魔女 助ける
氷のように冷たい手足、今にも止まりそうな呼吸、不規則に乱れた脈拍。
デュラハンが連れてきた少女の美しさに一時茫然自失したマーティスだったが、その命が危ないと理解した途端、偉大なる魔女に相応しい手腕を振るい始めた。
「とっとと中に入れなっ!」
雪の妖精の生まれ変わりとしか思えない少女――ルフェイの腕や首筋を触りながらデュラハンを蹴り飛ばし庵の中に誘導。
貴様が話を聞かないから、という首なし騎士の抗議は扉が閉じる音にかき消される。
庵の中は雑然としていた。
棚には様々な形と色の薬草、書物が山と詰まれ、正体不明の生物の頭骨が天上から吊られている。
天上から囲炉裏に架けられた鍋では紫色の何かが煮込まれており刺激臭が鼻をついた。
よく見ると書物の塔の間には芋や正体不明の干し肉も転がっており住民の生活態度が気になる。
黒くて何でも齧って這い寄ってくる蟲が出現しそうなだな、と眺めるデュラハンに魔女の指示が飛ぶ。
「突っ立ってないでその娘を奥に寝かせな」
怒鳴りながら魔女は囲炉裏に薪を追加、さらに鉤棒を使い灰の中から小さな石を掘り出した。
闇の騎士は狭い室内で体をあちらこちらにぶつけながらも器用に右手だけで奥――羊の毛織物を積み上げた空間に娘を寝かせる。
寝台なんてものは王や大領主の一族ぐらいしか使わない高級品であり、この庵には存在しない。
さらに娘の状態を考えれば、木製の台に革を編みこんだ寝台などより羊毛の織物に包まれたほうが良いとの魔女は考えた。
病の専門家である魔女マーティスはルフェイの症状を”ダリィ憑き”と診断した。
ダリィとは山や森で旅人に襲い掛かる姿形の存在しない悪霊の一種で、このダリィに襲われたものは急な体温の低下・呼吸困難・心不全と生きる力そのものを奪われてしまう。
ダリィに憑かれると年若い男性でも一歩も動けなくなり、そのまま亡くなることもあるほどだ。
霧や雨とともに現れると更に凶暴になり、とある国の戦士百名が雨天行軍中ダリィに憑かれ全滅したという話が悲劇譚として謳われている。
「首なし騎士ってのはどうしようもないね」
お家騒動や妖精の襲撃などの事情を知らない魔女は、娘がダリィに憑かれた原因は首なし騎士にあると決め付けていた。
誤解なのだが仕方が無い。
少女の衣服が血まみれだったこと、外套すら纏ってない貫頭衣一枚だったこと、なのに靴が土で汚れていること、トドメが左手薬指に刻まれていた赤い”死の宣告”だ。
首なし騎士が見初めなければ追手の戦士達に嬲り殺しにされていたなんて魔女に思いつくはずがない。
マーティスは治療の準備をしつつ怒りの炎を燃やす。
囲炉裏から出した石が冷めるのを待つ間に横たわるルフェイの元へ。
寝かせた後、何もできずに突っ立てる木偶の坊を尻で押しのける。
まずは濡れて冷えた服の着替え。
赤帽子の血で染まり夜風で冷やされたそれはダリィを招く死の装束だ。
短刀で胸の結び紐や腰の飾帯を切っていく。
上質で頑丈なそれに娘の身分の高さを悟る魔女。
「可哀想に……」
最近の王や大領主は戦争馬鹿ばかりだと嘆いている古い魔女もその子息に偏見は無い。
高貴な身にあるこんな幼くて可憐な少女が首なし騎士により命を奪われんとしていることに涙を浮かべ胸を痛める。
元は若草色だった赤黒い貫頭衣に切れ目をいれて脱がし――かけて止まるマーティス。
徐々に室温が上がる魔女の庵は一階建て寝室居間食堂調理室兼の一部屋だ。
マーティスは背後を振り返る。
「…………」
