には物が一つ二つ置いているだけだった。天井も壁も綺麗で、燭台がいくつも飾ってあって、外にいるよりも明るく感じた。
ここで待っていろと言われた時は、これから起きることよりも、部屋に一人残されることの方が緊張した。
敷いてあった布も、足で踏むのがもったいないぐらいに柔らかくて、歩くのさえ怖かった。
目に映る全てが初めてで、慣れない環境に落ち着かなくて、どれほどの時間、待たされていたのかもわからなくなっていた。
しかし、部屋の扉が開かれ、現れた雇い主らしい男たちの後ろから出てきた、紅い柱のようなものに、世界が凍りついた。
紅い柱に見えたそれが、人の姿をしていたなど、当時の〈彼〉は知らなかった。
紅い柱は〈彼〉の前に立ち、細長い手を伸ばした。枯れ木のような感触が頬に触れた。
「ぬしは何故、我の力が効かぬのだ?」
乾いた指が触れたまま、発せられたその甘い声に、〈彼〉の体は大きく震えた。
何か尋ねられたことはわかったが、頭の中が真っ白で、声も出なかった。
心はわけもなく、その場から逃げだしたくていっぱいだったが、柔らかかった敷物が、いつのまにか氷のように冷たくまとわりついて、身動きすらも取れなかった。
柱が部屋から出ていくと、〈彼〉は大きく息を吐いた。知らず知らずに息も出来なくなっていた。
背中には冷たい汗も流れていたが、暑いのか寒いのか自分でもよくわからなかった。
後にも先にも、これほど恐怖を感じたことはなかった。
どうして老人が雇い主について何も教えてくれなかったのか、その時にわかった。
主は、人間ではなかった。
後に、ここに連れてきた男から、主が月の眷属と呼ばれる異形な存在だということを教えられたが、だからと言って、仕事を断ろうとは思わなかった。
仕事がなければ、体を売り、心を売り、乞食となって、いつしか、その辺に転がっている石ころのように、誰の目にも留まらずに死に、誰かの腹に収まることを〈彼〉は知っていた。
生きる為にも、他に頼れる者などいなかった。
次の日から仕事が始まった。
冷たく暗い部屋の中で、主の為の肉と血を用意する、簡単な仕事だった。
三日か五日に一回、用意された肉を解体すれば、清潔な部屋と腹一杯の食事が得られた。
仕事のない日は、他の使用人たちから文字や礼儀作法などを習って過ごした。
時には、主の客の相手をすることもあった。主の客は人間であったが、〈彼〉に血を求めるようなこともあり、〈彼〉が腕に傷をつけ、小さな器に血を数滴落とすと、舐めるようにその血を飲んでいた。
その様子を眺めていると、腹の底にどろどろとしたものが渦を巻くような、嫌な気分がしたが、〈彼〉は言われるままに黙って従った。
主も他の使用人たちも、この客たちの奇妙な行動について、何も言わなかった。
〈彼〉も幼い頃から老人に、余計なことは聞くなと念を押されていたから、何を見て何を聞いても、それが何なのかは考えないようにしてきた。
主も、客も、使用人たちや仕事も、全ておかしいと思いながら、〈彼〉は何も聞かなかった。
けれど、
ある日、いつものように用意された肉の、初めて聞いた叫び声に、〈彼〉の中で何かが弾け飛んだ。