第六節「奪還」
一ヶ月ぶりの更新です。やっと決着がつきましたよええ。次回、最終回です。
私は胸の中のモヤモヤをスッキリさせるために、神社に戻るしかなかった。神社では既にアガーシャの存在を嗅ぎ付けたのか、あちこちを子供たちが駆け回っていた。
だが私はそれを気にも留めずに陽菜のいるであろう本殿へと向かう。案の定、陽菜は本殿の中枢で寧音等の中高生ぐらいの子たちに支持を出していた。
「陽菜!」
私は陽菜に近づき、その襟を持ち上げて陽菜を問い詰めた。
「マザーウイルスとは何だ?どうしてソレの元のデータが私の頭に埋まってる?」
陽菜はいきなり聞かれて当然のように困惑していたが、そんなことはどうでもいい。早く今何が起こっているのかを知りたいのだ。
「ちょっと、待ってくれる?すぐに答えるから」
陽菜は寧音に何かを伝えると、寧音は他の子達を引き連れて去っていった。
「離してもらっていいかしら?落ち着いて話さないといけないことだから」
私は仕方なく陽菜を下ろすと、すぐに彼女は足元にあったジュラルミンケースの鍵を外して資料を取り出した。この和風の空間では明らかに不釣り合いなものである。
「それと、場所を変えましょう。付いてきてくれる?」
陽菜に促されて、私もついていく。彼女は本殿の廊下を進み、どんどん奥へと進んでいく。進むに連れて、真新しい神社の建物はどんどん古臭いものへと変わっていき、最深部まで着く頃には、かなりボロボロの建物だった。
「ここよ」
陽菜が立ち止まったのは、突き当りの朽ちかけの扉だった。しかし、ホコリや蜘蛛の巣は一切見当たらず、最近まで使われている事が伺える。鍵を回す際にも、特に詰まっているようには思えない。
「入って」
陽菜に言われて中に入ると、私は息を呑んだ。そこにあったのは、天窓からの光に照らされた一つの石だった。その側には花が供えられている。
私は石に近づいて観察をしてみる。何も模様がないが、きれいなまでに磨かれていて、天然の石にしては妙な光沢がある。
「これは、墓か……?」
「ええ。とても大切な人のね」
陽菜は扉を閉めると、私にさっきの資料を差し出した。私は一度立ち上がってソレを受け取った。そこに載っていたのは、一人の男のデータのようだった。名前は黒塗りされて読めないが、経歴はどれも平凡なもので、とりたてて特徴があるようには思えない、ごく普通の一般人のものだ。
だが、2枚目以降は違った。まるで病人の経過報告書のように彼が変貌していく様があり、最後のページでは、女のような姿をした怪物の写真が載っている。
「それが、この下に眠っている人の記録。あなたの言う、マザーウイルスのオリジナルに改造された人のね」
陽菜は墓の前でしゃがみ込むと、墓石を愛おしそうに撫でた。
「彼、私の彼氏だったのよ。口約束だったけど、婚約もしてたわ」
そう言う陽菜の表情はどこか悲しげだった。
「私と彼が世界で最初のマザーウイルス感染者。初期型は感染すると、文字通り怪物化するモノでね。治すには生身の体を捨てて体を機械化するしかない。その感染力は子供にも及ぶほど強いものよ。人間を燃料として必要にする兵器、それがマザーウイルスの正体よ」
陽菜はゆっくりと立ち上がり、私の方を向いて告げた。
「この神社にいる子供たちは、全員この人のベビー。戦争の後、兵器として製造されてた所を私達が死に物狂いで回収したの」
私がここの子供たちを見た時の違和感の正体がわかった。全員、父親が同じなら個体差こそあれどどこか似ているはずだ。
私がソレを言おうとした時、陽菜は黙って私の頭を指差した。私の頭に埋まってるチップの場所だろうか。
「そして朱里ちゃんは最後に教えてくれたわ。妹の頭に、マザーウイルスの改良型を埋め込んだってね。戦争中の兵器のデータと合わせたオリジナルの改良型よ」
「どうしてそんなものを……」
さっきのマザーウイルスの話を聞いているだけでも、ものの異常さが伝わってくる。非常に危険なモノをどうして姉さんは使ったのか。
