第一話『私の話』
私の姉は、英雄だった。
姉さんは、他の国からの侵略を受けていた私の故郷を、たった10人足らずで救った英雄の一人だった。輝かしい戦果を上げたわけではないが、みんなの憧れであったし、私の自慢の姉でもあった。
だが、現実は残酷だった。まだ成人すらしていない少女に国を救われ、メンツを丸潰れにされた大人たちは、私達を『技術提供』という名目でロシアへと送り込んだ。それでも、姉さんは健気に奮闘し、立派な戦果を上げてみせた。今思えば、姉さんは嫌な現実から逃げていたのかもしれない。
そして、追い討ちをかけるかのように姉さんは殺された。姉さんと衝突していたロシア軍将校が、私達の家に火をつけたのだ。絶体絶命のピンチの事態で、姉さんならなんとかしてくれると信じていた。でも、姉さんは諦めたような顔で、私に最後の言葉を告げた。
「大丈夫。伊織は私の妹なんだから、きっとこれからもやっていけるわ」
姉さんは私を瓦礫から庇い、そのまま圧死した。そして救出されたのは私一人。両親はベッドルームで仲良く眠っている状態で死亡したらしい。
それから私はひたすら空っぽのまま生き続けた。ロシア軍から『せめてもの詫び』として、手厚い保護を受けたので生活に困ることがなかったのが、不幸中の幸いだったのかもしれない。
姉さんの親族ということで、色んな人間から狙われた。私を交渉材料に、日本からの技術提供を促すつもりらしい。
誰も信用できず、必死の逃亡生活を送る中、一通の手紙が私の所に届いた。『日本へ来ないか』と。
目が覚めると、飛行機内で、間もなく日本に到着する旨のアナウンスが聞こえてきた。
(懐かしい夢だったな……)
思えば、最近は夢を見ていない。こうして安心して眠れるのも何週間ぶりだろう。念のため、ポケットをあさって、再度手紙を取り出す。
手紙の差出人は十数年前に死んだ姉の知り合い。私は会ったことがなかったので、姉さんが話していたこと以上のことは知らない。手紙と一緒に『ヴェール・デカーブリン』名義の偽造されたパスポートも入っていて、それもしっかり入っている。
手紙によれば、私の滞在先は日本でも有数の学園都市、陽前町。山奥にある巨大学園を中心に、一つの独立国と読んでも差し支えないレベルにまで発展した街らしい。
荷物を確認し、降りる支度を始めた。少し乱れた服装を整え、軽く体を動かす。ふと外を見ると、日本の町並みが映っていた。
(日本、か……)
私にとっては、幼少期以来の日本である。日本語は話せないわけではないが、それでも発音や読み書きで少しは苦労するかもしれない。それでも、私のやることは変わらない。いつだって、私は穏やかに過ごせればそれでいいのだ。
飛行機は無事に着陸し、手早く入国手続きを済ませる。空港の売店でタバコとライターを調達し、空港の近くの喫煙スペースへと向かう。日本のタバコを吸うのは初めてだが、あまり悪くはない。迎えの車が来るらしいので、それまで日本のタバコの味に慣れておくのもいいだろう。
程なくして、喫煙スペースの近くに一人の少女がやってきた。私はカバンから手紙と一緒に送られてきた資料を取り出し、現地ガイドの写真を取り出す。名前は、深月陽菜。陽前町にある神社の主、ということになっている。
喫煙所を出て、陽菜に近づく。陽菜の肩を叩こうとした時、向こうはすぐにこちらに気づき、振り返った。
「あら、そこにいたのね。はじめまして。あなたの案内人を任された、深月陽菜です。よろしくお願いします」
陽菜は穏やかな笑みを浮かべ、軽く一礼をしてみせた。彼女は長くきれいな髪が特徴で、典型的な大和撫子というイメージがそのまま当てはまるだろう。それに加え、行動の端々から彼女の行動の一つ一つに品が感じられ、育ちの良さが伺える。
「江口伊織だ。よろしく頼む」
