第二節「スタート地点」
一ヶ月ぶりの更新です。大学三年生って、忙しいですね。本当スケジュール管理が難しいです。
翌朝、朝日の眩しさで目を覚ますと、静かな鳥のさえずりだけが聞こえてきた。ベッドから体を起こすと、テーブルには、朝食が用意されていてまだ湯気が立っている。
手早く朝食を終えて、軽く一服を決め込もうとしたが、煙草が無くなっていた。思わず箱を握りつぶし、ゴミ箱に放り投げる。
間もなくして、食器を下げに来たのか寧音がやってきた。まだ少し緊張しているのか、動きが少々硬いようだった。
「おはようございます。食器を片付けに来ました。それと、今日一日の予定表です」
寧音は持っていたバッグからタブレットを取り出し、私に渡した。画面には『予定表』と題が書かれた簡素な票が表示されていた。予定表と言っても、書き込まれているのは、世話になる大学の学長に挨拶ぐらいしかなく、後は街の観光だけだった。
「随分と少ないな」
「はい。こっちの生活に慣れてもらうのが一番ですから」
タブレットを寧音に返そうとしたが、寧音は受け取らず私に突き返してきた。
「それは引越し祝い代わりのプレゼントです。必要な情報はそれで。必要であれば、携帯電話なんかも用意しますが?」
「いや、今は遠慮しておく。これだけでも必要なやり取りはできるんだろう?」
私の質問に、寧音は黙って頷いた。
「さてと、それじゃ出かけようか。案内してくれるかい?」
「はい。そのために来たようなものですから」
寧音を引き連れて小屋を後にする。境内は昨日の騒がしさが嘘のように静まり返っており、陽菜がゆっくりと神社を掃除していた。
「おはよう。昨日は眠れた?」
陽菜は私の顔を見ると、優しくこちらを微笑み返してきた。彼女に害はないとはわかっているが、思わす少し身構えてしまいそうになった。
「ああ。なんとか」
「よかった。これから大学にあいさつ?」
「そのつもり。簡単に街の観光もしてくるつもりさ」
「そう。いってらっしゃい」
陽菜に軽く手を降って神社を後にする。昨日は見なかった、長い長い参道へ続く階段を降りる。階段はかなり急で、油断すると転げ落ちそうだった。
「ここの階段。急なんですよね。この神社は古いから」
寧音は通り慣れているのか、平然とこの階段を降りている。私はまだ手すりを使わなければスキーヤーよろしく、滑り落ちそうだ。
「ここの階段、取り替えたりしないのか?」
「たまに。最後に取り替えたのは……5年前だったと思います。母の知り合いをみんな呼んで、3日ぐらいかかって取り替えたんですよ」
5年でこの有様か。相当な人間が出入りしているようだ。寧音はスラスラと階段を降りており、それこそなめらかに滑っているように見える。
「さてと、大丈夫ですか?」
長い苦闘の末、私は無事に階段を降りきった。まさかこんな所に罠が仕掛けられてるとは思いもしなかった。
「心配することはない。この程度、少し休めば平気さ」
少し強がってみせたが、やはり息が苦しい。こんな長い階段の昇り降りなんて初めてだ。
「はい、どうぞ」
寧音は持っていたカバンの中から、質素な小さい水筒を取り出した。
「うちの特製ドリンクです。疲労回復にいいんですよ」
水筒を受け取り、蓋を開ける。蓋をコップにして飲むタイプではなく、直接飲み口がついているタイプだ。そこで、少し思いとどまる。こういった薬品系は苦いと相場が決まっている。もうそんなことで同行する年齢ではないが、それでも不安だ。
しかしせっかく貰ったのに飲まないのは悪い。私は意を決して、試しに一口と飲んでみる。
「……甘い」
渡された飲み物は、不思議な甘さだった。砂糖のような後付けのような甘さではなく、どちらかと言えば、ホットミルクのような自然に出た甘さだった。
「昔は苦かったけど、材料をちょこっと変えて甘くできたんです。今ではお祭りなんかで出す特製ドリンクとしてちょっとした名物になったんです」
寧音は簡単な説明を付け加えてくれた。全部飲み干すのは流石に悪いので、2、3口飲んで寧音に返した。
「さて、道案内を頼むよ」
「はい。任せてください」
寧音に案内され、参道を通る。神社自体がある種の孤児院のようなものだからか、制服などを売っている店、教科書を売っている店が目についた。小中高全てに対応している。逆に、ゲーム屋やおもちゃ屋のようなものは幼児向けか、あっても規模の小さいものがたまに見えた。
