表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/66

首なし騎士 椅子る

「解せぬ」


 あの世の騎士はその黒い頭を抱えていた。

 それは物理的な意味だけではなく――首なし騎士は常に己の頭を抱えている――精神的な意味でだ。

 端的に言うと、つまり途方に暮れていた。


 小娘の食糧確保のために人間の村を訪れ既に半日。

 外は太陽は落ち月が昇る闇の世界。

 ここ最近超過勤務が続くデュラハンにとって貴重な安息の時であるべき時間帯なのだが、


「さあどうぞどうぞ今年作ったばかりの蜂蜜酒ですぞ!」

「こちらの麦酒はうちの自家製でしてな。果実酒のような甘みが妻たちにも好評で」

「なんのこっちは大陸渡りの秘蔵の葡萄酒だ!」


 前も後ろ右も左も人間たちが酒杯傾け騒いでいる。

 酒宴だ。

 付け加えるなら彼がいるのはその宴の場の中心であり安息などどこを探しても存在しない。


 これだけでも十分頭を抱えるに値するがそれだけにあらず。


 灯火として燃える獣脂の臭いと器とされた巻貝の潮の香りも鼻についた。

 また丁寧に均された石の床はその光を反射し痛いほどに眩しい。

 おまけに柱を飾るのは人間が崇めるルダーナを筆頭にした妖精王たちとその伴侶の彫刻で、似てない上にやたら派手に彩色されていることもあり目障りの一言だ。


 どちらかといえば苦行の場だ。更に、


「おお! 麗しき琥珀姫よ! どうか我が捧げものを! この春最初に生まれた鶏です」

「御覧くださいこの蜂の巣、遂先ほど私自身が採ってきたもの。甘い甘い蜂蜜と蜂の子を」

「いや! それよりこれを! 眠りから覚めたばかりの蛙を串焼きにいたしました」


 刀剣ではなく山野の幸を手に押し寄せるのは男、男、男。

 血走らせた眼を欲に澱ませた戦士は見慣れたものではある。

 しかし今宵の標的はデュラハンでは無い。


 ――その標的は……否! 標的に非じ! 元凶! 元凶! 元凶だ!


 あの世の騎士が燃える鬼火の如き赤眼で睨むのは、己が懐に座し抱きしめる彼の獲物。即ちこの宴の主賓にして男たちの標的。

 ことあるごとにデュラハンを弄り嘲り愛を嘯く加虐嗜好溢れ過ぎる危険物件。そう危険物件のはずなのだが、


「皆様、私のためにありがとうございます」


 その危険物件は男たち一人一人にとても丁寧な礼を返していた。

 白き頬には憂いを帯びた笑みが浮かび、灯火から温かさを得た銀髪は柔らかに輝く。

 喜びながらも少しばかり恐縮しているような声は常の浮世離れした冷たさが消え、春風のように聞く者の耳を撫でた。


 デュラハンが不気味とさえ感じるほどの乙女を演じるその少女はルフェイ=モルガーナ。あの世の騎士をこの状況に追い込み克つ現在進行形で困らせている元凶である。


「……どうしてこうなった?」


 戦士たちに包囲されながら放置されているという稀有な状況の中、最近癖になりつつある溜息つくデュラハンであった。




 異常事態のきっかけは、己が昨今噂の首なし騎士だと証明するためルフェイを村人の前に晒したことだった。

 その瞬間から小娘は、愛らしくも楚々とした控え目に見ても理想のお姫様の演技を始めたのだ。


 デュラハンでさえ別人かと二度見した擬態――それに村人は騙された。完全に騙された。

 特に直視した者たちの被害は酷かった。


 老いも若いも男も女も関係ない。

 戦士も農民も職人も詩人もだ。


 首なし騎士という死の具現に囚われた高貴な姫、英雄譚の登場人物そのままの出現。

 しかもその姿は冷徹風雅を兼ね備える――と自分では思っている――デュラハンがうっかり茫然自失ほどの美しさ。

 闇を纏った不吉な首なし騎士が先に人心に衝撃を刻んだことも相まって被害を拡大させた。

 伝説に語られる妖精の姫もかくやという(かんばせ)が僅かに翳る様は、見るものの胸を貫き泣き出す者まで現れる始末。

 そしてその感激のままに人間たちはルフェイを――ついでにデュラハンも――宴に招き持て成した。


 村人たちの歓待には他にも理由がある。

 基本この島の人間は英雄譚に憧れている。

 特に食料、土地、女、屋敷、地位、武力、権力……様々なものを手にした者は永遠を、永遠に英雄譚に唄われることを求める。英雄譚に語られるために生きているといってもいいだろう。