「朱里ちゃんはね、知ってたのよ。自分が近々殺されるって。だから、自分か妹が生き残った時に大丈夫なようにあなたには圧縮した形で、自分には直接マザーウイルスを打ち込んだの」
陽菜はポケットから、一つの箱を取り出した。真っ黒なそれは銃のマガジンのようにも見えるし、何かのケースのように見える。
「これは私用のものだけど、マザーウイルスの解凍装置よ。同じ設計図から作られたものだから、あなたの戦闘用の義手にも使えるはず」
私はソレを受け取り、しっかりと握りしめる。
「アガーシャの事はこっちでも把握してるわ。明日香ちゃんを助けに行くんでしょう?」
私は黙って頷いて、その部屋を出ていった。陽菜は黙って私を見送り、ソレ以上何も言わなかった。
「ヴェールさん!」
先程の廊下を抜けると、寧音が話しかけてきた。その手には地図が握られている。
「アガーシャの詳しい場所がわかりました。明日香姉さんの家の方向に降りていって、そこから裏道に出て15分行ったところです」
寧音はこの神社からその場所への詳細な地図を私に渡してくれた。赤いマーカーでやや雑な書き込みがなされ、余裕の無さが伺える。
「ありがとう。助かる」
「気をつけてくださいね。明日香姉さんも生きていてほしいと思ってるでしょうし」
「それぐらい分かっている」
私は地図をポケットに入れると、戦闘用の義手を取りに部屋へ向かう。その道中、境内から町の景色一望できる場所を通った。今まで、急な階段ばかりが印象的だったが、こうして見ると、この街の構造が改めて確認できる。この神社を降りた参道が一本の幹のように中央の大学へと向かっている。まるで、この神社を中心に街を作ったと告げているようだ。だからこそ、彼女を救わなくてはならない。この町は、私達部外者が荒らしていい場所ではない。
私の部屋に戻り、戦闘用の義手に換装すると、改めて構造を確認する。陽菜の言っていた通り、肘の内側に小さなスロットがあり、そこが解凍装置を連結させる場所になっているのだろう。
「……行くぞ」
私が意を決して外へ出ると、神社の子供たちがバイクの周りに群がっていた。
「明日香お姉ちゃんを助けに行くんでしょ?使ってよ」
その中のひとりが代表としてバイクのキーを私に差し出した。
「これ、明日香姉ちゃんが高校の時に乗ってたやつ。買ったときはママと喧嘩してたけどね」
私はキーを受け取り、バイクのエンジンをかける。バイクの運転はロシアにいた時に経験があるから問題はない。子供たちに見送られ、裏道をかけていった。アレだけ苦労して登った道がまるですぐの近道であるように感じられる。
山を下り、明日香の家の近くまでやってきた。
「……この先だな」
手元の地図を見て場所を確認する。ここからそう遠くはない。私は地図をしまうと、そちらへバイクを走らせた。
たどり着いた場所は小屋と呼ぶにはやや大きめの、倉庫と呼ぶにふさわしい建物だった。ゆっくりと扉を開けると、アガーシャが懐中時計を見ながら待っていた。その隣には、手首を縛られた明日香が意識のない状態で座らされている。
「思ったより早かったじゃないか」
アガーシャは懐中時計をしまい、ゆっくりとこちらに近づいてくる。まだこちらへ攻撃の意志は無いようだ。
「で、答えはどっちだ?お前か、明日香か、どっちが死ぬんだ?」
「『お前』だ」
私の答えは一つ。私はアガーシャを指差した。
「お前を倒して、明日香を助ける。それが私の答えだ」
それを聞いた途端、アガーシャは腹を抱えて笑いだした。
「俺を倒す?そりゃ随分と面白い冗談だ。いいさ、やってみろ」
私は陽菜から貰った解凍装置を取り出す。私は着ていたコートを脱ぎ捨て、義手のスロットを開ける。アガーシャはそれを見て、少し驚いていたようだが、私は気に留めずにそのままスロットに解凍装置を装填した。
「中々面白いものを持ってるな。頭の中のデータの有効活用って所か」
次の瞬間、私の右腕を黒い泥が覆う。それと同時に頭の中に何かが流れ込んでくる。この世の全てを憎むような憎悪、処理しきれないほどの武器の記憶、戦いの記憶。身の回りのもの全てを破壊したくなるような強い衝動に駆られる。
