殺した男と死を求むバケモノ(5)
「貴様の目が見えなくなったのは、何が原因だ?」
〈鳥〉の問いかけに、今度こそ〈男〉の足が止まりかけた。
〈鳥〉は気づいていないようだったが、〈男〉の背には冷たい汗が流れていた。
「ずっと薄暗い場所で生活していたから、視力が落ちていっただけだ」
「人間とはおかしなことをするのだな。日の光の下で生きられるくせに、わざわざ光のない場所で生きるとは」
何も知らない〈鳥〉の言葉に、〈男〉は震える手を握りしめた。
「誰も好き好んでそんな場所にいたわけじゃない!」
堪らず張り上げた声が、森の中に響いた。
静寂を壊したその声に、〈男〉は、自身も驚き、苦い顔をした。
自分でも、〈鳥〉の言葉のどこに怒りを感じたのか、よくわからなかった。
「好き好んではないと言うが、貴様は何故、そのような場所にいたのだ?」
〈鳥〉は紅い瞳が探るような視線を向けてきたが、〈男〉は答えなかった。代わりに、歩く速度が速くなった。
答えたくないほどやましいことがあるわけではないが、人間ではない彼らには答えたくなかった。
物心がついた時からと言うのか、少年だった頃の記憶にあったのは、暗く乾いた空気と埃だけだった。
生活に適した環境でないことは、子供心に気付いていたが、他の場所に行く勇気はなかった。
それに、日の当たる生活があることを知ったのは、自分で仕事を見つけられるようになってからで、その頃にはもう、自分は日の当たる場所では生きられない生活をしていた。
こんなことを言ったとところで、人間ではないものに人間の事情が理解できるとは思えなかった。
だから、答えたくなかったのだが、いくら足を速めても、羽ばたく音は消えなかった。
「ニンゲンよ、そなたは真に人間か?」
「言っていることの意味がわからんな。人間でないのなら何だと言うんだ?」
「貴様からは我々と似た気配を感じる。血と闇に生きる者の気配だ。人間のように、太陽の下で生きる者の気配ではない」
〈鳥〉は、紅い瞳を持つバケモノは、悪意も敵意もない淡々とした声で告げた。
〈男〉は黙った。返す言葉が見つからなかった。
〈鳥〉もそれ以上に追及はしなかったが、羽ばたく音が鬱陶しくて、〈男〉は逃げるように足を進めた。
〈鳥〉の安い挑発に乗ってしまったことに、自身への怒りと、ほんの少しの羞恥心が、混ざりながら込み上げてくる。逃げられる場所などどこにもないのに、それでも足は止まらなかった。
「待て」と〈鳥〉の声が聞こえたような気がしたが、〈男〉の耳には届かなかった。
思考は完全に〈鳥〉の言葉に持ってかれ、周囲の状況も上手く掴めていなかった
「――っ」
不意に、地面が崩れ落ちた。ぬかるんだ土に足が滑り、そのまま地面へと引きずり込まれた。
背中が壁にぶつかって、滑るように落ちていった。
落ち切った時には、背中が少し痛かったが、問題なく動いた手足に、男はほっと息をついた。
見上げれば、先ほどまで歩いていたと思われる斜面があった。
大した高さではないから、上って戻ることは可能だが、今はそういう気にはなれなかった。
落ちた斜面にもたれかけ、今度は大きくため息をついた。
冷静になってみれば、ムキになって否定するようなことではなかった。
日の当たるような生き方をしていないことは、己が一番わかっていたことなのに、未だに心がざわついて落ち着かない。吐き気までもよおしそうな気分だった。
〈鳥〉はこの失態も〈少女〉に報告するのだろうか。
血と闇に生きる者と似た気配がする、そう言われても〈男〉には否定できなかった。
この手は人を殺しすぎた。数だけならば、おそらくは、彼ら、月の眷属の犠牲者と大して変わらないだろう。
『このバケモノが!』
かつて投げられた言葉が、今になって胸に突き刺さる。
深く沈めていた記憶が、この場にはいない人間の声が、耳の奥から甦ってきたようで、〈男〉は固く瞼を閉じた。