 そこに突然、いま最も唄われている、否紡がれようとしてしている英雄譚の琥珀姫が来たのだ。

 幼き日々より憧れた英雄譚の登場人物になれる機会を逃すはずもなかった。


 長い職歴からここまでは推察できるデュラハンだったが……


「何故、何故、何故……先に宴なんだ」


 首なし騎士を放置するなよ、と疲れた声で呈す。

 英雄志望の戦士たちに挑まれたら挑まれたで面倒だが、完全無視されるのはそれはそれでどうもひっかかるのだ。

 実のところルフェイを直接見てない村人は、首なし騎士襲来の報に家屋へ逃げ込みしっかり避難しているため十分畏れられていたりするが……デュラハンに教えてくれる者はいない。


 見捨てられた感全開のデュラハンに、しかし応じる者がいた。


「宴を先、といいますかルフェイ嬢への求愛を優先しているのでしょうな。ああ! 愛こそは至高!!」


 朗らかに返事をするのは背後に控えているフェイクトピア。

 呼ばれてもいないのにここは己の指定席という顔で宴に同席しているのだ。

 胡散臭い笑みを浮かべたまま髭の吟遊詩人は、竪琴爪弾きながら唄う。


「対してぼっちな騎士殿はアレです。真に申し上げ難いのですが英雄譚で言えば序盤の敵役、最初に倒される赤帽子や頭の悪い巨人と同じ扱いな訳でして。

 まあ、英雄を目指す方々からしたら嫁にすれば領主確定なルフェイ嬢を射止めようとするのは当たり前のことかと」


「…………それは愛なのか?」


 赤帽子などと同列に扱われることよりまずは愛について指摘する首なし騎士。

 それは愛とはもっと過激で物騒で邪悪なものではないか? という被害者の問いだ。

 ルフェイからデュラハンへの少々特殊な愛情表現を知っている吟遊詩人は、当然の疑問にしかしだからこそ訂正などせずより面白くなるように応じる。


「そうですとも! 彼らは己を領主や英雄にしてくれるルフェイ嬢を愛しているのです。これも愛! 愛とは千差万別にして奇奇怪怪なものですぞ!」


「そうか……よく分からんな」


 愛――人間たちですら把握できない不気味な感情にデュラハンは、何度目かの溜息をつき天井を見上げた。

 幾つもの柱に支えられたそこには黒く渦巻く闇に光の剣を突き立てる隻腕の妖精が良く言えば大胆、悪く言えば大雑把に描かれている。


「むう、似て無いが……主とヌーザか?」


 主であるクルアハと妖精王の決闘――尚結果は共倒れ――の図に眉庇を傾ける。

 愛の名の元に首なし騎士を放置することも大概だが、この宴の場もどうかしていた。


 石を積み上げた堂々たる佇まいと神殿の如き豪華な装飾を成されたここは四葉の館、幸福の館と称される迎賓館である。

 吟遊詩人や王の使者などに領地の力を示し、招いた者は『例え親の仇でも最上級の持て成しをすべし』と賢者たちが教えるほどの重要施設。

 

 ――招いて放置って二重の意味で駄目だろ……


 乱入したり盗み見した経験はあっても、四葉の館で開かれた宴に参加するのは六千年以上の職歴で初体験なデュラハン。

 もしかすると首なし騎士全体でも最初かもしれない。

 ただしその扱いは完全な無視、好意も無ければ悪意もない空気扱いだ。

 例外は床や天井、柱の陰に窓の外で蠢く吟遊詩人ぐらい。

 そんな彼らにしてもどちらかといえば琥珀姫と戦士たちの談笑を注視している。

 元凶のルフェイへどうにかしろ、と視線で救援、もとい要望を送ってみても見向きすらされない。


 補足しておくがあの世にも宴はある。ただしそれはあの世の主であるクルアハを称える祭儀であり酒を飲んだり自慢話をしたりする場ではない。若い首なし騎士の間ではこの世風の宴が秘密裏に開催されたりもしているが……若くないデュラハンは招待どころか存在さえ教えられていない。


 そんなこんなで和気藹々と盛り上がる宴の中心で酒も料理も食せないまま死の運び手はただただ黄昏る。

 暇なので床に罠がないか天井に刺客が潜んでないか習慣として調べても、三度ほど確認したら更に暇になって……余計なことに気がついてしまう。


「俺は一体何のためにここにいるんだ?」


「それはルフェイ姫の腰掛としてっ、おっと失礼!」


 躊躇なく真実を告げた吟遊詩人を睨みつけることで黙らせるが現実は変わらない。

 宴への参加は獲物を生かすのに必要な行動、と言い聞かせても現状誰がどう見ても椅子代わりであり時折身を動かすルフェイの尻に腕の装甲を磨かれるだけ。


 ――このまま小娘の尻に敷かれるだけの椅子で終わるだと?!


 あの世の騎士として再起動したデュラハンは、少しでも任務の足しするためルフェイへと冷徹な目を向けた。


 何故か?