「何故マザーウイルスに改良が必要なのか、分かるか?」
アガーシャは余裕を崩さないで私に話しかけてくる。
「だって普通考えりゃ分かるだろ?兵器に人格はいらない。敵への憎悪さえアレばいいからだ」
アガーシャの言葉を跳ね除けるように私は腕を振るう、アガーシャはいとも簡単にそれを避けて見せて、わざとらしく怖がってみせた。
「おお怖い怖い。これだからオリジナルのマザーは嫌いなんだ」
私は息を切らしながら、アガーシャを睨みつける。とりあえず、今はこいつを倒すことだけを考えればいい。いつまで正常な思考を保てるか分からないが、私は戦う。目の前のこの男と。
ならば、話は早い。意識を保っていられる間に決着をつければいいだけの話だ。
もうここまで培ってきた技術など構ってはいられない。本能の叫ぶまま、体の命ずるまま、力を振るうだけだ。
「面白い、だが、いつまで持つかな?」
私の攻撃をいなしながら、アガーシャは笑う。私は吠えるように荒々しく殴り掛かるも、アガーシャには届かない。
「今まで何匹のモルモットと戦ってきたと思ってるんだ。お前みたいなのは既に100回近く戦ってる」
アガーシャは私を触手で絡め取り、明日香の近くに叩き落とす。
「さあて、じゃあ2人仲良く死んでもらおうか」
私はフラフラで立ち上がりながら、アガーシャを睨む。ダメだ。ここで死ねない。アガーシャを殺さなければ。どんな手を使ってでも、やつを殺さなければ。
「あーあー、やっぱ駄目だなこりゃ」
アガーシャの触手の先端が、槍のように尖る。私の心臓を突くつもりなのか。
「いい見世物だった。スパシーバ」
アガーシャの触手が私に向かう。私が飛びかかろうとした一瞬、思考がクリアになり、回避する余裕が生まれた。
私は間一髪で回避し、肩を抉られる程度で済んだ。
「ほう……」
後ろを振り返ると、気を失っていた明日香が目を覚ましたようだった。そして、彼女の服の袖から、一本の細い触手が私の首元に延びていた。
「先生のウイルスを一時的に弱めました。でもどうして……私のことなんて、放っておけば良かったのに……」
明日香は肩で息をしながら、私を見ていた。その目は信じられないような気持ちと、嬉しさが入り混じっていた。
「決まってるさ」
私は一度乱れた服を直し、深く深呼吸をする。
「君は、私の生徒だからだ。生徒を守るのも、教育の一環さ」
「先生……」
明日香は私に伸ばしていた触手を引っ込めた。だが、あのような衝動は襲ってこない。むしろ、体に力がみなぎってくるようにさえ思える。
「いいねえ。生徒を守るその姿」
アガーシャは余裕そうに拍手をしていた。私はその隙をついて、アガーシャの懐に飛び込んだ。本当に一瞬、先程の状態ならば、確実に見逃してしまったであろう隙である。
「これで決まりだ」
私の義手に、黒い泥が集まり、一つの刃へと姿を変える。そしてそのままアガーシャの心臓に突き立てた。私は義手を引き抜いて、アガーシャを蹴り飛ばすようにして距離を取る。
「いやあ、これだから研究は辞められないんだよ……。こういう、予想外が、たまらないんだよぉ!」
アガーシャは胸元を押さえながら、高笑いをして全身が泥のように消えていった。跡には、ただ黒い水たまりのようなものだけが残った。
「終わった、な……ちょっと待ってろ」
アガーシャを倒したことで、一瞬気が緩んでしまう。思わず倒れてしまいそうになるが、なんとか自分を奮い立たせて明日香の方へ寄る。
「……っと。これでよし」
明日香を拘束していた鎖を引きちぎり、彼女を開放する。それで本当に体中の力が抜け落ち、明日香に抱きかかえられる格好となる。
「先生!待っててくださいね!すぐに中和しますから---」
彼女の声と、体の中が澄んでいくような感覚に包まれて、意識は闇に落ちていく。ウイルスの衝動を抑えるので全てを体力を使い果たしてしまった今、もう起き上がる気力すら無い。
あぁ、生徒を守ると見栄を張ったのに、情けないな……。そんなことを考えながら、私は少し眠ることにした。