第三節「私と彼女の関係」
今回は無事、1ヶ月と立たないうちに更新ができました。キャラクターもボチボチ揃ってきたことですので、そろそろ物語を大きく動かすつもりです。
そして迎えた授業初日、学校が始まっているので神社には陽菜しかいない。寧音も今日から高校2年生と言って張り切って出発していった。
私が受け持っている授業はお昼過ぎとのことで、少しだけ余裕がある。必要なものは全て大学が用意してくれた上に、困った時に読むメモまで渡してくれた。予想以上の好待遇で、思わずその裏を探ってしまいそうになる。
「あら?もうお出かけ?」
そろそろ時間になったので神社を出ようとした時、陽菜に声をかけられた。ちょうど境内の掃除中だったようだ。
「ああ。そろそろいい時間だからね」
「そう。いってらっしゃい」
陽菜に見送られて神社を後にする。最初に大学に行ったのは一週間ぐらい前だっただろうか。その間、色々な施設を回ったりしたが、やはりこの街に根付いている違和感の正体が気になって、あまり楽しめなかった。最も私がそういう環境とは縁遠い生活を送っていたせいか、心から楽しむことができないという、一種の病気にかかっているような状態なのだが。
大学にたどり着き、指定された教室へ向かう。授業開始まで後10分。ちょうどいい時間だ。用意された教室は三階にある、定員20名のごく普通の教室である。一応、授業で使うひとしきりの設備はあり、こちらが好き勝手にできるようにはなっているらしい。
「ごめんなさい!そこどいてください!」
授業開始と同時に教室に入ろうとした時、いきなり後ろから突き飛ばされた。幸い転ぶことはなかったものの、その人物は急いで教室に入っていった。
私が軽いため息を吐いて教室に入ると、その人物が誰だったのかひと目でわかった。白井明日香である。彼女は息を切らして最前列に座っている。最も、彼女は私のことなど覚えていないだろうが。
「ではこれより授業を始める。担当のヴェール・デカープリンだ。名前のとおりロシア出身だが、身内の関係で日本語だって話すことができる。別に緊張する必要はないから緊張しなくていい」
銀髪という明らかに外国人という出で立ちなのに、流暢な喋り方をしたせいか生徒たちに戸惑いの目が見える。最も、そんなことは気にせず授業を始めるつもりなのだが。
「さて、この授業ではロシア語を教えていく。私は現地のロシア語を教えるつもりだから、教科書どおりとは行かないが、ある程度沿わせるつもりだ」
この日私が教えたのは簡単な授業の中身と、向こうで一番多く使う挨拶を教えたぐらいだ。私の発音は当然ながら日本人の彼らには聞き取りづらいと思い、それのテストも兼ねてのことだった。
慣れない言葉の中で迷う生徒たちの中で、熱心についてきたのは白井明日香だけだった。他の生徒はロシア語の難しさにてんてこ舞いになっているようにさえ思える。
「さて、今日の授業はここまでにしよう」
授業を終わらせ、生徒たちはまばらに散っていく。白井明日香も、ノートを見返すと私に礼をして去っていった。
私が授業を行うのは、週に二回。今日と明日で一コマずつである。別に生活資金自体はロシア時代に溜めたものを引き出して持ってきているので、すぐに困ることはない。それに、姉さんの知り合いが支援金を出してくれているので、収入面にも不安はない。
「ここまで来るとほぼ趣味だな」
大学からの帰り道、私は自嘲気味につぶやいた。ロシアでの逃亡生活も終わり、今の私はまるで燃え尽きた灰のような状態だった。気がつけば部屋で何もしないまま日が暮れていたこともあったし、基本的に神社周辺を散歩するぐらいしか今の趣味はない。
何も考えず、フラフラと歩いていると普段とは違う地区に着いてしまった。学生寮が集まっている地区のようで、チラホラ帰り道の学生が歩いている。一度引き返すことも考えたが、この先に進むと神社への裏道があるらしい。せっかくなので、そちらを使って帰ることにした。