私は頭を下げる事に抵抗があったので、手を差し出す。向こうもこちらの意図を汲み取ってくれたらしく、握手で返してくれた。
「ええ、よろしく。それじゃあ、行きましょっか。長旅で疲れたでしょう?」
「ああ」
少しぶっきらぼうな返事になってしまったが、陽菜は気にも留めないようだった。陽菜は私の荷物を持ち、駐車場まで案内をする。そして、駐車場に停めてあった車のトランクに私の荷物を積み込み、運転席に乗り込む。私が助手席に乗り込むと、陽菜はエンジンを掛けて、車を出した。
空港を出て、高速道路に入ると、窓を開けてタバコを口にくわえる。そして、ライターを取り出してタバコを吸う。喫煙所で吸い足りなかった分も吸っておきたい。
「ちょっと、あんまりそういうのはやめてよ?」
私がタバコを吸い始めたのを見て、陽菜が不満そうに言った。しかも、まるで親の仇でも見るかのような表情である。
「君は、確かロボットなんだろう?ならあまり関係ないじゃないか」
聞いた所によると、陽菜は体の9割が機械らしい。別にタバコの煙を吸ったぐらいで特に実害はないはずなのだが。
「違うの。神社で預かってる子供達に迷惑って言ってるの。私もあんまり好きじゃないし」
「そうか。すまない。そこまで気が回らなかった」
言われてみれば、日本からの手紙の端っこにそんなことが書いてあったような気がする。あまり隅々まで読んでないので、本当におぼろげなのだが。
「とにかく、気をつけてね」
私が滞在することになっているのは、山間の町、陽前町。私立天美学園を中心として発展した学園都市である。故に、子供たちも多く、陽菜の指摘は最もなのだが、後も露骨に指摘されると思わずため息が出てしまう。
吸い殻を携帯灰皿に捨て、景色を眺める。どこを見渡してもビルばかりの殺風景な町並みが続き、退屈である。
そんな刺激の少ない景色と長旅の疲れからか、眠気に襲われ、間もなくして眠りに落ちた。
「もしもし?着いたわよ?」
陽菜の声に起こされ、気がつくと神社関係者用の駐車場に着いていた。
「ああ、ありがとう」
「いえいえ、荷物は先に部屋に運んでおいたわ。先に神社を案内するから、用意してね」
シートベルトを外し、車の外に出て軽く延びをする。着いたのは、深月神社。この陽前町の端にある古い神社である。陽前町がここにできる前からあるらしく、それまでは無人の寂れた神社だったという。それが今となってははしゃぎ回る子供の声が聴こえる程の賑やかな場所になっている。
「さてと、じゃ、ココが社務所。私は基本的にここにいるから、困ったことがあったらここに来てね」
陽菜が指したのは比較的大きい建物である。比較的新しい建物ではあったが、神社の景観を損なわないようにデザインされていて、あまり気にはならない。
「で、向こうが本殿。その向こうが子供たちがいる寄宿舎ね」
塀を挟んで神社らしい豪奢な建物と、その向こうに3階建ての建物が2つ見える。そしてその隣、明らかに神社という建物には不釣り合いなプレハブ小屋が建っていた。
「あそこがあなたが住む離れ。今はまだ仮の状態だけど、ちょっと我慢してね。なにせ急だったもんだから、アレしか用意できなかったのよ」
「大丈夫。衣食住さえ確保できれば私は困らないさ」
深月神社は他の神社とは一線を画する存在だ。ここはある特殊な事情を抱えた、引き取り手のいない子供達の孤児院としての側面を持っている。だから、寄宿舎なんてものがあったりするのだ。うるさい子供と一緒に暮らさなきゃいけないと思うと、気が進まなかったのだが、仮でも個室を用意してくれただけありがたい。
「神社の主な施設はこんな感じ。他は舞殿とか色々あるんだけどそういう観光目的なのは無しね。じゃ、本殿の方に行きましょ」
陽菜に案内され、扉を抜け、境内の中へと入った。