「参道はこの辺の学校の購買部も兼ねてますから、どうしてもこうなっちゃうんですよ。娯楽系は娯楽エリアに集まってます」
「そうか……」
この街は、どこか妙だった。具体的には言い表せないが、普通の街とは違う、何かがあるような気がする。
「さてと、着きましたよ」
寧音に案内されて通ってきた道は、ほぼ一直線で抜けるまでの時間はおよそ10分前後。目の前にそびえ立つ大学の周りには、バスターミナルが設けられている。街の各エリアにアクセスできるようになっているようだった。
「さすがは学園都市。大学が中心部というわけか」
「はい。高校大学が1つずつ、小中学校が2つずつこの中央エリアには建っています。他にも、商業エリア、農学校のある農業エリア、さっき通ってきた居住エリアがあるんですよ」
寧音は張り切っているのか、一つ一つ丁寧に説明してくれた。各エリアの下に、更に小分類のエリアがあるとか、エリアによっては学校の実習施設があるとか。正直後でじっくり聞くつもりだったので、半分以上は聞き流していたが。
「観光案内は後でいい。早く大学を案内してくれないか?」
「ああっ。すいません!ついつい盛り上がっちゃって!こっちです!こっち!」
『天美大学』という看板を通り、管理棟の扉をくぐる。学長室のあるフロアへのエレベーターに乗り、学長室に入る。
学長は至って普通の人間だった。これと言って特徴もなく、典型的な40~50代の初老の男性。それが私の抱いた印象だった。
そこで、特別なことなどなく、この大学での授業のやり方や私に割り当てられた教室などを説明された。
そして軽く挨拶を済ませて学長室を後にした。
「ちょっといいかな」
管理棟の出口で、前を歩いていた寧音を呼び止めた。
「はい?」
寧音は思いもよらないタイミングで呼び止められて驚いたのか、少し戸惑ったように振り返った。
「この学校を少し見学してってもいいかな。せっかくだからさ」
「ええ、構わないと思います。僕も同行した方がいいですか?」
「強制はしない。疲れているならどこかの喫茶店で休んでいるといいさ」
私のわがままに寧音を突き合わせる義理はない。彼女はどうするべきか迷ったようだが、すぐに結論が出たようで、静かに頭を下げて去っていった。近くの喫茶店で時間を潰すつもりらしい。
私がまず校舎へと向かった。授業を行う教室の配置ぐらいは少なくとも覚えておきたい。
幾つかの教室を回ってみたが、特別おかしなところは見当たらない、黒板と教室が並んでいる。まあ見たったらそれはそれでおかしいのだが。
パソコンのある教室を見るために、1階から3階へと上がると、少し雰囲気が変わった。レポート等を仕上げる学生のために公開しているようで、少し話し声が聞こえてくる。
そして、適当な空き教室を見つけて扉を開けた時、一人の少女とぶつかりそうになった。
「あ、すいません」
その少女は、どこかで会ったような気がして、言葉に詰まって思わず彼女を見つめてしまった。
「あの……何か?」
流石にこちらが何も言わないのを不審に思ったのか、ちょっと首を傾げていた。少女は、肩の辺りまでのショートボブで、まるでガラス細工のような儚い雰囲気があった。
「ああ、すまない。知り合いに似ていた気がして」
慌てて謝罪の言葉を返す。少したどたどしい喋り方になってしまったが、相手は納得してくれたようだ。
「そうですか。では」
少女は少し慌ただしいような様子でその場を去っていった。私はその後、いろんな教室を回っておおよその教室の間取りを把握できたが、あの少女に感じた既視感はどうしても拭いきれなかった。そのせいか、教室の間取りを覚えるのがせいぜいで、学校の雰囲気などは忘れてしまった。
大学を出て、寧音と合流した。休んでいた喫茶店は、大学の目と鼻の先であり、学生向けのサービスが充実している所らしい。一時間にコーヒー一杯頼まないと追い出されるのが欠点と、寧音は教えてくれた
「それで、大学を回った感想はどうでしたか?」
合流した後、寧音が聞いてきたことはそれだった。見たところ、大学生というよりかは高校生と言った出で立ちの彼女には少し気になる所なのだろう。
