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詩人は謳い 民は杯を捧げる

 首なし騎士が城なし姫に夜間行水を命じられた翌日。


 エルランドの地に暮らす人々は、吟遊詩人たちの唄う英雄譚に聴き入っていた。

 それは命知らずな吟遊詩人たちが昼夜問わずに馬を駆り伝えた悲劇の唄。

 今この瞬間も集め束ね紡がれる最新の英雄譚の第一章。

 首なし騎士に攫われた琥珀姫の物語――未だ名も無き英雄譚の続編だ。


 その唄の章題は”賢人騎士ロインの勇戦”――


「いざ聞け!

 賢者の卵ロイン=ヨウトン。

 英知秘めたる芝色の瞳。

 白と黒が混ざり合う灰の衣。

 彼の元に黒き鴉が訪れる。

 父が兄が弟が喜びの原に招かれた。

 家を継ぎ賢人の名誉を諦めるのか?

 杖を折り家と民を見捨てるのか?」


 本来この島において春は決闘の季節である。

 冬――月が隠れ白い夜が七の七倍巡る間、雪と寒さで暴れられなかった騎士や戦士が鬱憤を晴らすように殺しあうからだ。

 故にこの時期、島中で語られるのは人間同士が戦う決闘の唄だった。


「悩んだ末に賢者の谷を去るロイン。

 故郷を救わんと剣を佩く。

 若き騎士は両手を戦女神に捧げるのだった」


 だが今年は違う。

 城で、街で、村で酒宴とともに語られるのは首なし騎士に攫われた乙女の悲劇。

 英雄はいつ顕れるのか?と願われていた物語。

 そこに届いた速報――賢者の道を捨て騎士となったロインの話に、身を乗り出し酒杯を握りしめる聴衆たち。


「戦女神の命に山を越え谷を越え

 風を共に草原を駆け抜ける

 灰の羽織を翻し折れた杖を携えて」


 各地で吟遊詩人が朗々と謳う。

 ロイン=ヨウトンの境遇や来歴、仲間との交流や人格を称える声が流麗なる調とともに島を満たす。

 ただし知識ある者――王や領主などは気がつく。


 これは英雄譚ではない、と……


 戦女神はモルガーナ家の暗喩でありそれは乙女の実家。

 つまり戦女神の命とは、ルフェイ=モルガーナの暗殺だと。


「太陽の煌き纏う赤き猟犬レーテ。

 夜天の輝き纏う黒き走狗スュバル。

 熊をも喰らう二頭を供に明けざる地平を駆けていく」


 だがしかしそんな貴人は聴衆の一部に過ぎない。

 ほとんどの聴衆はその貴人たちの所有物――朝日が昇る前に畑に出て日が沈むまで鍬を振るう農民だ。

 彼らは変化の無い日々の反動か詩人の唄を酒杯を傾け祭りの如く楽しむ。

 歌舞音曲を越える娯楽など生で見る騎士や戦士の決闘ぐらいなのだから仕方がない。

 攫われた姫は可哀想だが怪物と英雄の戦いを肴に麦酒や蜂蜜酒を飲み干していく。


「おお、ロイン! おお、レーテ! おお、スュバル!

 月夜を走り血染めの邪妖を退けろ。

 天雷を招き地を穿つ賢人の業。

 祝福されし蹄が春草を踏みしだく。

 すべての花が彼を見送る」

 

 ロイン=ヨウトンが賢者の業、遥か昔に大地を去った神々――実際は人間が追い立てたのだが民は知らない――の助力を得ていることに聴衆は目を大きく見開き、感動に身を振るわせる。