運命のイタズラとは、こういうことを言うのだろうか。
「あの……」
神社のある山の膝下にある小さい家を通りかかった時、偶然にも白井と出会ってしまった。彼女もこちらを見て驚いているようである。
「やあ。君はこの辺に住んでいるのかい?」
とりあえず、挨拶は交わす。この辺に住んでいるのなら、挨拶ぐらいは必要だろう。
「はい。これが、私の家です」
申し訳なさそうに白井が指を指したのは、目の前の家だった。あまり気に留めていなかったが、よく見ると、不自然な方向を向いて建っている。この家の向きはまるで山を見据えるように建っていた。私が歩いてきた道とは90度向きが違うのだ。
「そうか。私はこの先の神社で生活していているんだ。何か縁があれば会うかもしれないな」
白井はそれを聞いて驚いたようで、私に何かを聞こうとしていたようだが、私は敢えて質問に答えずに山への道へと入っていった。
「私に関わったらロクナことがないさ」
道中の山道、私は自嘲気味に呟いた。
今でこそ日本で腰を落ち着かせているが、またいつロシアから追手がやってくるか分からない。そのための備えはしてあるが、不確定要素は可能な限り排除しておくべきだ。あくまで彼女と私は生徒と教師の関係であることが望ましいのだ。顔見知り程度の仲であれば、何かあった時に狙われる危険性は少ない。
私は一人で生きていこうと決めたのだ。私を逃がそうとした姉さんを亡くしたあの時から。私を匿った里親が目の前で殺されたあの日から。それはこれからもずっと変わらない事なのだ。
神社にたどり着いたのは予定よりも20分ほど遅れた時間になってしまった。山道は舗装されて手すりもあったとは言え、それでも比較的険しい道であることに変わりはないのだ。
「おかえりなさい。裏道を使って帰ってきたの?」
私が境内に足を踏み入れると、まるで察知していたかのようなタイミングで陽菜がやってきた。山道か、境内の入り口にカメラでも仕掛けてあったのだろうか。
「まあね。気が向いたからさ」
「そう。下で、あの娘に会わなかった?」
「ああ。会ったさ。少し驚いていたようだったがね」
陽菜が言った、あの娘とは、最早誰のことを指すのか聞き返すまでもない。私がこの道を使ったということは、出会う人間は一人しかいないのだ。
私は少しかいた汗を流そうと小屋へ戻ろうと陽菜の脇を通る。そして、すれ違いざまに陽菜はこう告げた。
「たまには、会いにいってあげてね。一応あの娘も神社で面倒見ることになってるから」
私は軽く返事をするだけで、振り返ることはしなかった。陽菜も呼び止めるようなことはせず、私たちはそのまま別れた。
数日が経った日の朝、目を覚ますと境内の方が騒がしい事に気づいた。今日は特に用事もなく、ゆっくり過ごしていようと思っていたのに、である。
「あ、ヴェールさん!おはようございます!」
外に出ると、いきなり寧音に声をかけられた。その手にはドーナツとコーヒーが握られ、まるでアメリカンコミックの警察官のようである。
「なんだ、それは」
私が声をかけると、寧音は急いでドーナツを飲み込み、若干咳き込みながらもコーヒーを流し込んだ。そして息を整えてやっと答えてくれた。
「あっちで配ってるんですよ。おかわりとかコーヒーは有料ですけど」
寧音が指を指した方向には、一台のドーナツ屋のワゴン車が停まっていて、その周りでは子供たちがドーナツを食べている。
「よかったらヴェールさんもどうです?美味しいって評判なんですよ」
そういう寧音の目は輝いており、そのドーナツへの思い入れの程を語っている。
「そうか。じゃあ一つだけでも貰ってこようかな」
せっかくなので、朝食はドーナツにすることにした。そのドーナツが、一体誰が配っているかなど、全く気に留めてなどいなかったのだが。