「ああ。大体の間取りは把握できたさ」
「それだけですか?もっと、こう、何か雰囲気みたいな感想とかは無いんですか?」
「雰囲気、か……」
特に隠すことでもないし、別に話して何か悪影響があるわけではない。せっかくだから、パソコン室ですれ違った少女の事を話す事にした。
「へえ、そんな人がいたんですね。私はもっとエキサイティングな出会いだと思ったんですが……」
話を聞いた寧音は眉をしかめた。『見覚えのある女に会った』と言われて、反応を期待するほうが無謀なのだが。
「もしかして、この人じゃないですか?」
寧音はスマートフォンを取り出して、私に一枚の写真を見せた。
「これは……」
その写真の少女は、私が出会った少女そのものだった。少し幼いが、ほぼ面影はそのままだ。
「ビンゴ、みたいですね」
寧音は少し安心したようで、スマートフォンをしまった。
そして、彼女の名前と、素性について教えてくれた。
「彼女の名前はね、白井 明日香。僕達の一番上の姉さんです」
寧音の一言で、ずっと引っかかっていた所がわかった。彼女は寧音達の姉なのだ。見覚えがあって当たり前だ。
しかし何故か、その名前を告げた寧音は悲しそうな目をしていた。
「明日香姉さんは、今は神社じゃなくてこの辺の学生寮に住んでいるんですよ。思いっきり勉強をするって言ってました」
明日香の名前を聞いた途端、雰囲気は急に湿っぽくなってしまった。観光をする予定を取りやめ、今日は早めに神社に帰る事にした。その道中、寧音は白井明日香という人物について教えてくれた。
成績はあまり良くないようで、大学でも下から数えた方が早いという。しかし、とても前向きな性格らしく、本人はあまり気にはしていないらしい。
そこまで聞くと、彼女にあまり問題があるようには思えない。大学生となれば、一人暮らしも珍しくはない。まあ慕っていた姉が引っ越していってしまったというのは、少し寂しいのかもしれない。家も、学校も違ってしまえば、合う機会と言うものは確かに減ってしまうだろう。
「明日香姉さんは今、ロシアについて勉強しているって言ってました。本人はいつかは行きたいって言ってましたけど」
「そうか。ロシア……か」
私は便宜上、ロシアからやって来た非常勤講師という事になっているが、ロシアにはあまりいい思い出はない。家族を失い、命を狙われて心休まる日がない。一度、彼女にロシアのどこに憧れてるのかを聞いてみたい。
「とにかく、あなたの授業を取ってるかもしれないので、授業で顔を見かけるかもしれませんね」
神社の前まで辿り着くと、寧音は軽く一礼をして素早く階段を登っていった。昇り降りにはかなり慣れているのが分かるほど、簡単に登っていった。
本人は笑ってこそいたが、どうしても暗い影を払い切る事はできていなかった。たかが姉がいなくなったと言うだけなのに、どうしてそこまで悲しそうにするのだろうか。
必死になってなんとか階段を登りきると、陽菜が出迎えてくれた。行きに比べれば多少は楽だったが、それでも誤差レベルだ。
「おかえりなさい。明日香に会ったんですって?」
「ああ。寧音にそっくりで驚いたさ」
「そう。あの子は、ちょっと難しい所があるけど、どこかでご縁があったら、ちゃんと優しくしてあげてね」
やはり長女と言うだけあってか、陽菜は人一倍明日香のことを気にかけているようだった。一応、母親という扱いなのだから、当然といえば当然の対応と言える。
その日の夜、私はベッドに横になりながら、今日感じた違和感を整理してみた。1つは、この街が抱えている違和感。これはまだ分からない。ただ、おかしいと感じただけだ。これはまだこの街の雰囲気に慣れていないだけかもしれないので、それほど重要ではないだろう。
しかし、2つめはどこかおかしかった。白井明日香の名前を聞いた寧音と陽菜の対応だ。これは明らかに違和感を感じた。ふたりとも、どこか寂しそうな目をしていたがどうしてそこまでの反応をするのだろうか。寧音はまだしも、陽菜は何かを知っているような気がする。
だがそれを知って何になるのだろうか。別に私はここの調査に来たわけではない。単に好奇心の話だ。
そんなことで人を詮索するのは良くないとは思いつつも、私の意識はゆっくりと眠りに落ちていった。