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小さな世界

 吟遊詩人の唄に未来の英雄を夢見る者たちがいる一方で、そんな物騒な舞台に上がりたくない者たちもいる。

 例えばレンスター王国とコースト王国の狭間に存在するとある村の住民だ。


 そのとある村に名は無い。

 住民とっては世界の中心は村で、『村』と言えば自分たちの村のことだからだ。

 強いて名前をつけるなら領主の名からミセリア村となるだろうか。


 この村だけでは無くエルランド島の村々の多くは生産と消費が自村の中で終わるため住民にとっての世界はとてもとても狭い。

 どこかで決闘があった、戦争があったと唄を聴いても別世界の出来事なのだ。


 そしてなによりミセリア村は平和があった。


 他の世界に夢を抱く必要が無い程度には。


 何百年も前から二つの国の間にあるため決闘や争いに巻き込まれることの多かったミセリア村は、いつしか村全体が塁壁で囲まれその上に木の柵が組まれるという城塞化が進んだ。

 結果的に人間以外の外敵――はぐれ巨人や赤帽子などにも高い防衛能力を得ることになる。

 これに加え南から吹く暖風と東から流れ込む水が、毎年四方に見渡すばかりの黄金の麦畑を約束していた。

 都の華やかさなど知る由も無い者たちには、己の村こそ楽園だったのだ。



 今日までは。



 最初に気がついたのは村の外に広がる畑で働いていた農夫たち。

 彼らは領主より借りた雄牛――雄牛の所有は権力者の特権だ――で耕した土に、早朝から種籾を巻いていた。

 太陽が中天に至り陽光が降り注ぐ中、一人が服を毛織の貫頭衣ではなく麻の衣にすべきだった、と汗を拭った時に地平の彼方に目が向いた。

 広大な麦畑といえども今は種蒔きの季節、故に遥か遠くまで視線が通り見つけてしまう。


 ――耕やされた黒い大地を走る暗い闇を。


 手を止め目を凝らす男に休むな、と仲間が声を掛けるも逆に自分が見つけたの存在を伝える。


「おい、あれ黒い……馬?」


 応じて顔を上げるもの、目を凝らすもの。首を傾げるもの。


「なんだあ……馬と……馬車か」

「いんや戦馬車だ」

「ああ、春じゃからな挨拶に来たんじゃろ」


 今は春。

 税――麦を運ぶ季節ではない以上馬が駆ける理由など限られる。

 近隣の騎士が名指交換――決闘を希望する相手に名前を刻んだ槍を投げ返答を貰う行為――にでも来たのかと皆が思った。

 農夫たちには理解できないが春になると戦士様や騎士様たちは発情した獣の如く決闘と戦争に勤しむ。

 馬蹄の響きと車輪の轟きも徐々に迫ってくる。


「誰か門に報せい。急げよ」


 決闘大好きな騎士は、農夫など眼中にない。

 しかし村の塁壁の切れ目――門を守る戦士などは挨拶代わりに狙われることもある。

 それに農作業中に異変があれば門番をしている戦士に知らせるのは習慣だ。

 足の早い者が革を紐で縛っただけの農民靴で地を蹴り走り出す。

 まだ十分距離はある、それに例えどんな騎士が攻めてきても不落の防壁に鉄壁の――木製だが――門があるから大丈夫だ、と農夫たちは楽観していた。


 とんでもない間違いだと直後に知る。


 黒い戦馬車の走行音が本格的に彼らの身体叩きつけられたのだ。

 それはこの世に存在する全ての刀剣であらゆる防具を打ったような戦場の調。

 家を出る前に食べた朝食が胃から逆流してきそうな衝撃。

 耳や腹を押さえ再び謎の馬車へ顔を向けた彼らは、恐怖と絶望と失意と混乱と不安と疑問に思いつく限り多種多様な悲鳴を上げた。

 