中では子供たちが遊んでいて、神社、というよりも公園のようだった。
「あの子達は、ココで預かってる子の一部。確か、小学校低学年ぐらいまでの子たちね」
程なくして、子供たちが陽菜に気づき、私と陽菜のところに群がってきた。
「ねえママー、この人だあれ?」
「わあ!まっしろな髪!珍しいわ!」
「おなかすいたー。おやつまだー?」
子供たちはそれぞれ思い思いの質問をぶつけてくるので、とても対処しきれない。改めて近くで見てみると、この子どもたちに何処か違和感を覚え、余計に不快になる。
「はいはい。みんな落ち着いて」
陽菜が手をたたくと、子供たちは一斉に黙り込み、じっと陽菜の方に目線を向けた。
「この人はね、今日からみんなと一緒にココで暮らす人なの。まだここの案内の途中だから、ちょっと待っててね。おやつはそれからにしましょ」
子供たちは陽菜の一声でおとなしくなり、まばらに散っていた。
「さてと、行きましょう。あなたの部屋に案内するわ」
陽菜の案内で、色んな場所を案内された。本殿、手水舎、舞殿。どれも最近建てられた家のような真新しさがあり、陽菜が生まれ育ったという話が嘘のようだった。
「一つ、いいかな」
「ん?何かしら?」
「さっきの子供たちなんだが……」
「ああ、気づいちゃった?」
陽菜はまるで私の違和感を知っていたようで、答えは既に用意しているようだった。
「あの子達はね、全員が腹違いの兄妹みたいなものなのよ。だから、そっくりなのよね。アレだけいれば違和感を感じて当然ね」
陽菜は特に気に留めていないようで、あっさりと子どもたちの秘密を打ち明けた。
「随分とあっさり打ち明けるんだな」
「ええ、あなただからね。ここに住む以上、隠し続けるのは無理だったろうしね」
本殿の脇を抜け、少し行った所で立ち止まった。そこにあったのは、木々で隠すように建てられた小屋だった。オマケに、目立たないように塗装や装飾も施され、遠目から見れば木製の倉庫のように見える。
「これは、見事だな」
「ええ。ここまで隠すの大変だったのよ?代わりに、改造は楽になったらしいけどね」
陽菜は小屋の扉を開けて、中に招き入れる。
「さあ、どうぞ」
中に入ると、思っていたよりも少し広く、冷蔵庫やテレビ等の必要そうな家具はあらかた揃えてあった。更にはダイニングも用意されている上に、地下室に続いているであろうはハシゴまで用意されていて、仮の小屋にしては豪華だった。
「随分と豪華だな」
「ええ。地下に行けばお風呂とかトイレもあるから、別に銭湯とかに行く必要もないのよ」
持ってきた荷物を置いて、椅子に軽く腰掛ける。窓から見える景色も自然豊かで、心が落ち着く。
「それじゃ、長旅の疲れもあるでしょうし、私はこれで。何か用があったら、そこの電話で呼んでね」
陽菜はそう言い残して出ていった。私は陽菜がいなくなったことで、一気に体の力が抜けて、疲れが襲ってきた。今までは気づかなかったがかなり疲れていたようだ。
ハンガーを手に取り、着ていたコートを脱ぐ。そして、グローブを外す。昔の火事の時について、治ることのなかった火傷の痕が一瞬ちらついた。今では義手になっているので、そんなもの残っていないのだが。
「ふぅ……」
一人になって、もう一度周囲を見渡す。一人で暮らすには少し広いような気もするが、狭いよりかはマシだろう。
部屋の片隅に置かれていたベッドに横になり、目をつむる。すると、面白いように眠気が襲ってきて、眠りに引き込まれていった。
ドアのノックで目を覚ますと、外は既に真っ暗で、小屋の中も暗い。壁伝いに電気のスイッチを探し、部屋の中に明かりをつける。照明の明かりも比較的抑えめで、景観への配慮が窺い知れる。
そしてドアの鍵を外し、扉を開けると陽菜が立っていた。食事を載せたワゴンがあり、夕食のいい匂いが鼻をくすぐる。
