殺した男と死を求むバケモノ(3)
「……貴様は我々のことが恐ろしくないのか?」
突如、低い男の声に問いかけられ、〈男〉は驚いた。
辺りには変わらず〈鳥〉の気配しかいない。この声の主は、〈鳥〉ものだろう。
人間とさほど変わらない、初めて聞く声に、少しだけ〈男〉の顔が緩んだ。
「恐ろしくないわけではないが、お前達からは殺気が感じられないから、気が緩んでいるのかもしれないな」
「殺気などの問題ではない。目も見えぬ状態で、我らの領域に留まり続けることに、恐怖を感じないのかと聞いているのだ」
「残念ながら、俺は鈍く出来ているからな、この森がお前たちの領域だと言われても、今一つ実感がわいてこないんだ。
それこそ、命を狙われるようなことがあれば警戒もするだろうが、今、言った通り、お前達からは殺意は感じられない。だから、つい、恐怖するのも忘れてしまうんだ」
我ながら気の抜けた答えに、〈鳥〉を怒らせる気もしたが、〈男〉は正直に答えた。
この〈鳥〉にしてもそうだが、あの〈少女〉も、人間を食らい生きている存在だと思わなければ、〈男〉には恐ろしいとは感じられなかった。
餌を前にしても一向に襲ってくる気配がないのは、人間より上位の者としての余裕から来るものなのか、それとも、今は腹が減っていないだけなのか、理由がわからないが、〈男〉には、〈少女〉や〈鳥〉が襲ってこない確信があった。
〈鳥〉は何も言わなかったが、納得がいかないようだった。葉の揺れる音が、一時だけ強くなった。
〈男〉は頭上の鳥に注意を払いながら、意識を手と足へと戻し、足を一歩ずつ進めていった。行くあてもなく歩いているだけなのに、〈鳥〉は必ずついてくる。
〈男〉からすれば、この〈鳥〉もあの〈少女〉も、得体の知れない不気味さはあるが、話が通じるからさほど恐ろしくはなかった。この森にしても、怪しげな気配を感じないから、必要以上に警戒心を抱くこともない。
自分に危険が及ばないうちから、神経を削る気はない。
「貴様の目は見えていないのだと聞いたが、本当に見えていないのか?」
〈鳥〉の言葉に、〈男〉は足を止めかけた。〈鳥〉も気づいただろうが、この程度の動揺なら問題はない。
以前、〈少女〉からも同じことを問い詰められたことがある。
その時は、「見えない」と答えたが、この〈鳥〉は、それでは納得しないだろう。
「全く見えないわけじゃないが、ほとんど見えていないようなものだ」
〈男〉は言葉を選びながら、正直に答えた。
〈男〉の視界は、色や形は認識できるが、人の顔までは判別できないほどに、ぼやけていた。
調子が良ければ、雰囲気で目の前の相手の感情を察することもできるが、実際に相手の顔や表情が見えたことは一度もない。
だから、見えるか、見えないかと、問われたら、見えないと答えてきた。
「見えているように感じるのは、気配を読むのが得意なだけだ」
ぼやけた視界では、見えないものもある。見えないものにも意識を向けていたら、匂いや音に敏感になった。
今も、微かに香る甘い香りと、翼の羽ばたく音だけで、〈鳥〉の位置を探っている。
花や果実の匂いとは違うこの甘い香りは、おそらく、月の眷属特有の匂いなのだろう。彼らが現れる時にのみ香り、彼らが去ると消えてしまう。近づけば酔ってしまいそうなほど強い匂いなのに、香りを残さないから、匂いに惑わされることもない。
もしも、〈少女〉や〈鳥〉の他に、生き物の気配を感じていたなら、先ほどの「恐ろしくないのか?」という質問への答えも、違っていただろう。