「「「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!???」」」


 戦場音楽と農夫たちの悲鳴を伴奏に首の無い馬(・・・・・)に曳かれた戦馬車が駆け抜ける。




 次に気がついたの村の玄関である門の傍らに立つ戦士。

 村をぐるっと守る塁壁は、成人男性の胸元程度の高さだが戦馬車の突入を防ぎ赤帽子などの外敵を上から攻撃できる優れた防備だ。

 その塁壁に開いた門は、両側に聳える岩柱と格子に組まれた丸太の扉。

 更に閉開門の判断ができるだけの経験豊富な戦士が門番の任についていた。

 鍛え上げた筋肉の鎧と革の羽織は傷が多いがそれが逆に男に風格を与えている。


「何事だ?」


 門を守る戦士は、訝しげに眉を寄せた。

 視界に映るのは走る農夫だがそれはいい。

 後ろに続く黒い何か。

 黒い大地に溶け込みはっきりと見えないが馬と戦車のようにも見えた。


 ここで戦士は悩む。


 農夫だけなら何か不足の事態――赤帽子の襲撃や巨人の出現が起きた、と判断して首から提げた角笛で村から仲間を呼ぶ。

 怪物相手の戦いでは一対一に拘る必要はないからだ。

 だが――


「戦馬車! 騎士か!!」


 ――春恒例の騎士の決闘挨拶周りならば話は別。


 経験が豊富だろうと重要な任務についていようとエルランドの生きる戦士は、三度の飯より決闘が大好きなのだ。

 門扉の閉鎖そっちのけで騎士を一人で頂くべく槍を(しご)き闘いの準備を整える。

 見る見る近づく戦馬車に眼差しを向けながらも男の意識は、勝利した後の宴と誉れに向かってしまう。

 注意を向けていれば異形の馬や御者に気がつけた機会を自ら捨てたのだ。


「豚の胃袋に騎士への昇格……拙い!」


 毎日に豚を食べる生活や己の英雄譚を夢想するも、決闘に目が眩み重要なこと見落としたことに気がつく門番。


「吟遊詩人を呼ばねば」


 当然、門扉の閉鎖のことではない。

 決闘には作法として立会人が必要であり賢者、魔女、詩人が望ましい。

 中でも英雄譚を唄って貰えることもあり吟遊詩人が最適とされている。

 幸い吟遊詩人が村にいる。

 昨晩も首なし騎士に攫われた姫の唄を歌っていた。

 首の無い六頭の馬に曳かれた黒い戦馬車とその御者の話を。


 ――丁度、眼前に迫る戦馬車のような……


「……あれ?」

 

 間抜けな声を上げる戦士の余所に首なし御者の乗る戦馬車が門扉に押し迫る。

 門扉を閉める間などありはしない。

 



 三番目に気がついたの村の中で仕事に勤しむ女子供。

 女たちは抜けた羊の冬毛で糸を紡ぎ、子供たちは白詰草を豚に与えていた。

 夫たちと同じく毛織の衣服より麻にすべきだったか、とお天道様を見上げた妻たちは、門を通り抜け村の中に進入した轟音――異変にいろめきたつ。


「何事だい!!」

「ママ。お馬さん首が無いよ」

「こっちに早く! 家に」


 警戒心の強い母たちは、何が起こっているか分からずとも子供を連れて家――地面に竪穴を掘り藁を被せた簡素な住まいに逃げ込む。

 通りに投げ出された羊毛と白詰草を二十四個蹄が踏み砕き駆け抜ける。




 最後は村の中心、領主館の前にある広場で稽古をしていた戦士たち。

 鎖帷子を身につけた者、上半身に鎧だけ纏ったもの、あらゆる拘束を脱ぎ捨てし者――いずれも逞しき肉体を汗に濡らしていた。


「ホア! ホア! ホア!!」

「キエエエエエエエエエッ!」

「温い! もっと激しく突け」


 彼ら戦いを生きる術とする男たちは、決闘の季節に備えて剣と槍をぶつけ合っていた。

 鍛錬故振るうのは刃の無い木剣だがその重量は真剣の三倍。

 大陸の民から『エルランドの島は狂戦士が住んでいる』と云われる一端だ。

 だがその激しい鍛錬の音が、迫る異音に気がつくの遅らせた。


 門を突破し通りを抜けどうしようも無い距離に接近されてからようやく戦士たちは知覚する。


「え……?」

「首なし騎士? 六頭曳きだと……まさか」

「何故だ? 門番は何をしていた!」


 彼らは迫る”それ”を知っていたし昨晩吟遊詩人が語るのを聴いてもいた。

 しかし”それ”が顕れるのは夜の筈、という先入観が混乱を助長する。


 逃げ遅れた領民と呆然とする戦士たちが見詰める中、”それ”は村の中心に至った。


 首なし馬を駆る御者は、馬と同じく首の無い御者。

 白昼堂々、陽光の下へ参上せしは漆黒の鎧を纏うあの世の使い。


 首なし騎士デュラハン――エルランドの地を騒がす災厄。


 人々の震えと怯えの声は、小さな世界(へいわなむら)(きし)む音のようだった。

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