そこには手持ち無沙汰――ただし左手に兜を抱えている――でルフェイを覗き込むデュラハンが無言で立っていた。
黒兜の中から赤い視線が白く慎ましやかな少女の胸元を凝視している。
己の獲物の生死を案ずる闇の騎士の瞳は真摯で一途で邪念の一欠けらもない。
ただこの島の女子供の衣服は貫頭衣とそれを縛る腰帯が基本だ。
寒い時や祭事などは重ね着することもあるが、海の向こうの大陸にある胸巻きや腰巻きなどの下着は存在しない。
繰り返すが下着は存在しない。
「どうした?」
魔女の手が止まりまなじりがつりあがっていくことに兜を傾ける首なし騎士。
「さっさと出でていきなああああああ!! この首なし変態騎士がああああああ!!」
不名誉な命名とともに右の正拳突きが変態――もといデュラハンを貫く。
「クルワッハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア?!」
デュラハンは人間の娘――デュラハンの認識では一歳も百歳もさほど変わらない――に素手で吹っ飛ばされるという貴重な体験をすることとなった。
庵の外まで無様に転がり地を舐めることとなった首なし騎士。
すぐさま起き上がり室内に戻ろうと画策するも、
「入って! くんじゃ!! ないよ!!!」
「オッゴ! ゲッム!! ゼゴック!!!」
三連投射された棍棒、石斧、鉄槌の鈍器の追撃。
重量武器により半ば大地にめり込む主人を助けようとコシュタ・バワー達が努力するも蹄なので踏みつけることしかできない。
止めろ踏むな、と足掻くデュラハンの姿に満足したマーティスは、今度こそルフェイの服を脱がせる。
怪我はないか、打ち身はないかと白く清らかな肢体を丹念に確認していく。
「怪我はないみたいだねぇ。脈も少しよくなったか」
毛織物に横たわる裸身は囲炉裏の火にあたることにより赤みが差してきた。
雪の妖精が女神に変わったようだと目を奪われかけるマーティス。
しかし強い精神力と魔女としての義務感から治療を再開する。
冷えた服を脱がすことでダリィの力は大きく減じた。
次は体を温めることでダリィを追い出す。
引っ張り出してきた若い頃の服を着せ、程よく冷めた焼き石を布に包んで少女の脇や太ももの付根に当ててやる。
即席の懐炉だ。
高温の石だと火傷の危険もあるし”ダリィ憑き”で弱った体には負担になる。同じ理由で酒の類も厳禁。
火石懐炉を当てる場所を小まめに変えながらゆっくりと芯から温めていく。
「どうにかダリィは去ったね」
脈や呼吸が整ってきたのを見て一番危ない所は凌いだと安堵する魔女。
立ち上がり鍋で煮えている紫色の見るからに怪しい液体を見つめること暫し。
お嬢さんに食べさせるものじゃないね、と夕食の豆粥を別の鍋に入れ温め直す。
「ほぉらお食べぇ」
人肌程度に温めた豆粥を喉に詰まらせないよう注意しながら銀の匙で掬い与える魔女。
意識が無くとも体が求めるのかルフェイのつややかな唇は親鳥から餌を与えられる小鳥のように粥を食べていく。
器のよそった豆粥がなくなる頃には、雪のようだった顔色は生命を感じる乳白となり少女の美しさを女神かそれ以上のものへと変えていた。
「ほぉぅ」
安堵か感嘆か本人でさえ判らない溜息をついた魔女はどっこらしょと背を伸ばす。
木々の枝鳴り、鳥の声。
いつの間にか光の差さない常夜の森に朝がきていた。
真っ暗だが清々しい朝に魔女が満面の笑みを浮かべる庵のその外。
「俺はいつまで埋まってなければならないんだ」
デュラハンは超過勤務一日目を大地に包まれて迎えていた。