 無私にして厳格、公正にして偉大。

 悪に落ちた領主や騎士を制裁しうる唯一の存在である賢者。

 正義の助言者であり神なる業の担い手たる彼らは、領主や騎士以上に敬われ恐れられている。

 その賢者の力を持った騎士となれば既にそれだけで英雄なのだ。


 赤帽子――廃墟に現れ血を好む怪物――の群を一撃で焼き払うロイン。

 二頭の猟犬を使い魔にし首なし騎士を追い詰めるロイン。

 部下の命を慮り戦いを躊躇するロイン。


 吟遊詩人は若き騎士の力、勇気、優しさを殊更に歌い上げる。

 これから登場する敵役の力を聴衆に刻み込むために。

 そして唄は、見せ場の一歩手前――破滅へと至る。


「川面に黒い月が映った」


 まず勇ましく心地よかった竪琴の旋律が途切れた。


 突然の変化と不吉な言葉に農夫たちは眉を顰め、その妻たちは首を傾げる。


 黒い月とは冬の始まりを告げる月のこと。

 実際に月が黒くなるのではなく、この黒は死の意味し寒さと飢えの象徴している。


 そして今は赤の月の季節――春なのにそんな不吉な月が川に映るわけが無い、と。


「浮かび上がる黒い三日月。

 川面を裂く闇と死の使者。

 忌わしき首無しの騎士」


 英雄の物語に乱入してきた怪物に聴衆たちは口を押さえて悲鳴を呑みこむ。

 ひたすらにロインを称えるだけだった吟遊詩人に敵役の存在を忘れていたのだ。


「卑怯にも背後から

 悪辣にも川より突然に

 残酷な死神が襲い掛かる」


 名乗りも無い背後から――更に言うなら首なし騎士が川を利用する非常識も――の奇襲を強調し敵役の邪悪を伝える詩人。

 ロインの危機に民が息を呑む。


「間一髪太陽の忠犬レーテがロインを救う。

 黒い刃に夜天の勇犬スュバルが吠え掛かり。

 旅の仲間が剣を振るい死に挑む」


 邪なあの世の騎士の不意打ちを辛くも凌ぐロイン一行に安堵が広がる。

 不意打ちを失敗した化け物の滑稽さを笑い、悪行成す怪物に怒り、再び盛り上がる聴衆。

 だがその盛り上がりは徐々に消えていった。


 吟遊詩人が苛烈に激しく謳う――悲劇のせいで。


「賢人招くルダーナの雷光も、

 二頭の忠勇なる猟犬も、

 勇敢なる戦士たちも、

 首の無い騎士の鎌が刈っていく」


 次々に倒れていく旅の仲間、賢人騎士ロインも傷ついていく。

 絶望的状況に聴衆たちは目に涙を浮かべ、しかし諦めない。

 死神に魅入られた姫を救う――これほど純粋な正義が、英雄が、勇者が敗れるはずがない、と。

 だが無情にも一方的な虐殺は続き、ついに老いた従者の首までが刎ねられた。


「ロインは己の全てを捧げ海の神マナンの奇跡を願う」


 そして多くの犠牲とロインの全霊を掛けた神威の召喚。

 契機、覚醒、反撃……劣勢からの最高潮。

 逆転だ、と男たちは酒杯を捧げ、女たちは胸の前で手を握り締た。


 全員が騎士ロインの勝利を祈る。


 騎士なのに一度も剣を振るわないね、と鋭い指摘をする子供もいたが母親が口を塞いだ。


「海神の腕は大地を引き裂き、

 天上まで届く拳を振り下ろす」


 偉大なるマナンの神威が闇の騎士を打ち払い叩きのめしていくことに聴き手たちは目を輝かせた。

 マナンのことを知らない者も詩人が偉大というから偉大な神だと信じる。

 地上に津波を起こし首なし騎士を圧倒するのだから実際偉大だ。


 英雄譚とはかくあるべし。


 気の早い者は、決着がつく前に景気よく酒樽の蓋を割り、貴重な腸詰を焼きはじめる。

 されどされど脂と塩が焼ける匂いが漂うなか再度戦いは覆る。


「『これは人間が生み出した巨人殺しの業だ』

 残酷な言葉と共に海神の腕が断ち切られる。

 崩れ落ちる神威が全てを押し流し。

 戦場に生者はなくただあの世の騎士が残るのみ」


 ……『戦場に生者はなくただあの世の騎士が残るのみ』つまりはロインの敗北だ。


「「「は?」」」


 唖然とする人々。

 酒樽から酒はこぼれ。

 串に刺した腸詰がポトリと落ちる。


「「「おおぉうぅ…………」」」


 空気を読まずにロインを倒しちゃった敵役――首なし騎士の所業に聴衆は顔を顰め落胆する。

 落胆と溜息、英雄に成しそこなった若人への鎮魂。

 悲しみが心に染み渡る。


 それは存分に悲劇という娯楽を貪る行為。


 勝利と栄光に満ちた英雄譚は好い。

 しかしそれはそれとして悲しい物語も等しく娯楽なのだ。

 変化の日々に飽いた者達は、沈痛な面持ちで哀惜の感情を味わい酒杯をロインの魂に捧げる。

 所詮、農民には憧れ見上げるだけの世界――一幕の夢から醒めたのだ。


「琥珀の姫は静かに勇者たちの死を惜しんだ」


 詩人の語りは英雄譚の褒賞――可憐なる琥珀の君の慈悲を最後に幕が落ちた。

 一時の夢を楽しんだ者たちは家に返り明日の仕事に備える。


 対して夢ではなく英雄に手が届く者たちは、賢人騎士ロイン=ヨウトンの末路に安堵する。


 ――これで己がまだ英雄になれる、と。


「所詮、二番手三番手はかませ犬」

「本当の英雄は後から顕れるものさ」

「ふふふ、これだから若造は役に立たん」

「英雄に成れ……世界が俺にそう言っている」


 舞台に上がってもいないのに英雄譚の主役は俺だ、と確信する騎士や戦士は酒杯を放り投げると剣を携え首なし騎士を目指す。

 その姿に吟遊詩人たちはほくそ笑む。

 物語は主役と敵役だけでは成り立たない。

 三流でも端役が必要なのだ。

 これから更に楽しくなるぞ、とエルランドという舞台の演出家たちは次なる物語に思いを馳せる。



 だが吟遊詩人たちは間違っていた。



 彼らが思いもしなかった存在にも唄は届いていたのだ。


「あの野郎がこの世に?」

夥しい闇(ドゥーブハン)…………今度こそ」

「あらあらあらデュラちゃんたら」


 闇の中で人ならざる者どもが蠢き出した。  

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