 それは悲劇の姫として振舞うルフェイこそ目下最大の不確定要素と判断した故。

 この擬態は何かしらの問題の兆候であり、問題とはを顕在化する前に処理するべきという常識的な考え。

 『何を企んでいる?』と直接問うこともできるが性根が二重三重に捻じ曲がった小娘が応じるるはずがない。

 そもそも単独でもあらゆる状況を推測し備え冷静に対処してこそ熟達した首なし騎士を名乗れる。

 ……可能か不可能かは別として。


 コツコツと人差し指で兜を叩き想定される危難を計る。


 ――戦士たちを手懐け俺にぶつける? 否。


 幾人か武器を持ち込んでいる戦士もいるがどれも鉄や鋼。

 ルフェイはデュラハンが鋼の穂先で眼を突かれても疵一つ無かったことを知っている。


 ――油断を誘う演技? 否。


 油断などしない寧ろ小娘の態度に警戒は増した。

 小娘がその程度に気がつかないはずはない、とこれまでの経験からデュラハンは確信する。

 やるならもっと悪辣でこちらの心を折りに来るに違いない、と。


 ――もしやこの状況そのものが罠か?! 『椅子代わりご苦労』とか弄る気か!! おおお、クルアッハよ!


 ありそうな展開にたどり着いたデュラハンは、この後どんな罵詈雑言が飛んでくるのか想像し思わず主の名を唱えた。


 そんな騎士の内心を知りもしない姫は優雅に宴を楽しんでいる。


 転がる骨、飲み干された樽、酔いつぶれる戦士、積みあがる皿、皿、皿……子羊の丸焼き、炙った鹿の腿肉、胡葱を添えた野鳥の丸焼き、溶かした乾酪をかけた林檎、葡萄酒で茹でた豚の腸詰、分厚く切った燻製肉、銀に輝く鮭の丸焼き、鶉の卵の小麦生地の包み焼き、新鮮な蜂の巣、種類豊かな茸、麦酒に果実酒に蜂蜜酒の樽、瓶十数本……


「むぐあぉ――ッ!?」


 ルフェイへ飲み比べを挑んだ三人目の戦士が撃沈する姿にデュラハンは一旦自縄自縛の自爆的苦悩を止める。


 ――どれだけ食べるのだこの小娘?


 ルフェイは館に招かれてから戦士たちが食材を狩ってくるまでにも山盛りの果実や人が丸ごと入れそうな鍋一杯の麦粥を平らげている。それは普段の食事の量の十倍を優に越えていた。


 その上で戦果はひたすらに拡大する。


 次々捧げられるそれらを残さず断わらず休まず食す琥珀の姫。

 それでいて脂で小さな唇を汚したり、白い頬を膨らましたりもしない。

 口元に運ばれた食材は慎ましやかに開けられた唇の間に吸い込まれ消える。

 その流れが留まるのは、汚れた指を洗盤の果実水で清め感謝の言葉を口にするときだけだ。


「モルガーナ家の琥珀姫といえばその美貌もですが領主代理として宴――即ち貴人の戦場を幼きころより潜り抜けてきた知る人ぞ知る筆頭騎士(チャンピオン)ですぞ。驚くほどのことでは……いや、やはり驚くべき食欲ですな」


 詩人の再びの解説に静かにただそうか、と返す騎士。

 このエルランドでは食事を多くとれること即ち富裕の証であり男女問わず魅力的とされるのだが、”刈り取り”に関係ない人の習性には興味の薄いデュラハンだった。


 対してこの世の男たちは琥珀姫の優雅な暴飲暴食に見蕩れる。

 そしてより一層己がどれほど見事に獲物を狩ったか、卓越した技で獲ったかを語意の限り誇った。


 ある者は蜂に刺された痕を、ある者は赤く染まった鏃を、またある者は狩りに同行させた詩人に歌を添えさせ武勇譚を披露する。

 それらにルフェイは微笑を絶やすことなく喜びと感謝の言葉で応えているのだが……ルフェイの本性を知るデュラハンは益々冷めていく。


 それはデュラハンには乙女の擬態を続けるルフェイが髪一筋も喜びも感謝もしてないことが判るためだ。


 礼を述べ、武勇を褒め、捧げ物を美味だと食すその姿は虚飾。

 首の血管、肌の張り、僅かに動くうなじ、何もかもが感情の起伏や発露を伝えてこない。

 旅の最中に自ら作った豆のスープを食していたときのほうが三の三倍の三倍は喜んでいた。

 デュラハンを弄るときと比べたら天と地ほども差がある。


『こんなに熱く甘く黒い想いを抱いたのは騎士殿だけさ』


 不意にあの夜の言葉が木霊し背筋に震えが走るデュラハン。


 同時に食事を続けるルフェイが目だけ動かし此方を見た。

 宝石そのものの琥珀の瞳、その輝きが漆黒の兜を射抜く。

 流し目というには重すぎる何かが乗り過ぎた一瞥。

 例えるなら極上の食事を前に”待て”を強いられる餓えた獣の目。


 ――これは絶対何か仕掛けてくるな。


 騎士が妙な確信を得たそのときドオーーーンと銅鑼の大音が宴の間を震わせた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