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魔女 訪問される

 エルランド島の中央には常夜の森と呼ばれる地がある。

 牧畜や麦畑に適した平原がほとんどのエルランドの地で唯一目に痛いほど濃い緑が存在する。

 円環状に低い山脈が重なりあうことで降った雨が谷に溜まり豊富な水源に恵まれていたのだ

 否。過剰に恵まれていた。


 無数の沼と腐った木々を養分とした人の身の丈ほどの茸が群生したり。

 巨大な茸に栄養を奪われまいと高く背を伸ばし木々が陽光を奪いあったり。

 それでも足りない分を森を住処とする獣や鳥で補う食獣植物が徘徊したり。


 過ぎたるは猶及ばざるが如し。栄養が過多の結果、繁栄し過ぎて逆に栄養不足に陥る魔境と化していた。


 そんな名のある騎士はおろか巨人や竜でも二の足を踏む物騒な森の奥深くに古びた庵があった。

 夢でも幻でもない。この魔境に暮しているものがいるのだ。

 木々と巨大茸が天と地を別ち星の光も届かない薄闇に暖かな明かりが灯る。


「森が騒がしいねぇ。うるさいったらありゃしない」


 ぎぃい、と扉を開け庵から出てきたのは、絵に描いたような魔女。

 真っ黒い衣に身を包み、樫の杖を手に。

 つばの広いとんがり帽子の下からは大きな鷲鼻がツンと突き出ている。


 彼女の名はマーティス。

 森の隠者。

 骨の占師。

 黒い賢者。

 様々な名を持つエルランド島でもっとも偉大な魔女だった。

 魔女とは病を癒すもの。吉兆を神より下されるもの。そして生贄を捧げるもの。

 この地においてあらゆる叡智を伝える数少ない生き残り。

 吟遊詩人の謳う英雄譚にも登場し、国王すら畏怖する存在でもある。


 彼女は泣き女――偉大なる人物の死を嘆くために現れる妖精――を静かに迎えようと誰も現れることのない常夜の森で、悠々自適の余生を過ごしていた。

 否、過ごせるはずだったのだ今晩までは。


 陽光の届かない常夜の森で日の出とともに起き日の入りとともに寝るという規則正しい生活を営んでいたマーティスは、森のざわめきを感じ取り就寝直後に目覚めることとなる。

 うとうとしたところを起こされる不愉快さは言葉にするまでもない。


 魔女は安眠妨害の原因に落とし前をつけさせるべく森を探った。

 近づいてくる木々が裂ける音と根ごと掘り返される土の臭いに顔を顰める。


「何者だ……森妖精が妖精郷から悪戯でもしにきたか? それにしても串刺し薔薇や首吊りの木までが悲鳴をあげてるじゃと?」


 竜でさえあまりの鬱陶しさに――焼き払うなどの手間が掛かる――立ち入らない常夜の森を何者かが侵しているのだ。

 常夜の森に入ろうとする者は、できるだけ静かに木々や獣に気が付かれないように注意して行動する。

 マーティスの言葉にあった串刺し薔薇――根や茎から馬上槍の如き棘を伸ばし生物を捕食する薔薇や首吊りの木――こちらもしなやかな蔦で生物の首を締め上げ養分にする――を筆頭にした食獣植物に襲われないためだ。

 なおこれらの食獣植物は、基本的に獣を襲うが別に人を差別したりはしない。

 人が近寄れば食人植物に名前を変えて、平等に襲い掛かる。

 赤帽子に匹敵する植物が突破どころか蹂躙されていることに戦慄する魔女。


「まさかまさかまさか!! 奴が来おったというのかっ!!」


 この危険地帯を正面から走破する馬鹿者の存在に魔女は心当たりがあった。

 マーティスは無意識に左手を押さえる。

 忘れてはいけない悲劇を思い出して。

 動揺する魔女の眼前で森が弾けた。


 樹齢数百年を超える木々が切り倒され蹴り折られる。

 そればかりか禍々しい刃が木片に残る命も狩り尽くす。

 枯れ果てたそれは地に落ちる前に塵芥となって風に消えた。

 人外魔境の森を文字通り一直線に切開いてきた大馬鹿者は人に非ず、妖精にも非ず、竜でも巨人でも非ず。


「久しいな魔女の娘」

 