「ごめんなさい、起こしちゃったかしら?」
私が出るまで、時間がかかったので察したのか、陽菜は少し申し訳なさそうだった。最も、あまり気にはしていないのだが。
「いいや。それほど気にはしていない」
「そう。あ、そうそう、これ晩御飯ね。多少騒がしくてもいいなら、明日から子供たちと食べる?」
一応、陽菜は気を使ってくれたらしい。過去の経験から、少し戸惑ってしまう部分があったものの、私は素直に答えることにした。食事ぐらいは一人で食べたい。
「いや、しばらくは一人で食べる。あまり賑やかなのは好きじゃなくてね」
「分かったわ。じゃあ明日も持ってくるわね。じゃ、ちょっと失礼させてもらうわ」
陽菜はワゴンを押して、中に入ってくる。そして、ワゴンに載っていた食事をテーブルへと移していく。内容は、私に合わせてくれたのか洋食で、ナイフとフォークも備え付けられている。
「じゃ、私はこれで。食器はワゴンに載せて外に出して置いてね。夜のうちに回収しておくわ」
陽菜はまたしても忙しそうに出ていった。この神社の経営や、子供たちの世話で忙しいのかもしれない。しかし、彼女の他に従業員はいないのだろうか?今日はたまたまいなかったのかもしれないが、彼女の他に誰かがいるような様子もない。
いくらワケアリの子供たちの面倒を見ているとはいえ、ほぼアンドロイドと言ってもいい彼女一人で、切り盛りしているのだろうか?他に、誰かを雇うようなことはしないのだろうか?そういうのは、明日彼女に聞いてみるとして、とりあえずは食事にしよう。
まず、スープを一口食してみる。少し冷めてしまっているが、味は悪くない。贅沢を言えば、ちょっと味付けに口出しをしたいが、慣れない料理だったのかもしれないし、黙っておこう。
味付けは比較的薄味で、さっぱりとしたものだったが、私はあまり気にするようなことはせず、気がつけば完食していた。この神社のことが気になって、食事に集中していなかったのかもしれないが。
陽菜に頼まれた通り、食器をワゴンに載せて、小屋の外へと運ぶ。もうすぐ暖かくなるというのに、少し肌寒い。
「ん?」
小屋の外に出ると、誰かが立っていて、こちらをじっと観察していた。暗がりでよく見えないが、その人物は陽菜に似ていた。
「陽菜?」
「えっ?あっ!ごめんなさい」
しかし、返ってきた声は陽菜のものではない。むしろ、彼女より少し低いようにも感じる。
「せめてご挨拶にでもと、思ったのですけれど、驚かせてしまいましたか?」
その人物はゆっくりとこちらに歩み寄り、小屋から漏れる明かりでようやくその顔が明らかになった。
「はじめまして。僕は、深月 寧音。ここの子供たちをまとめている、リーダーです」
その少女は、陽菜を一回り成長させたような外見で、母親と同じ黒い髪を三つ編みに束ねていた。寧音は深く頭を下げ、少しぎこちないが、優しく微笑んでみせた。
「明日、僕が街を案内する事になっていて、軽く挨拶にでもと伺ったのですけれど、ご迷惑でしたか?」
寧音の態度はどこかよそよそしく、言葉遣いこそ丁寧だがあまり落ち着きが無いように見えた。ひょっとすると、外部の人間と言うものに慣れていないのかもしれない。
「いいや。ちょうど食事が終わったところだ。中で話でもするかい?」
「ありがとうございます。でも年少組の消灯時間が近いので、これで失礼させてもらいます。あっ、ついでですから、食器も持っていっちゃいますね」
寧音は軽く会釈をして去っていった。寧音という人物のお陰で、一つの疑問が解決した。そうか、ここで育った人間が、下の年代の面倒を見ているのか。そのお陰で、陽菜一人でここを切り盛りできているのだ。
私は寧音の姿が見えなくなったのを確認すると、小屋の中へ戻る。そして、寝る前にタバコを一本だけ吸って、私は床に就いた。