ドーナツ屋の前でドーナツを配っていたのは、一人の日本人の女だった。歳のせいか、美しいという言葉からは少々遠のいているが、それでも年を感じさせないというのは恐ろしい。
「あれ?伊織ちゃん?」
目の前の女はいきなり私を本名で呼んだ。今現在、私の本名を知っているのは陽菜か、それともロシアからの追手としか考えられない。私は思わず身構えてしまい、いつでも肉弾戦に移れるように気を引き締める。やはり銃の一挺でも持っていればよかったか。
「いや、私よ私。覚えてない?」
そう言って女が取り出してきた免許の名前欄には、しっかりと『大國 日和』と書かれていた。つまり、彼女は私が日本に逃げられるように手配をしてくれた人間。ということになる。
「随分と変わっちゃったわね。ま、何年も会ってなかったんだし当然よね」
日和は私にドーナツを手渡し、なんの驚きもないようだった。こっちがただ驚きすぎただけなのかもしれないが。
「この後暇?ちょっとお話したいから、寄宿舎の談話室にでも来てくれるかしら?」
「別にかまわないさ。今日は暇だったからな」
日和の申し出を断る理由など無い。彼女がどういう人物なのか、興味もある。
「わかった。待っている」
私の返答を聞いて、日和は笑みを浮かべながら頷いた。彼女の手引きによりロシアから逃げてこられたのは感謝すべきことだろう。しかし、彼女を完全に信用するには材料が足りない。彼女を信頼できるだけの材料がほしい。そう思ってのことだった。
子供たちはお昼前になると、散り散りになり、やっと落ち着ける時間帯になった。子供たちが暮らしている寄宿舎は、ちょっと話し合いをしたり、テスト前の勉強部屋として談話室が設けられている。談話室はテーブルが一つと、それを挟むようにソファが2つ。特に変わったところはない。
そして、約束通り談話室で待っていると、日和がやってきた。時間よりは少し遅れている。
「ごめんなさいね。ちょっと片付けに手間取っちゃって」
日和は私の向かいに座り、一息をつくと、バッグから水筒を取り出して一口飲んだ。
「にしても本当変わったわね。最後に会ったときはお姉さんがまだ生きてた頃だったっけ?」
大國日和という人物がどういう人物なのか、簡単な経歴なら知っている。史上類を見ないほどの天才で、『死者の蘇生』という実験に失敗し学会で大惨事を引き起こして追い出され、その後は姉さんたちの装備を開発したらしい。
「まさか、あなたがドーナツ屋になってたなんて、思いもしませんでしたよ」
とりあえず、探りを入れてみる。彼女がどのような人なのか、詳しくわかるまではあまり本心を話すのは危険かもしれない。
「違うわよ。ドーナツ屋はバイト。私もあまりお金がなくてねぇ。資金稼ぎに友達を手伝ってるってわけ」
そういう日和の様子は少々肩が凝っているのか、少し肩をもんでいる。かなり遠くから来ているのだろう。もう少し探りを入れれば十分かもしれない。
「じゃあ、今は何を?」
「戦争の後のアフターケア。まだ終わんないのよね。色々と残っちゃってるから、後片付けやら世話焼いたりね」
戦後のアフターケア、とは何をしているのだろうか。確かに、核兵器とかでも使ったのなら、その処理には百年ん単位での時間が必要になる。
残念ながら、姉さんたちの戦争の記録は殆どがバラバラになってしまい、断片的にしかそのことがわかっていない。
だからこそ、私は気づかなかったのかもしれない。あの戦争で、作られた兵器が核兵器以上に危険で最悪なものであったということを。
日和から聞けた話は、私の予想を超えるような内容はなかった。ただ単に、私を放っておけなかったからという理由で、私をこちらに来れるよう手引したらしい。彼女と話していたのはおよそ30分。特別疑う要素もないし、何より、彼女に私を騙そうとする理由が見つからない。よって、私は彼女を味方と定義づけることとして、この日の行動を終えた。