殺した男と死を求むバケモノ(4)
森には、〈男〉の探る限りでは、〈少女〉と〈鳥〉の他に生き物の形跡はなかった。月の眷属という圧倒的な存在がいるから寄り付かないのか、それとも、この辺り一帯の獣は食いつくされてしまったのかは知らないが、他の生き物の気配がしないということは、〈男〉にとって好都合であった。
「この森に余計なものがないのも、お前たちがいるからか。おかげで、何があるのかもわかりやすい」
森の中はいつも、不気味なほどに穏やかだった。
木の根につまずくことはあっても、血にも死体にも触れない。
死体に集る虫の音も聞こえず、騒がしいのは頭上の〈鳥〉だけだ。
湿った土と草の匂いの中に、微かに血の臭いが残っているような気もしたが、死体だけではなく、木や葉についていた血までも消えてしまったようだった。
先日の騒動を考えれば、歩いていれば死体の一つにぶつかってもおかしくないのだが、腐臭や血の臭いもしないことから考えて、おそらく彼らが処理したのだろう。
どこに行っても木と草と、彼らの甘い匂いしかない。目が見えていたなら、何もないことが不気味に映っただろうが、目の見えない〈男〉は、障害物がなくて動きやすくなったぐらいにしか思わなかった。
「本当に気配を読んでいるだけか? 何故、貴様には我らの力が効かんのだ?」
〈鳥〉の声は鋭かった。〈少女〉の時とは違う、脅しの入った問いかけに、〈男〉も流石に眉を寄せた。
足は止めていないが、答えに暫く悩んだ。どう答えたら、この〈鳥〉は満足してくれるだろうか。
〈男〉が答えに迷っていると、急に視線が刺さるほどに、〈鳥〉の警戒も強くなった。ひやりとした空気が、〈男〉の鈍った心を引き締めた。
「俺にお前たちの力が効かないのは、余計なものが見えないからかもしれないな」
「余計なもの?」
「俺にはお前たちの姿は見えない。だから、お前たちの姿がどれほど恐ろしいものかと想像することも出来ないだろ。そういった余計な妄想を抱かないから、俺はお前たちに惑わされることもないんじゃないか」
「そのような簡単なことで……」
「他に考えられるような理由はないだろ」
〈男〉は答えて、息をついた。〈鳥〉は何も答えなかった。
月の眷属の力は幻覚によるものだ。
〈男〉がそのことに気付いたのは、仲間たちが殺しあう様子を聞いた時だった。
月の眷属の力に惑わされた者は、皆、居もしない敵に怯え、武器を振っていた。
音に耳を傾け、お互いの声を聞いていれば、銃口を向けている相手がバケモノではなく人間であるとすぐにわかるのに、戦いあう者達の目には相手が恐ろしいバケモノのように映っていたようだった。
だが、もとから見えていない男には、その恐ろしいバケモノの姿を想像する目がないから、説明されてもどんなものかと思い浮かべることも出来なかった。
故に、男は月の眷属を前にしても、怯えることもなければ、従うこともないのだろう。
〈男〉は憶測を話しただけであったが、〈鳥〉が黙ったところをみると、あながち外れてはいなかったようだ。
そのまま、少しだけ黙って歩いた。〈鳥〉は変わらずついてきた。