 百年歳を超える魔女を娘と呼ぶそれは生者に非ず。

 六頭曳きの戦馬車の上からマーティスを見下ろすの御者には首が無かった。


 首なし騎士デュラハン。


 殺害予告の一年後本当に殺しにやってくる律儀で物騒な殺戮者。

 そして、


「五月蝿いんだよ!! 近所迷惑を考えな能無し騎士がああああああああああああああああああ!!」


 過去に幾度もマーティスと争った仇敵であった。

 思い出したくもない因縁と安眠妨害と居住地域の自然破壊も加わりマーティスの堪忍袋の緒は寸暇も持たず袋ごと弾けた。

 血管を含む切れてはいけないものが切れそうな勢いで怒りの声を上げる。


「貴様に頼みがあってな。この娘が今にも……」


「じゃかましいいい!! 滅びえェ!!」


 首なし騎士の戯言など聞く価値も無いと滅殺を決意。

 魔女は黄金に輝く三日月の刃の片手用鎌を懐から取り出す。

 それは霊薬の採取や占いに使う、魔女にとって重要なとある神(・・・・)の祭具。

 魔女は丁重に扱うべき黄金鎌を手首の捻り利かせて、首なし騎士の頭めがけて投げ放つ。

 デュラハンはとある神――すなわち己の主(クルアハ)の祭具を避けるわけにもいかず、自身の大鎌を手放してうやうやしく掴み一言。


「主の恩寵の証だぞ。丁寧に扱え。そしてこの娘を助けろ」


「あんたに言われたかないよ! その恩寵のお陰であたしゃ…………ん、娘を、助けろだって?」


 同じ存在――あの世の主クロアハの恩寵を受けながら不倶戴天の関係である首なし騎士。というか魔女が一方的に首なし騎士を嫌っているのだが。

 ここで会ったが百年目、と猛る魔女。

 それでも首なし騎士の口から放たれた言葉に耳をとんとん叩く。

 人殺しの化け物がおかしなことを言ったからだ。


「嫌だねぇ。最近耳が遠くなって……」


「この娘の命を救え」


「今度は空耳かい」


「この娘を助けろと言っている」


「耳掃除をしたのはいつだったかねぇ」


「この娘の! 命を! 助けろ!」


 マーティスが己の耳の不調を疑い続けるのに、怒鳴りながら血塗れのルフェイを抱え上げるデュラハン。

 顔をよく見えないが体格からして十代前半の銀髪の少女がぐったりとしていることが魔女にも分かった。

 少女の纏う若草色の貫頭衣は、赤い血によりどす黒く染まっていた。 

 遂にマーティスは現実を認めた。


 このど外道の首なし騎士が年端もいかない幼い少女にその刃を振るったことを。


「そこに直りな首なし騎士。こんな幼い子を殺すまで落ちぶれたかい。その首、あたしが刎ねてやる!!」


「なぜそうなる。俺は何も……することになるのか?」


 誤解から更なる怒りを見せる魔女に闇の騎士は冤罪だと弁解を試みた。

 しかしデュラハンはルフェイに”死の刻印”を刻んだことを思い出し言いよどんでしまう。

 ルフェイを”刈り取る”――殺害することも事実なのでよく考えれば冤罪でもない。

 間の悪いというか要領の悪いデュラハンの態度に緊急臨時有罪魔女裁判の判決が降された。


有罪確定(ギルティ)イイイイイイイイイイイイイイイイ!!」


 尚、魔女裁判とは魔女が開催する裁判である。魔女を被告にした裁判ではない。

 そして今回は最初から有罪が確定している裁判でもある。

 

 樫の杖を振りかぶり飛び掛る魔女。

 高齢とは思えない健脚である。

 左手に兜を抱え、右手にルフェイを抱えるデュラハンは防ぐこともできない。

 夜を固めたような漆黒の鎧を杖が殴打する。

 もっとも黄金の鎌に比べれば大した加護のない杖は避ける必要すらない。

 彼にとって無為に過ぎる時間こそが問題。

 デュラハンは我慢して説得を続けた。


「ちっ。よく、見ろ。この血は、娘の、じゃない」


 滅多にしない舌打ち一つ、デュラハンは説明を続ける。

 言葉が途切れるのは魔女の振るう杖が兜を叩くせいだ。

 無抵抗で殴られる首なし騎士の態度に魔女は、ようやく黒き腕に抱えられてる娘をはっきりと見た。


 穢れない純白の雪だけで創りだされたような肌。

 風に吹かれても乱れることのない銀糸の髪。

 蒼い薔薇の花びらが二枚添えられた唇。

 同性であるはずの魔女が見蕩れる(かんばせ)


 幸か不幸かマーティスの視力は若いときとさほど変わっていなかった。

 あの世の使者さえ虜にする美を至近から堪能する。

 ぽとり、と魔女の手から杖が零れ落ちた。


「ようやく理解したか。そうだこの小娘は死に掛けてる。貴様は魔女だろ早くこの娘を助けろ。……おい、聞こえているのか!」


 ルフェイの命の灯火がいつ消えるか気が気でないデュラハン。

 急かす声にマーティスはようやく一言。


「クルアッハ」


 久しく口にしたことのない主の御名を呟いた。

 あの世の神を称え始めた魔女を正気に戻すためデュラハンは更なる言を重ねることになる。

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